第15話 ロシアンブルーの少女

「あの、ありがとうございました」


 わたし達は丸テーブルを囲むように座ると、それぞれ注文した猫ミルクと猫カフェオレに口をつけた。

 一通り自己紹介を終えてから、紫髪のおかっぱ少女が改めて礼を言った。


 少女は自分の名前をショコラと名乗った。

 白いフード付きのローブを着ている。


「いいよ、いいよ。ショコラも飲みなよ。奢りだよ」

「俺の金だけどな」

「あ?」


 なになに、聞こえない。わたしは雑音を無視すると、ショコラに勧める。


 ショコラの前にも猫ミルクが置かれているのだが、遠慮しているのかまだ口をつけていなかったのだ。


「はい……」


 俯き加減に言うと、ちびちびと口をつける。顔色が冴えないのは、あんなに怖い思いをしたのだから、しょうがないだろう。


「はぅぅ」


 それにしてもミルクというものを初めて飲んだけど、やんごとなき甘みがあってちょっとクセになる。

 童心に返るというか、ちょっと懐かしくもある味だった。


「ルナさんとミケさんが助けてくれなかったら、ショコラはフルボッコにされていたでしょう。本当に、なんと感謝したらいいか」


 ミケは何もしてないけどね。とわたしは心の中で付け足す。


「あの男が言っていた。強いパーティにくっついてコバンザメしてるってのは本当なのか?」

「ちょっと」


 おそらく聞かれたくないであろう事を、ズケズケと聞くとはなんてデリカシーのない奴。


 わたしはミケに非難の目を向けるが、ミケは意に介した様子もない。


「それは……」


 ショコラは目を臥した。


「それは、本当に最初だけです。ショコラは治癒師〈ヒーラー〉なので居るだけで役に立つと思ってくださった親切なパーティの方が入れてくれたんですけど。実際はあまり、役には立てなくて、次第に誰もショコラをパーティに誘ってくれる猫さんはいなくなりました」


「じゃあ、今は一人でMTTBを狩ってるのか?」


 ミケの質問にショコラは「いえ」と首を振った。


「ショコラだけじゃ、C級にも手も足も出ないですから」


 おそらく何度か戦ってみたのだろう。ショコラの言葉には実感が篭っている。もっとも聞いているこっちはC級と言われても、どの程度の強さなのかさっぱり分からないから、まったく実感が沸かない。


 彼女の口ぶりからすると、多分一番弱いMTTBって事なんだろうけど。


 でもまあ、と自分がMTTBと戦った時のことを思い出してみる。今でも、結構恐ろしいと思う。とてもじゃないけど、ショコラみたいな可憐な少女が一人で戦って勝てるビジョンは思い描けない。


 まあ、それを言ったらわたしも同じなんだけど。


「じゃあ、どうやって生活してるんだ?」


 ミケがさらに訊ねる。


「それはですね。この孫の手でスライムを狩ってました」


 ショコラは木製の先端が、くいっと曲がった気の棒を取り出した。あれは、確か実家に置いてあったのを見たことがある。人間が使う背中を掻く道具だ。孫の手って武器にもなるんだなぁ。


「スライムか……、スライムって今相場いくらだ」

「一匹十コネくらいですかね。でも、今でもわりとスライム駆除の依頼ってあるんですよ」


 ショコラは無理に笑顔を作ると、孫の手をブンブンと振り回した。


「いや、でもそれじゃあ」


 生活できないだろ。とミケが言葉を詰まらせた。わたしは、ミルクを一口飲んでからハテナを浮かべる。


「スライムって何? それもMTTBなの?」

「スライムはMTTBじゃないよ」


 ミケがそれを受けてわたしに説明してくれる。


「猫の誕生と共に、このニャルハラも誕生したわけだが。その最初期に猛威を振るった魔物がスライムなんだよ。つまり、スライムはニャルハラを襲った初めての脅威という事になるんだが。


 まあ、それも石器時代とかの話で、今となってはただの雑魚魔物その一に過ぎないし、力のある使い魔〈サーヴァント〉が相手にするようなもんでもない。一応、今でも倒すと報奨は貰えるらしいけど」


「へー、そんなのいたかな?」


 全然、見なかったけど。


「スライムでも力の差くらいはわかるからな。俺たちの前には滅多に姿を見せないだろう」

「へー。でもショコラはそれと戦ってるんでしょ?」


 あれ、という事は、ショコラの前には姿を現すんだよね。それは?

 わたしがじっと見つめると、ショコラは罰が悪そうな顔をした。


「ショコラが弱すぎるんだと思います。でも、そのおかげでスライム駆除の依頼が貰えたりするわけですけど。お強い使い魔さん達の前には、スライムは姿を現さないので彼らに駆除は出来ないですからね。スライムは確かに報奨金は安いですが、この依頼料は結構貰えるので、それで何とか生活しています」


「そうか」


 納得できたのか、ミケが手に持ったカップのカフェオレを口に含んだ。


「ねえねえ。じゃあ、わたしも一個訊いていい?」

「はい、なんでしょう?」


 ショコラが首を傾ける。クセのない髪の毛がさらりと流れた。


「ショコラって家猫なんだよね?」


 わたしとしては、ショコラの現在の境遇よりも気になるのはこっちだった。わたしが訊ねると、ショコラは少し困ったような顔をする。


「?」


 そのリアクションに少し疑問に思ったが、すぐに先ほどの関西弁の男の言葉を思い出して得心した。


 というか思い出すと腹が立つ。


 あの男の家猫に対する蔑視ぶりときたら、ミケが可愛く見えるレベルだ。おそらく、家猫と名乗ってあのようなトラブルにショコラは何度も巻き込まれてきたに違いない。


「大丈夫、大丈夫。わたし達も家猫よ」


 わたしが言うと、ショコラは目をクリクリと丸くした。


「だから、怖がらないでいいんだよ」


 にこっと落ち着かせるように笑顔を見せる。


「ね、そうなんでしょ? さっきあの難波猫に聞いたわ」

「はい」

「しかも、血統書付き!」

「それは……、はい」

「それって自慢?」

「えっ、違います。違います」


 わたしが言うと、ショコラはびっくりしたように手と頭を大きく振って否定する。


「にゃはは、冗談だって」

「えっ、えっ?」


 困惑しているらしく、目がキョロキョロと泳ぐ。


「そいつをまともに相手にすると疲れるぞ」


 コーヒーカップに口をつけながらミケが言う。ちょっと、それはどういう意味。と睨みつけるが効果はないようだった。


「あの、ルナさん達もニャルハラに来たって事は死にかけたって事ですよね?」


 今度は逆にショコラが遠慮がちに聞いてきた。


「死にかける?」

「え、違うんですか? ショコラ達猫がニャルハラに来るのは、死の間際に猫乙女〈ニャルキリー〉が猫たちを導くからでしょう?」

「ごめん、ちょっとわからない」


 わたしがキョトンとしていると「いや」とミケが遮る。


「俺たちはちょっと特殊でな。猫乙女〈ニャルキリー〉に導かれたわけじゃない」


「そうなんですか?」

「ニャッバーンさまに、直接勧誘されて来たんだ」

「ニャッバーンさまというと、この世界の神さまの名前ですよね。ニャルラトフォンの電話帳アドレスの一番上にデフォルトで登録されている」

「そう、その猫神さまだ」


 へぇ、そうなんだ。ミケとショコラの会話を聞きながら、わたしは自分のニャルラトフォンを取り出すと、電話帳のページを見た。確かに一番上にはニャーバーンさまの名前がある。


 その他にも、入植管理局とか英雄ショップとかお天気案内とか、登録した覚えのない名前が入っている。いつの間に。というか、わたし達のこの異界への来かたは実は珍しい来かただったらしい事がショコラとの会話で初めて分かった。


「はぁ、そんな事もあるんですね。ショコラはかけてみた事はないですけど、ニャッバーンさまはいつ電話しても、いつも通話中で決して電話に出ることはないって有名なのに」

「神が電話に出るわけないだろ」


 ここに来てのまさかの正論である。


「俺が知り合いだったから来たんだよ」


 そして、正論という上薬の上に、暴論という蒔絵が加わった。


「はぁ、すごいんですねぇ」


 とショコラが感心した様子で頷いているが、彼女ははたしてちゃんと納得できているのだろうか。っていうか、まず神のアドレスが携帯に入ってる所から突っ込んでほしい。


 そして、ショコラは今度は自分の番とばかりに胸に手を当てて話し始めた。

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