第12話 酒場の騒動

「ごめんなさい。ごめんなさい」


 少女は頭を抱えると、ひたすら許しを請う言葉を繰り返していた。

 少女はルナよりも一回り小さく。グレーがかった黒髪をおかっぱにしている。


 可憐と表現しても差し支えないくらいの可愛さがあった。

 しかし、今その顔は恐怖に歪んでおり見る影もない。猫耳は垂れ下がり、小さく縮こまる事しか出来ない。


「ごめんなさい。ごめんなさい」


 全ては、これから行われるであろう暴力から身を守る為。


 少女の前には殺気だった大男が少女を見下ろすように立っており、今まさに男の太い腕が少女へと振り下ろされようとしていた。


 それをニヤニヤとした表情で見守る聴衆。誰もそれを止めようとはしない。


「この、クソガキがぁ!」


 わたしは、そんな雰囲気に飲まれている酒場に着地すると、そのまま少女と男の間へと割って入った。


「なっ……」


 刀を腰から鞘ごと抜くと、それで、男の拳を受け止める。驚愕の表情を浮かべている大男をわたしは見上げるように睨みつけた。


「ちょっと、おじさん。こんな小さな子をいい大人がフルボッコにしていいと思ってるの?」

「あ? なんや姉ちゃん。邪魔すんなや」


 わっ、関西弁だ。難波猫だ。男は鞘に阻まれた拳を摩りながら、悪態をついた。


「兄貴ぃ!」


 舎弟らしき、細い男が声を掛けるのに、関西弁の男は「わぁってる」と面倒くさそうに言い、コメカミをピクリと脈動させた。


 わたしは立ち上がると、


「一体、この子が何をしたっていうのよ?」

「別にぃ。ただ、大して役にもたたんくせに、パーティに入れてくれ。言うて回っててなぁ。さすがにウザイからヤキ入れてやろ思ただけやで」

「はぁ? 何それ」


 関西弁の男は、少女を指差すと、


「こいつは、強いパーティに入れてもらって報酬金のおこぼれ貰おうとしてんねん。姉ちゃんも知っとるやろ。たとえ、戦闘中になーんもせんでも。パーティとして戦闘に参加しとるだけで報奨金の数パーセント貰えるねん。こいつはそれ狙って、有力なパーティに声掛けまくってるんや。所謂コバンザメって奴やな。ほんとしょうもないガキやで」


 そういうと、ニタリと顔を歪める。それに反応して少女は顔を上げた。


「そんな、違います。ショコラはショコラなりに頑張ってました。何もしなかったなんて嘘です」


「あ? 一、二回。低位の回復魔法使っただけやろ?」

「それ以上使ったら、ショコラの生活費がなくなっちゃいます……」

「そんなん知らんがな。ワレなんて誰も必要としてないねん。さっさと消えろや。これだから家猫は嫌なんや。この家猫がっ!」


 男がそう言うと、クスクスという笑い声が周りから漏れる。何? こいつら……。わたしは周りを一瞥すると、男に視線を戻す。


「ねぇ、家猫だから何?」


 わたしが低い声で訊ねると、関西弁の男は気分よさそうに言った。


「ああ、姉ちゃん知らんやろ。このガキ血統書付きの家猫らしいで。みすぼらしい格好しおってからに。貧乏は辛いなぁ、ケケケ。家で寝てれば飯が出てくる家猫なんか、役立たずしかおらんに決まっとるやんけ」


 ああこの子、家猫だったのか。服装はボロボロだけど、言われて見ればどことなくそんな雰囲気もあるかもしれない。


「あのさ。おじさん。わたしも家猫なんだけど?」

「へぇ、じゃあ姉ちゃんも役立たずっちゅう事やな」


 こいつ……。わたしは目を細めると刀の柄に手を伸ばす。


「あ、兄貴ぃ」


 舎弟風の男が情けない声を上げる。ていうかあの猫、さっきから兄貴しか言ってなくない? 関西弁の男はフンと鼻で笑うと、


「姉ちゃん、やる気かいな。ええけど、怪我してもしらんで!」


 そう言って、背中に背負った巨大な戦斧を手に持った。

 店内が明確にざわつく。


「こちとら、明日の残飯にもありつけるかわからん生活、野良でしとったんや。家猫なんかには負ける気せぇへんで!」

「ハッ、残飯がないなら、猫缶食べればいいじゃない!」

「ダボが! ぶっ殺したるわ!」


 男の目に殺意が宿った。戦斧を振り上げ、次の瞬きの間にもわたしの頭上に落ちてくるだろう。


 これは、一戦避けられない。

 わたしは、柄を握る手に力を込めた時だった。


「ストップ!!」


 今、まさに戦いが始まらんとするタイミングで、針を刺すような女性の声が割って入った。わたし達はその声に思わず固まる。


「今、あなた達に最高位の即死の魔法をかけたわ。もし、ここで武器を抜いたら三十パーセントの確率で即死する」

「……っ」


 猫耳フードを被った骸骨の姿をした死神の手が、柄を握るわたしの手にそっと添えられているのを見て、わたしは思わずぎょっとする。


 関西弁の男の方を見ると、そちらにも死神がついていた。そうしてから、最後に声のした方をみた。


 そこには、尖がり帽子にカクテルドレス風のローブを着込んだ赤い髪の、いかにもお姉さんの魔法使いですよー。といった感じのいでたちの女性が立っていた。


 こちらに樫の木で出来た杖を向けている。もう一方の手には、魔法の発動を示すようにディスプレイが発光するニャルラトフォンが握られていた。


 ゾクリと背筋に悪寒が走る。彼女の言っている事は嘘じゃないと本能的に悟った。わたしは即死の魔法を掛けられたのだ。


「おい、あれマリリンじゃないか?」

「え、あの勇者のパーティのマリリン?」

「ほんとだ、マリリンだ。かっけー」


 周囲の群衆がそんな事を話しているのが耳に入る。

 どうやら、ドヤ顔で佇むこの女はマリリンという名前らしい。しかもここでは結構な有名人らしい。


 なんか気に入らない。

 わたしは再び、柄にかけた手に力を入れる。


「あらあら、命知らずの困った子猫ちゃんね。シュレディンガーの猫の話を知ってる? たかが三十パーセント、されど三十パーセントなのよ。開けてみるまでは百パーセントと思って行動した方がいいんじゃないかしら?」


 マリリンは唇に人差し指を当てると、余裕の笑みを浮かべる。それに、対してわたしは手が固まってしまって刀を抜くことが出来なかった。


「……くっ」


 圧力には逆らえず、わたしは柄から手を離してだらりと腕を下ろし武装解除する。


「うふふ、賢明な判断ね。さぁ、あなたも武器を下ろしなさい」


 関西弁の男にも、武装解除を強制する。


「てめぇ……」


 関西弁の男は、マリリンを睨みつけながら渋々、戦斧を床に置いた。そして、無表情でわたしの方を見た。え、何?


「マリリンさんよ。その武器ってのはワイ以外の猫も含むんか?」

「……」

「含まんやろなぁ」


 男はニタァと意地悪い笑みを浮かべると、


「おい、やれや! 金は惜しむなや。ワイの奢りや! 大盤振る舞いにこいつらぶっ殺したれや!」

「はい、兄貴ぃ」


 兄貴ぃしか言わない猫が、関西弁の男に指示されて携帯端末を操作すると、空中に無数の火球がユラリと陽炎のように姿を現した。

 いや、よくみれば男の指示によって携帯を操作し始めたのは彼だけではない。


 およそ、彼の周りのテーブルについていた十数名の男たちが一斉に端末を弄くり、魔法を発動させている。周りを囲んでいる全て、この関西弁の男の身内だったのだ。


 これには、さすがにわたしの方に否定的な感情を持っていた周りの客も、男に反感を持ったらしく。「おい、やめろ」だの「マジかよ」だの「ふざけんじゃねぇぞ」と非難が飛ぶ。


 逃げた方がいいんじゃないかと思い始めた客もいるらしい。ざわざわと羽虫の羽音のような話し声が、水面に水滴を落としたように輪を持って広がっていく。

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