第7話 妖刀猫村正

「ただいまー」


 バンと音を立てて、わたしはディンゴのお店の扉を開くと、上機嫌に戻ってきた。


「おお、思ったりより早かったな。どうだった?」


 そう言うと、ミケが手に持ったマグカップを軽く掲げる。


「もうすっごくよかったよ。わたしこの剣気に入っちゃった」

「そうか、そりゃよかったな」

「うん!」


「調子に乗って、あんま環境破壊するなよ」

「失礼な。環境破壊なんてしてないもん。わたし爪とぎはちゃんと爪とぎ用の板でする女よ」

「はいはい」


 この顔は信じてないな……。

 わたしがむぅと頬を膨らませていると、


「よお、嬢ちゃんも飲むかい?」


 カウンターの上にはこげ茶色をした麦茶がなみなみと入ったビッチャーが置かれており、ディンゴがそれをガラスのグラスに注いで、わたしに渡してくれた。


 わたしはそれを受け取ると、ゴクゴクと一気に喉に流し込んだ。ひんやりとした清涼感が喉を伝っていくのがわかる。運動した後だから冷たい麦茶がとてもおいしい。


「うまいだろ。ディンゴ特性の猫用麦茶は天下一品なんだ」


 ミケがニヤリと笑みを作り言った。


「うん、わたし水以外の飲み物って飲むの初めて」


 そう、実はそうなのだ。飼い主さまは猫のアレルギーに非常にこだわりのある人で、イカやたまねぎはおろか、チョコレートやアイスだってくれた事がない。


 エサはもっぱら海外の有名ブランドのダイエット食品かと見間違えるような名前のプレミアムフードばかりで、最近同社の猫缶ももらえるようになってきたが、それだけだ。もちろん飲ませてもらえるのは水だけであった。


 それに対してこの麦茶。麦の焦げた苦味はあるが、飲みやすい。それでいて芳醇な香りが鼻を抜けて得もいえぬ多幸感がある。


「水だけだって? そりゃあ……。もう一杯飲むかい?」

「いただきます!」


 ディンゴが注いでくれた二杯目の麦茶をゴクゴクと喉に流し込む。


「実は、人界では猫に対するアレルゲン物質が案外多くてな。猫が口に出来るものはそう多くないんだ。ま、その辺無頓着な人間なら、割りとなんでもくれるんだが……。ちょっと、知識のある人間だと市販のフード以外はめったにくれない。うちの飼い主もそのくちでな」


「はぁ、人界ってのも案外、難儀な場所なことで」


 ミケの説明に、ディンゴは感慨深く頷くと、


「まっ、その点ニャルハラにあるものは全部猫用だ。嬢ちゃんも存分に飲み食いしてくれや」


 そう言って、快活に笑い声をあげた。


 少しのんびりしてから、ディンゴの店を後にする事になった。ミケが穴場の店と言っていただけあって、とてもいい店だと思う。


 最初はゴミ溜めかと思ったけど、今改めてみてみれば、老舗の骨董屋みたいな雰囲気で悪くない。


 飼い主さまが大好きで毎週予約して観ている骨董品を鑑定するテレビ番組に、よく出てくるお店の雰囲気にそっくりだ。


 猫村正の鞘をスカートの腰の部分についている布の輪っか状の仕掛けに差し込む。こうすると、持ち運ぶ時に剣をわざわざ手に持つ必要がなくなっていいのだという。


 専門用語ではこれを〈装備する〉と言うのだとディンゴが教えてくれた。


「刀ってのは魔性の道具だ。やたらめったらどこそこ構わず抜いて回ったら駄目だぜ嬢ちゃん。それが武器を持ち歩く者の、最低限の流儀だ」


 わたし達が店から出ようと、ミケがドアノブを回し扉を開いた時、猫村正を装備したわたしにディンゴはカウンターごしから肩肘をついて語りかけてきた。


 いやいや、そのくらい言われなくてもわきまえてますから。もしかして、そこら中で剣を抜いて斬りかかるような危なっかしい子だと思われているんだろうか。


「わかったわ」


 わたしは愛想笑いをディンゴに返すと、すでに扉を抜けていたミケを追いかけるようにディンゴの店を後にした。


 ディンゴの店を後にした後は、当初の予定の通り街へと向かうことになった。





「ん?」


 店を出て、森を少し歩いた所でミケが足を止める。


「なんだ? あいつは?」

「どうしたの?」


 ミケの視線の先を辿ると、手に持った刀をだらりと垂らし、呆然と立ち尽くしている侍の姿があった。


 あ、あれは!


「お疲れさまでーす」


 わたしは元気よくその侍に向かって手を振る。それは、先ほどの白猫侍だった。


「知り合いか?」

「うん、さっきちょっと世話になったの」

「世話にねぇ。お前、迷惑かけてないだろうな?」


 不審と疑惑の目。


「かけてないわよ。別に。ちょっと一緒に遊んだだけで」

「ふーん。まあ、世話になったっていうなら、俺の方からも礼を……いや待て」


 歩み寄ろうとした所で、ミケが静止する。


「え、何?」


 突然、目の前をミケの手で通せんぼされたわたしは困惑の目をミケに向ける。


「よく見ろ。あの目を。完全に目が死んでる。なんかブツブツ言ってるし、廃人一歩手前だ。ありゃきっと薬物だな。アッパー系の薬物をやる奴は突然あんな風に廃人みたいな無気力状態になることがあるらしい。ああいうのには関わらない方がいいぞ。あの手の輩は『あのぅ、ちょっといいですかぁ』なんて言いながらニタニタ近寄ってきて、いきなり切りつけてくる事もあるらしいからな。君子危うきに近寄らずという言葉もある。無視していくぞ」


「え、でも……」

「ほら、来い」


 ミケがわたしの腕を無理やり引っ張る。わかった。わかったってば。


 わたしは白猫の侍にちょこんと会釈をすると、その場を後にした。

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