第2話 ようこそ、ニャルハラへ

 ゲートから飛び出たかと思うと、ドスンとお尻から地面に落ちた。


「いたた……」


 真上を見ると入る時に見たゲートがある。

 どうやら、あそこから落ちてきたっぽい。

 なんという雑な、もっと丁重にお出迎えしてくれてもいいと思うんだけど。


 お尻を擦りながら恨めしげにゲートを睨みつけていると、逃げ出すようにゲートが閉じた。

 まあ、実際には役目を終えたから閉じたんだろうけど。


「ここが、ニャルハラ」


 猫達の楽園。そして、猫の存在を保障している世界。

 青く茂った草原が広がり、どこまでも青い空が広がっている。

 不意に影が落ちる。


「あれは、ドラゴン?」


 真上を通り過ぎて行ったのは巨大な猫顔のドラゴンだ。

 かと思えば、今度は草原を四足歩行の猫のバスが超スピードで駆け抜けていく。


 遠くには浮島が浮かんでいるのが見えて、ここが普通の世界ではない事を伝えてくれる。

 そして、何より穏やかに過ごす動物たちにはみんな猫耳がついている


 それは、いつかミケが話してくれた異世界の景色そのものだった。


「わたし、異世界にやってきたんだ」


 ずっと思い描いていた、夢に見ていた異世界が目の前に広がっている。


 わたしがその事に感動していると、どこからともなく猫耳をつけたテントウムシが飛んできた。


 わたしが指を差し出すと、止まり木だと思ったのかテントウムシがわたしの人差し指に止まる。


 そう人差し指に。

 えっ、人差し指?

 わたしが慌てて自分の姿を確認した。


「わたし、人間の姿になってる?!」


 すっくと二本足で立ち上がる。

 長い夜空のような深い黒髪に、淡雪のように白い肌、膨らんだ胸元、五本指の手。間違いない。

 その身体的特徴はいつも見ている飼い主さまと一緒だった。


 間違いない。

 わたしは人間の姿になっていた。


 とりあえず状況を正しく認識しなければ。

 わたしは手をグーパーグーパー開いたり閉じたりさせながら混乱しがちな頭を整理していく。


 人間の姿になるというのもミケの話で聞いていた。

 異世界では猫は猫耳のついた人間の姿になるんだって。

 わたしが頭に手を持っていくと、確かにそこには確かに猫耳があった。


 それ以外は猫らしい部分は特になく、着ているものも薄手の黒いワンピース一枚で、他には特に何もない。


 後は何か……、とそこで一つの事を思い出す。


「多分、この辺に……」


 ワンピースのスカートを腰辺りまで捲ると、わたしはお腹の辺りを確認する。


 わたしのお腹にあった三日月の模様。


 それはわたしのトレードマークといっても過言ではなく、名前の由来にもなっているものだ。

 人間の体になったことで毛皮はなくなってしまっているので、いわゆる模様という形ではなくなってしまっていたのだが、


「あ、あった」


 それは、痣のような形でそれは残っていた。わき腹の後ろ辺りにくっきりと現れていた。

 わたしが思わず安堵していると、


「おい、そこの痴女」


 突然声を掛けられた。いつの間にそこにいたのか、声のした方には青年が一人立っていた。っていうか、


「え、もしかして、痴女ってわたしの事?」

「お前以外、誰がいるんだよ。いいから、さっさとスカート下ろせ。他の奴に見られたら問題になるぞ」

「はぁ? 何言ってんの?」


「例えば、お前が体中の毛をバリカンで刈り上げて、外を歩いているとしよう。それについてどう思う?」

「あのね。そんな恥ずかしいことするわけないでしょ。それじゃ、ただの変態じゃない!」

「今、お前がしてるのは、そういうことなんだよ。この変態女」

「ん、んんん?」


 え、そうなの。

 そう言われると段々猫の時の倫理観と人間の倫理観が段々とわたしの中で結びついてくる。


 人前でスカートを捲るのは、体中の毛を刈り上げて人前に出るのと同じ事だと感情で理解できるようになってくる。


「あ、ああ……」


 それに気づくと、みるみる顔が火を噴くほどに熱くなってくるのを感じた。

 わたしはバッと捲り上げていたスカートを下に下ろすと、しゃがみ込んだ。


「ば、ばか、なんですぐに言ってくれないのよっ。ばかばか!」

「降り立って開始〇,五秒くらいで言ったんだが?」


 ああ、もうなんて恥ずかしいことをしていたんだろう! 八つ当たり気味に声の主に文句を浴びせる。


「やれやれ、これだから家猫は」

「家猫なのは関係ないでしょ! って……」


 どうして、わたしが家猫だって? というか――。

 わたしはここで、初めて声の主をマジマジと見た。


「もしかしてミケ?」

「やっと気づいたか」


 そう言うと、ミケはニヤリと口角を上げる。

 ミケは革製の簡素な鎧を着ており、腰には長めの長剣を差していた。


 ここでは一般的な恰好なのだろうか。

 そこら辺の事はわたしにはわかりようもない。

 というか、というか服というものにおける羞恥との関連性は理解できたけど人間のファッションとかいう考え方は未だによくわかっていない。


 ただ、彼の髪色が白、茶。黒の三色から髪の色が構成されており、三毛猫の特徴と一緒だった。髪色はある程度、元の毛色の影響を受けるのだろうか。


 本当に、ミケだ。


「どうして? ミケもこっちに来たの? それにその姿。ミケも人間になったの?」

「いっぺんに質問してくるな」

「うっ……」


 ピシャリといわれて、思わず引き下がる。


「まず、姿だが。俺たちは別に人間になったわけじゃない。あくまで猫だ。ただ使い魔〈サーヴァント〉としてニャルハラにやってきた猫はこういう姿になるんだ。それは、そういうもんだと言うしかない。それで、なんで俺がやってきたかだが……」


 ミケはそこで言葉を切り、少し逡巡する。


「なによ?」

「いや別に……」

「ははーん。もしかして、わたしの事を心配してついて来てくれたのかにゃ?」


 わたしがふざけて、ふざけてミケの体をつんつんと指で突いていると、


「さあな」


 あっさりと払われてしまった。

 さあな。だって、あいかわらず愛想がまったくないんだから。嘘でも心配してるから来たって言えないんだろうか。


「やな奴」


 わたしは小さく舌を出す。

 でも、ここまでの事からミケはかなり、この世界のことに詳しいらしい。

 やっぱり、ここはミケが話してくれた異世界で、ここに来たのも初めてではないのかも。


 わたしがそんな事を考えながら納得していると、ミケが周囲を回り見てから言った。


「それはいいとして、俺としては早くこの場を離れたいんだがな」

「ちょっと、まだ訊きたい事があるんだけど?」

「感じないか?」

「感じるって何を……」


 言われて周囲を見回してみるけど、特別何か変わっている様子はない。


「いや、特に何も感じないけど……」

「やっぱり家猫だな」

「な、家猫なのはかんけ――」


 言ってる途中に、ミケに口を押さえられて最後まで言うことが出来なかった。


「くるぞ!」

「わっ!」


 ドンっ! と一度大きく地面が跳ねる。

 そして、次の瞬間大地が隆起したかと思うと、爆ぜ散り〈ソレ〉が姿を現した。

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