第4話 月刊メー

「ねえ? サトシだったらどっちがいい?」

「そうだなぁ……」

「なぁに? 長いよ〜 サトシってほんと真面目だよね」

「大事なことだろぅ?」

「まあ、そうだけどさ」

「産まれてくる子には幸せでいてほしい。男の子でも女の子でも、僕が守る。ミサキのことだって」

「だってえ よかったでちゅねー でもパパが厳しすぎてグレちゃったりしないでねえ」

 


ミ……サキ、ミ……サ……





「噂の出どころまでは掴めなかったですね。すんません」

「仕方なかろう。旧い噂でもある。芹川くんはどうだった?」

「痣のある人ってのはいないようでした。ただ」

「どうした?」

「御堂ミサキは勤め先の進学塾で揉め事を抱えていたみたいでした」

「と言うと」

「とある生徒に言い寄られていたみたいです。随分しつこかったらしく、同僚にも愚痴を溢していたって」

「その生徒の身元は」

「すみません。その人物については御堂ミサキ自身が頑なに漏らさなかったようで、同僚の方が問い詰めても聞けなかったそうです」

「しかし容疑者候補がここにきて浮上か。この程度のことは警察なら調べもついているだろうけれど、それでも捕まっていない犯人となるとかなり狡猾な相手だな」

「振り出しっすかね」

「御堂京には会えなかったよ。彼が復讐のつもりで須賀沼を探しているのならこのまま加担するわけにはいかないと話したかったんだがね。なぜ御堂京は須賀沼の犯行を信じて疑わないのか、それとも他に何かまだ我々に見せていない思惑があるのか。御堂ミサキの恐怖心、迷惑がられていた元生徒、須賀沼の所在、ハングドマンの痣……」

「先生!」

「なんだ急にデカい声出さないでくれ!」

「息抜きしませんか?」


 芹川は自社の雑誌を幾つか広げた。趣味に近いオカルト話を延々と展開する彼女に男二人はついていけなかった。「月刊メー」はかつて酪農情報誌として創刊された。雑誌名にもある"メー"とはヤギやヒツジの鳴き声を模している。芹川の話ではモーでもよかったらしいがメーになった。やがて売れ行きが悪くなってきたメー編集部は当時一介のライターが趣味で書いていたオカルトコラムの評判が悪くないことに着目した。全面的にオカルト特集が組まれた新生メーはそれまでの酪農情報誌としての購買層を切り捨てたとして批判も少なくはなかったが社運をかけた思い切りは結果として功を奏す。当時はヒバゴンブームなどで世間的にもオカルト誌にとって追い風傾向にあり、「月刊メー」は瞬く間に発行部数を伸ばしていくこととなり今やサブカル誌としての不動の地位を確立。現在は出版業界の不況時代に飲み込まれる形で売り上げも縮小気味ではあるがニッチなファン層に支えられている。

「編集長はイケイケの人なので明日にはファッション誌に変わっているかもしれませんし、ちょっと前なら編集部ごとタピオカ屋に転身するなんて話もあったそうです」

「大丈夫なのかその会社」

「まあでも私はこうして好きだったことが仕事になれてよかったと思ってます。給料だっていいわけじゃないですけど、いろんな縁があるし、不謹慎かもしれませんが先生たちを手伝うことになってここ最近の私はかなり充実を感じてます」

「キミはなんというか、たくましいね」

「芹川ってちょっと変わってるけど昔からお前のこと嫌ってる奴聞いたことないもんね」

「檜山くんのことニガテって女子はいっぱいいたよ」

「それ言う?」

「すまない。気を使わせたな。だがおかげで肩の力がぬけたよ。感謝する」

「鮠眉さん、熱あります?」

「よし、芹川くん。明日からは二人で調査することにしよう」

「すみませんしたー! ちょっと鮠眉さーん!」



 鮠眉たちは須賀沼の実家を訪ねた。その様は悲惨なものだった。誹謗中傷が所狭しと書き殴られ、窓ガラスはおろか外壁にまで破壊された跡がある。既に住まう者もなく、いわくのついた物件には買い手もつかず野晒しのまま放置されていた。

「あまり期待は出来ないが手がかりが見つかるやもしれん」

「そう……ですね。とにかく探ってみましょう」

 ひと気はない。だが鮠眉は不穏な空気を感じていた。憎悪、執念。それが須賀沼家のものでなくともこういった場所には集まるものだとよく知っていた。檜山や芹川は気づかない様子だったが鮠眉のすぐそばでは写路燁子が不敵に笑みを浮かべていた。いつだってこちら側に来れる、鮠眉千景は既に呪われた存在であると。

「先生、私すこし外に出てもいいでしょうか。なんだか急に気分がすぐれなくて」

「俺も」

「ああ、無理はするな。あとは一人でやる」

 鮠眉は須賀沼理士の自室と思しき部屋へと侵入を試みる。

「チカゲ、ここ。強いわよ」

「ああ。わかってる」

 長らく使われていないせいで埃臭い部屋は静かで暗い。周囲を見渡した鮠眉は机の引き出しに着目した。

「ここか」そっと手を伸ばした刹那、無数の傷が手の先に走った。痛みに意識を持っていかれそうになるのを精神で跳ね除ける。言語ともおぼつかぬ呪文のような発音を絶えず口にしながら引き出しに手を伸ばす。鮠眉の耳には悲鳴が鳴り響く。絶望、苦痛、恐怖、殺意。そういった感情をないまぜにした感覚。紛れもない呪いである。しかしこれに関しては鮠眉も心得がある。とり殺されぬよう慎重に手を伸ばし、やがてそれは開かれた。部屋は再び静寂を取り戻したものの鮠眉も重傷を負う。

 二人の前に戻った時、鮠眉の姿を見た芹川は思わず悲鳴を上げた。

「何やってんすか! 鮠眉さん!」

「救急を たの」

「鮠眉さん! しっかりしろ! 鮠眉さん!」

 傷だらけの手の中には手帳のようなものが握られていた。

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