第3話 変遷する噂
「失礼します。あれからこちらでも幾つか進展がありまして、経過を報告させていただきに参りました」
「そうですか。まあ、あがってください……ところでこちらの方は?」
「彼女は」
「芹川八尋と申します! 鮠眉所長の助手を務めております。よろしくお願いします」
「……どうも」
「(余計なことは言わない約束だろ!)」
「ニヒィ〜」
鮠眉の、というよりかはほぼ芹川が持参した情報であったが、報告内容は事件一週間前から当夜までの須賀沼理士の詳細な足取りであった。大抵は警察でも調べがついていた件だが一点、須賀沼が毎日のように帰宅するまでに立ち寄っていたバーの店主が興味深い証言を話していた。須賀沼は妻ミサキについて妙な不安を抱いていたという。突然悲鳴をあげたりすることが増え、仕切りに何かに怯えている様子だと。自分が心配ないと言い聞かせても一旦は落ち着くがまたその繰り返しで本人も少々参っている様子だった。須賀沼がバーに立ち寄るのはそういった家庭環境からの逃避だったのではないかと店主は語る。とはいえ突飛な話で店主自身も事件当時は忘却しており警察には話さなかった。鮠眉はミサキの恐怖心と本件の関わりについてハングドマンの噂話を京に打ち明けた。
「鮠眉さん、僕を馬鹿にしているんですか。何がハングドマンだ! 姉は須賀沼に殺されたんです。仮に姉にそういった片鱗があったなら、それは須賀沼に対してですよ! 外面なんていくらでも繕えますからね!」
「ですが須賀沼理士がバーの店主にその話を打ち明けることが後々自分の不利にならないような工作とは考えにくいです。外堀を埋めるならばもっと身近な人間に対して計らうのではないでしょうか? 例えば御堂さん、あなた自身にだとか」
「こんなことをいちいち言いに来られたんですか? あなた方も警察と変わらないな。無駄な聴取ばかりで一向に須賀沼の行方は掴めない。僕はね、藁にもすがる思いであなたに依頼したんだ。頼むよ鮠眉さん。僕は奴の居場所さえ掴めたのならそれでいいんだ!」
「不躾な物言いで申し訳ありませんが、須賀沼の居場所を突き止めてどうなさるおつもりですか」
「あんたには関係ないだろ」
「これは僕の想像ですが……早まらないでください。まだ見えていないことの方が多い。このまま須賀沼を見つけてもあなたはきっと後悔だけを残すことになる。そうなればミサキさんだって」
「もういい! 帰ってくれ! 奴の居場所がわかった時以外は報告もいらない!」
「とりつく島もないですね」
「キミは自分の大切な人を無惨な形で奪われたらどう感じる。今のように冷静でいられるか」
「それは」
「正しいことが何かなんて生きていれば嫌でも身につく。そしてそれは時に非情だ。そうなれば正しさなんてものは何も救わない」
「先生」
「事務所に戻ったら情報を整理する。そろそろバカが土産話を持ってくる頃合いだ」
二人が戻ると檜山は鮠眉の席に腰掛けて得意げに待ってましたと息まいた。芹川も直接檜山の顔を見るのは久方ぶりのようで再会を喜んだ。
「キミたち。高校時代に誰が誰を好きだったとかそんな話はどうでもいい」
「いんやでもね鮠眉さん! 聞いてくださいよ! 久しぶりに母校の門をくぐったら鮠眉さんにだって淡ーい青春の香りが戻ってきますから……あ、鮠眉さんにはそうゆうのなさそうですけど」
「そのへんにしておけよ。二度とここの敷居は跨がせんぞ」
「そりゃないっすよ! 俺こんなにも鮠眉さんのために汗かいてんのに!」
「檜山君は相変わらずだね。お調子者で」
「そういう芹川は随分綺麗になっちゃってさ」
「もうヤダ」
「 」
檜山は鮠眉の命で不暮高校へOBとして入った。檜山はかつての恩師に取り入るそぶりを見せながら、生徒たちに接触してあることを聞いた。それは無論、ハングドマンの噂についてである。事件から三年が過ぎたとはいえ、ハングドマンの噂は風化していなかった。先輩伝てに聞いたという者もいれば、実際に見たという輩もいる。断片的に見ればおぼろげな情報を今一度整理しなおす。
「私たちの頃と少し違っている共通点がありますね」
「どこだそれは」
「コレっすね。全員ってわけじゃないけど幾つかの生徒がハングドマンの右手の痣を指摘してます」
「痣の話は三年前にはなかったのか?」
「私は聞いたことないですね。どこでどう変わったんだろ」
「俺はあんまりこういう話にノらなかったんで」
「痣か……例えば、須賀沼の手にも似たような痣があったなんてことは。もしそうなら、この噂の変遷を辿ることで事件の目撃者に出会えるかも知れんぞ」
「なるほど。犯人の特徴がそのままハングドマンの特徴として伝わった。それを言いはじめた人間が犯行の一部を見ていたかもしれないということですね」
「檜山は引き続き不暮高校近辺を調査してくれ」
「芹川くんは……なんだその顔」
「ニヒィ〜 先生が認めてくれたことに芹川カンドーしております」
「今さらだ。キミにも付き合ってもらう。須賀沼、もしくはそのような特徴を持つ人物が被害者の周りにいなかったか聞き込みを頼みたい。僕は今一度依頼人に話を聞いてみる」
「面白くなってきたぜ」
「檜山、これだけは言っておく。遊びじゃない。無理はするな。僕らが携わっているのはあくまでも現実に起こった殺人事件だ。危険を感じたらすぐに退くこと。お前にならわかるだろ」
「そりゃあ……わかりました」
「芹川くんも」
「はい、了解です」
一人事務所に残った鮠眉はとある番号に電話をかけた。呼び出しこそすれど一向に出られる気配はない。ただそれはまだどこかにその存在を意識させる。
「チカゲも諦めが悪いのね」
「それはキミだってよく知っているだろ、アキ」
「カノジョ、塔雨詩乃生はもう飲まれたのよ。戻っては来ない」
「だったらキミはどういう了見なんだ」
「フフフ、わたしはあなたの幻視じゃなかったかしら?」
「キミも変わらないな」
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