夢魔の章

1 胎動 



「ウッ……ウッ——アア~~嫌っ————! やめて——! イヤァー、ハァハァ……おねがい、だ、だれかーたす、たすけて——うぁ———!




さっきのは夢か? ハァハァ……、でも、どうして又……」


 明け方とも夜中とも区別が付かない深夜。一人の少女が自宅のベッドでうなされて目覚めた。何者かに自分の体を弄ばれている感じがする。夢か? と思いながら暗闇の中、辺りを見回してみるが誰もいない。胸を揉みしだかれ、下半身の太もも付近や性器をまさぐられている。このようないかがわしい夢を毎晩見続けている。正確に言えば、今日で5日目だ。1~2回ぐらいなら笑い飛ばしてみるものの、こう毎晩見ていては精神的に参ってしまう。そして、こんないやらしい夢を見ることを、誰に話していいか解らないから少女は思い悩んでいた。話した所で鼻で笑われ、馬鹿にされてさげすまれるだけなのだ。だから……誰にも言えない。話せない。


 自分は欲求不満なんだろうか? 違う……。淫乱なんかじゃ無い。でも、あれは?


少女の意思、いやプライドの高さが逆にこの悪夢を引きずっているのかも知れない。


 しかし、今日で5日目だ。ウンザリするよりも、もはや寝る事が恐怖となり始めた。寝ると又同じ悪夢が始まってしまう。しかし、寝ない訳にはいかない。頑張って意識して起きていても睡魔には勝てない。疲れが睡魔をいざなう。 


 はっ——!  再び悪夢によって深夜に目を覚ます。思い出すだけでも、おぞましい。ふぅ…良かった……夢か? と安心し辺りを見回し目を閉じた。その瞬間、さっき見た悪夢が頭の片隅をよぎる。耳元では、ハァハァとリアルな息づかいまで聞こえてしまう。なんだ? 何がおきているのか? 夢じゃないのか? ならば、いま起きているこれは?……。


【ビリビリ——シャァ————】

「……っつ、な、なに?——」


 刹那、パジャマ・下着を全てはぎ取られ何者かの舌が全身を這いつくして来た。


 イヤダ、いやだ、嫌だ——。キモチワルイ、きもちわるい、気持ち悪い――。タスケテ、たすけて、ダレカ助けて……。


 嫌がり抵抗する少女。しかし暴れてみるも、両手足がまるで床に縫い付けられたかのように動かない。金縛りに似た恐怖と、目を開けてみても暗闇に覆いつくされているので、何も見えない恐怖。しかし確かにナニカがいる。現に見えないナニカが体の上に覆い被さってきた。そして、少女の体に何かが……入って来た。


「ウッ、イヤァ————。助けて————!」


 死に物狂いで助けを呼ぶ悲鳴が深夜の部屋に木霊こだまする。


「どうしたの?……」


 少女の声を聞き隣の部屋から母親が少女の部屋にやってきた。ドアを開け、壁にある照明のスイッチを入れた。瞬間、少女の体に乗っていた何者かは、母親の方へ振り向き様に低い声で笑いながら呟いた。


【クックック……アバヨ……。まずは一人目……】


 その者は、灯りの中で紅い目を光らせながら、霧の様に消え去ってしまった。


 明るくなった部屋の中、残像のように見えたのは全身が褐色で両目が紅く光る人のようなモノ。それは、背中にコウモリの羽根のような物が生えていて、今まで見た事が無かったモノが居たのだった。


「「ぎや——あぁぁぁぁぁぁああ————!」」


 少女と母親は、恐怖のあまり悲鳴を同時に発していた。突然の事に、ヘナヘナと母親は座り込んでしまった。目の前で確かに人が消えた。いや、人じゃない。なんだ?あれは?……。人の姿はしていたが、背中にコウモリの羽根があった。それに、目の前で消えてしまうぐらいだから、あやかし、化け物のたぐいかも知れない。


 さっきのは一体何? 幽霊? 悪魔? 化け物か? と考えてしまう。しかし、幾ら考えても答えなど見つかるはずもない。母親はそんな怪奇的な事に知識は皆無だからだ。


 フッと我に返ると、母親は娘の側に駆け寄った。娘は全裸の状態でぐったりと床に横になったまま、放心状態だ。


「だ、大丈夫?……」

「おかあ、さん——こ、こわ、こわい…助けて……」


 裸で泣き震えている我が娘を母親はそっと抱きしめた。少女の体には何者かの唾液の様な液体で濡れている。嗅いだ事の無いような、少し臭い匂いがする。そして少女の乳房にはSACRIFICE生け贄と言う文字が浮き上がっていた。


 夜が明けるまで、親子は震える体を抱きあって恐怖を凌いでいた。父親や男が居ないのが心細いが、例え誰が傍に居ようとも何も出来はしないだろう。


 警察に電話をしようかと考えた。しかし警察に言っても信じてもらえるかどうか怪しい。人かどうか分からないモノが消えたのだ。消えたモノをどうやって証明すればいいのか、それは「悪魔の証明」と同じ事だ。見た事がないモノを一体どうやって証明すればいいのか分からない。理論上無理だ。考えても答えは出てこないから警察に電話するのを諦めた。


 やがて、遅い夜明けがやってきた。


 夏は朝が早い。午前4時を過ぎれば日が昇ってくる。太陽の日差しを受けると体の震えはおさまらないが、幾分かは落ち着いてくる。さっきのは幻だ。お互いに言い聞かせて娘に服を着せる事にした。恐怖で体が動かないが、いつまでも全裸で居る訳にはいかない。母親に掛けてもらったタオルケットを肩に掛けたまま少女は動く事にした。


 少女は自分の肌に付いてある嫌な体液と、臭いを落としにバスルームへ向かった。


 臭い。嗅いだ事のない嫌な匂いがする。ヌルヌルして気持ちが悪い。早く、この気持ち悪いモノから逃れたい……。体に触れられている感触がまだ拭えない。


 ううっ、考えるだけで胃液が逆流しそうだ。イヤダ、いやだ。早く忘れたい。


 数分後・少女はバスルームから出て、服を着替え始めた。何度も何度も体を洗い、臭いを確認する。さっきのは幻だ。夢だ。幻覚を見たのだ。もう、忘れよう……。


 着替えが終わるとリビングへ行き、落ち着く為に母親から入れて貰ったコーヒーを一口飲む。ほろ苦い味が口の中に広がっていく。そして、コーヒーが口から喉を通りお腹の中に納まっていく。


 途端に下腹部に痛みが走る。お腹の中にナニカがいるかのような違和感がある。その違和感はお腹の中で、うごめくように次第に膨らんできた。急激に膨らむお腹の痛み耐え切れず、床にうずくまり悲鳴をあげた。


「キャ————。い、いた、いたい——お腹が痛い。お母さんー助けて……いた、いたい、痛い——。た、たすけて、おかあさん——」

「どうしたの? ウワッ?————」


 母親はすぐに駆け寄り、娘のお腹を見た。下腹部が膨らんでいる。ついさっきまでスレンダーな娘のお腹だったが、今は妊娠しているのか? と疑うぐらい大きく膨らんでいる。一体何が起きているのか? パニックになりながら慌てて救急車を呼び、救急外来病院へと向かった。





 病院の診察では、臨月だと宣告された——。


 医師も診察しているので、彼女はバージンである事は確認済みだ。しかし、彼女は妊娠している。一体どうやって妊娠を?


「うそよ? うそ……。何で、どうして? 私は今まで男の人と付き合った事も無いのに————」


 うそだ! 絶対うそだ。頭の先から両手両足の指先に、脳内からの全否定! という震えが全身に駆け巡る。少女はパニックに陥ってしまった。高校生になって異性に興味を覚え始める年頃ではあるが、未だ交際をした事が無かった。部活動もせず、家と学校と塾通いが彼女の日課。


 その決められたルートを通る度に、いちゃつくカップルが目に付く。


 いいなあ~羨ましい。と横目にして通るだけで、自分は勉強しかない。と思いこんでいた。一応は自分の通っている高校は進学校で自分はトップクラスに居る。一流の大学へ行き、一流の会社へ入る。この時代に生まれ、親が有る程度の資産と地位に付いていれば、当然の成り行きになる。親の洗脳がその子の生き方に反映してくる。


 しかしながら、産婦人科医の診断で妊娠が発覚してしまった。性体験もないのに、どうして、わたしが……。


 まるで聖母マリアか? と思ってしまうが、連日見る悪夢。いや昨夜みたこの世の者とも思えない怪物。あの悪魔の様な者の子供だとしたら?……。


「キャッ——。い、いやだ…イヤァァァァアア————!」


 少女は一連の思いが頭を過ぎると、叫んでいた。診察室の部屋の中、椅子から転げ落ちる様に床に座り込み、頭を両手で抱え込みながら震えて叫んでいた。


 怖い、怖くてたまらない……。あんなモノが、自分の体内に居ると思うだけで目眩めまいがしてきそうだ。未知の恐怖。今の少女の頭の中には、魔物の未知の子供が生まれる事が恐怖となっている。お腹の中では、何かがうごめいている。ドクン・ドクンと、生命の鼓動が脈打っている。考えたくない。でも、お腹の中には何かが、いる……。



「イヤッ————。いやだ————!」


 少女は恐怖に駆られ、診察室を飛び出して裸足で外に駆けだした。


「由香ちゃん——。ま、待って——」


 もはや母親の言葉など少女に届かない。恐怖と絶望が少女の体に取り憑いてしまったからだ。後ろを振り返る事すらなく、少女は朝の街の中に消えてしまった。




 夜になっても少女は自宅に戻らなかった。


 ―重苦しい重圧に耐え、母親は一人自宅で少女からの連絡をひたすら待ち続けた。




 やがて、少女の連絡が入った————。


 その夜の未明。警察から少女の通っている高校の校舎の前で、変わり果てた姿となって発見された事を……。


 少女は自ら死を選び、高校の校舎の屋上から飛び降りたのだった。


 その少女のお腹は、何かが出てきた様に裂けていた。まるで、お腹の中から何かが飛び出して来たように、中から外に向かってめくれるように大きく裂けていた————。


 これが、女子高生連続不審死事件の最初の犠牲者だった……。

 




  

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