第10話「貴族勇者・4」

 俺はビルの屋上から赤く燃える夕焼けに向かって跳躍した。

 葛飾から調布までの約30kmを6分で跳び越える予定だから、時速にしたらおよそ300km。

 新幹線とほとんど変わらない。

 鳩か烏とぶつかってバードストライクでもやったら俺の木っ端微塵は確実だ。

 だから凄い風圧の中でも目は、何としてでも開けておく必要がある。


──ダメだ一瞬で目が乾く!

1回につき一瞬(0.2秒くらい)開くのが限界だ。


 着地の度にGoogleマップで方向を確認し、3度目の跳躍後、前方の夕焼けの中に漂う黒いもやが見えた。


 ──煙だ。地上から昇って来てる


 俺はその煙の下に魔神がいると判断し体を捻る。前から来る風を胴で受けて、風圧で進路を変えた。煙の発生源が目前に迫ると真正面から全身で風を受けた。

 空気抵抗で一気に速度を殺す。

 両腕両脚も広げてさらに減速し、俺は降下の体勢に入った。

 前方斜め下の住宅地のど真ん中に、周りの家屋より大きな黒い塊が暴れているのが見えた。

 スキルを再び発動し、瞬時に『跳躍力』から『攻撃力』にパラメータ操作の対象を変える。

 降下する俺はその塊に向かって脚を突き出し、上空から鋭い角度で蹴りを加えた。


「オラァァァァァァッッッ!」


 高速で眼前に迫った毛むくじゃらの塊に俺の右の踵が直撃する。

 魔神が派手に吹き飛び、地表でバウンドし巨大な車輪のように何度も回転しながら宙を舞った。

 俺は魔神を蹴った反動で空中に飛び上がり、宙で一回転してから着地する。

「どうだァッ、これが噂のライダー月面反転キックだぜ!」

 着地と同時に叫んだ。

 毛むくじゃらの魔神は回転しながら落下すると瓦礫の上で三度跳ね、ドス黒い血を撒き散らしながら一直線に転げて行き、コンクリートのマンションの壁面に突っ込む。

ようやく動きを止めた。

あちこちに魔神のドス黒い血と巨大な内臓が飛び散っている。

「ど、どっから降ってきたんだッ!」

 聞き覚えのある声が聞こえ、後ろを振り向くと莉音が目と口をぽかんと開いて俺を見ていた。

 濃紺の制服が粉塵で白っぽく汚れている。頬が切れて血が出ている。

 その後ろには、今気づいたが、3階建ての大きな住宅に背中から突っ込んでピクリともしない青いワイバーンがいた。

 状況的に、このワイバーンは莉音が召喚した魔獣だろう。

「あれれ、ひょっとしてお前ピンチだった?」

 俺は右手の平で口元を押さえながらニヤニヤして言った。

 途端に莉音の頬が赤くなり、頬が引きつる。

「何が可笑おかしい?! 言っておくがな、僕は住民の避難を最優先にしていたから魔神の攻撃をすべてワイバーンに受けさせたんだ!」

「ほー」

 俺は薄笑いを浮かべて相手を見る。

「本当だ!」

「まあどっちでもいいけど。でも今ので借りは返したからな、こないだのはチャラだぞ」

 俺は言った。

 莉音は一瞬何のことか分からないという顔をしたが、すぐグリフォンの件だと気付いたようで、

「何だ、君の辞書にも恩義の語があったのか。そういうことならその借りを返させておいてやろう」

 ホッとした顔でぐちゃぐちゃになった金髪を乱暴にかきあげる。

 俺は莉音から視線を離し、改めて周囲を見回した。

 この辺りは住宅街のようで、建物はほぼ民家とマンションばかりだ。

 かなりの数が物理的な力で破壊されており、あちこちから黒煙が上がっていた。火災が発生しているのだろう。

 早く魔神の駆除を報告して、消防車を呼ばなければいけない。

「ところで・・・・・・今のは何だ? その〈ライダー月面反転キック〉とやらが君のスキルなのか?」

 俺が自分のスマホを探して制服のあちこちを叩いていると、いつの間にか瓦礫の上に腰を下ろしている莉音が聞いてきた。

「いいや。あれはただの攻撃力5000のキックだ」

 俺は首を横に振った。

 すると莉音が驚いた目をし、それから力無く苦笑した。

「攻撃力5000ってどんなキックだ、はじめて聞いたぞ。君は本当に仮面ライダーか」

 半信半疑なのかジョークと思われたのか、莉音は呆れた表情で笑っている。

 金髪の頭をかきながら、おもむろに懐から何かを取り出した。

 見ると煙草だった。

「なんだよ、お前煙草吸うのかよ」

 キャラにそぐわない嗜好に俺が呆れた目を向けると、

「貴族がニコチンを摂取してはいけないという法はない」

 言って莉音はジッポでシュッと火をつけ美味うまそうに煙草を吸った。

「呆れた貴族だぜ。花輪くんみたいなキャラ作んなよ」

「でも、護るべきものは護った」

「あ?」

 莉音が鼻から灰色の煙を吐きながら呟く。青い目が俺を見た。

「どうせ播磨さんから聞いてるんだろ」

 言われて「あっ」と振り返る。

 ワイバーンの死体の向こうに大きな建物が見えた。

 あれもマンションのひとつだと思っていたが、目をこらすと建物の形状が異なっていることに気づく。

 恐らくあれが播磨さんの教えてくれた、関東屈指の規模を誇るという小児病院だ。

 煙も上がっておらず、ここから見たところでは損害を受けた様子はなかった。

「うわ、なんだよその自己犠牲」

 俺がやっと見つけたスマホを取り出しながらそう言い、瓦礫の上に座ると、

「犠牲になったのはワイバーンだ。僕ではない」

 少しトーンの低い声でたおれた翼竜を横目にした。

 また煙草を深く吸い、今度は口から竜の火炎みたいに一気に吐き出す。

「なあ」

「未成年に煙草はやらんぞ」

「ちげーよ」

「では何だ」

 俺は1メートル程空けて隣に座る莉音を見ながら尋ねた。

「お前ひょっとしてシスコンだった?」

「ハッ」

 今度ははっきり声に出して笑った。

 横目にこちらを見てくる。

「そうだな。竜胆リンドウは俺の憧れの人だったな」

 俺は播磨さんにとりあえず班のグループLINEで駆除完了の旨を伝えた。被害状況も短く書いたので、消防車の要請は魔神対策課が出してくれるはずだ。

「君は、貴族の本当の意味を知っているか?」

「なんだよ本当の意味って」

 俺が怪訝な表情をすると、莉音は2本目の煙草に火をつけて言った。

「貴族とはな、そもそもは古代中世の軍人のことだ。彼らが政治を担ったのは、彼ら自身が有事の際には命をかけて戦う責任を負っていたからだ」

「へぇー」

「僕はな、そういう人になりたいんだ。姉は僕にとってまさに貴族のような存在だった。彼女みたいな人間こそ、政治家になるべきだったんだ」

 莉音が遠い目をする。

 俺はLINEの着信音がしたのでスマホを確認した。

 播磨さんから『了解』の二文字だけの素っ気ないメッセージが返ってきていた。


 ──そういやジャンゴとは連絡ついたのかな?


 あとで聞いてみよう。

「あっ」

 俺はそこで気づいた。

 莉音を向く。

「お前、ひょっとして政治家になろうとしてんの?」

 俺は頬をひきつらせてそう尋ねた。話の流れ的には完全にそうだ。

 嫌な予感は的中した。

「当然だ。僕以上に適任の人間がこの日本のどこにいる?」

 言ってぼさぼさの前髪をかきあげる。

「今朝も首相の秘書と会ったばかりだ。いつか僕は父の地盤を継いで国会議員になるぞ。目指すはこの国の総理大臣だ」

「うわ、マジかよ」

 俺は顔を背けた。

 どうして政治家ってまともじゃない奴ほどなりたがんだろ。

 地方選挙の時なんて特に変な候補者が必ずいる。そういう奴は絶対あれだろ、目立ちたいだけだ。たぶん。

「僕は真の貴族になる」

 言って莉音は煙草の火を消し、携帯灰皿に吸殻を入れて立ち上がった。

 俺も膝に手をついてゆっくり立ち上がる。

 遠くから、複数の消防車のサイレンの音がこちらに近付いてくるのが聞こえていた。

「帰るか」

 莉音が小さく言った。

「だな」

 俺は頷いた。

 ふと思い付いて聞いてみる。

「なあ、グリフォンかなんか出してくれよ。帰りも跳躍はさすがにダルいわ」

「人の召喚獣を秘密道具みたいに言うな。駆除班特権のパスを見せれば公共交通通機関はタダで使える」

 莉音は歩き出しながら俺を見もせずに言った。

「京王線で帰んのかよ」

「文句があるなら跳べ」

 俺は肩をすくめる。

魔神の影響で止まっていた京王線が運行再開するのを待って、俺達は電車で新宿に帰った。


魔神の影響で止まっていた京王線が運行再開するまでの間、ホームで電車を待っていたときのこと。後ろから肩を叩かれた。

振り返ると、

「僕からのおごりだ」

莉音に見覚えのある赤と青の缶を渡された。

「日夜地べたを這いずり回る俺達に、翼を授けてくれる」

ぼろぼろの制服を着た莉音が真顔でそう言い、その飲み物を一気に飲む。

「どーも」

俺はその缶のプルタブを開けた。

どうやら特別駆除班の勇者は高確率でレッドブルが好きみたいだ。

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帰還勇者が多すぎると思ったら次々死んでいく件 @lostinthought

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