第9話「貴族勇者・3」

「なんでお前がここにいるんだよ」

 俺はうめいた。

 東京23区を俺と莉音で分担して巡回することになったのに、第一分庁舎のオフィスを出て2時間もしないうちに俺の目の前に莉音がいたからだ。

「それはこっちの台詞だ・・・・・・港区は僕の担当だぞ」

 莉音も俺を見て露骨に嫌な顔をする。

 俺の腕の中では、ばあさんがお姫様抱っこされている。

 莉音の腕の中には幼稚園児くらいの男の子が抱っこされていた。

「春樹ぃ」

「おばあちゃーーーん」

 砂浜に下ろされるなり2人は腕を広げて互いに駆け寄り、穏やかな紺色の海を背景にひっしと抱き合う。絵に書いたような感動の再会の光景だった。

 もはや世界名作的なアニメの最終回だぜ。

「ありがとございます、ありがとございます」

 ばあさんが俺達に向かって何度も頭を下げた。

「何がどうなっているんだ」

「知るかよ」

 担当エリアに含まれている江東区を俺が見回っていた時だ。

 木場町の歩道を歩いていると、突然後ろから腕を掴まれた。

 振り返るとそこには半泣きのばあさん。

「孫を探して欲しい」

 といきなり頼まれた。

 服装で警官と勘違いしてるのだと分かり、そう説明したのだが、孫とはぐれパニック状態のばあさんには伝わらない。

「孫ォ、わしの孫ォ」

 と腕に泣きつかれる。

 仕方なく孫とはぐれた状況を聞くうちに、孫が数日前からお台場海浜公園に行きたがっていたことが分かり、

「ひょっとして、ひとりで海浜公園に行ったんじゃ・・・・・・」

 俺がそう呟くと、

「わしをそこに連れてってくれろォ」

 ヤマンバの形相で抱きつかれた。

 ばあさんにドボドボ垂れる鼻水を袖に擦り付けられ、俺が悲鳴をあげて離そうとしてもどんな握力をしているのか、まったく離れない。むしろますます力が強くなってくる。

 昔テレビで見た日本昔話で似たような妖怪がいた事を思い出し、俺は戦慄すら感じた。

「タクシー拾えよ!」

 と叫ぶと、

「わしは年金暮らしだから、そんな金、ない!」

 なぜか怒鳴り返される。

「あんたお巡りじゃろ、公務員じゃろ、パトカーで連れてけ!」

「だから警官じゃねーよ」

 そう言ったが聞いてくれない。

俺は溜息をついた。

 ──お台場海浜公園のある港区は担当じゃねーけど、まぁほとんど江東区みたいなもんだしな

「しかたねぇな」

 俺はばあさんを両腕で抱えた。

いわゆるお姫様抱っこだ。

ところでこのばあさん、なんで頬を染めてるの?

「舌噛むから口閉じてろよ」

「へ?」

 きょとんしているばあさんを抱いたまま、俺は高く跳躍した。

 ビルの屋上を蹴って渡って海浜公園にくると、向こうからも誰かが跳躍してくる。俺はお台場の砂浜で子供を抱きかかえた莉音に鉢合わせした。

孫の春樹だった。


 莉音曰く。孫の春樹はおばあちゃんの目を盗んで、ひとりで木場町からバスに乗ったらしい。やはり春樹はお台場海浜公園に来たかったみたいだ。

けど他の大人にまぎれてバスを降りるとそこは海じゃなかった。戻ろうと思い別のバスに乗ったが、次に降りるとそこは見覚えのない場所(中央区)だ。

 たまたまそこを通りかかった警官を見つけ春樹は泣きながら走った。その足にに泣き付いたら、それが莉音だった。

 お台場海浜公園がある港区も中央区も巡回は莉音の担当だ。

「僕の担当地区に顔を出すな」

 莉音が横目で睨んでくる。

 俺も横目で睨み返した。

「うるせぇ。文句があんならこのばあさんに言えっつーの」

 俺達が黙って睨み合っていると、少し離れた砂浜の上で抱き合っている春樹の泣き声とばあさんの止まない嗚咽がここまではっきり聞こえてきた。


 ──ま、しゃあねーか


 そう思って何気に隣を見ると、莉音も頭をかきながら仕方なさそうな顔をしていた。


「とんだ茶番劇だったな」

 遠くで振り返って手を振ってくる祖母と孫を見送りながら俺が呟くと、

「まったくだ」

 莉音がくだらないB級映画を見たような口調で相槌を打った。

 レインボーブリッジの下を、小型の白いクルーザー船がゆっくり通過していく。

 俺は孫を抱いた莉音と鉢合わせした時から頭にあった疑問を投げかけた。

「あのよ」

「なんだ?」

「お前さ、 わざわざ子供抱えて走り回らくても、前みたいにグリフォン出して乗ったらよかったんじゃねーの?」

「ハッ、なぜ僕が走り回ったと自信を持って言えるんだ?」

 莉音はレインボーブリッジの方を向いたまま鼻で笑う。

「だってお前めっちゃ汗かいてんじゃん」

 するとハッとした顔を向けてきた。

 信じられないという表情で自分の顔をあちこち触り、恐る恐る手を見る。

 今度はギョッとした顔で俺を見た。

お主、なぜ気づいた?! みたいな目をしている。


 ──おい、もう頭弱いってレベルじゃねぇぞ・・・・・・


 俺が唖然として引き気味に見ていると、莉音は体裁を整えるために無理やり涼しい顔をした。

「馬鹿を言えッ」

 嘲笑する声を出した。

 いや馬鹿はお前のほうだろ。俺は可哀想なものを見る目で莉音を見た。

「君はむろん、僕のユニークスキルを知っているな?」

 莉音が突然聞いてくる。

「いや知らねー」

「そうだ、僕のユニークスキルは君も知っての通りあらゆる魔獣と召喚獣の契約を結ぶことのできる『強制契約デス コントラクト』だ」

「だから知らねーって」

「しかし何事にも原則はある」

 莉音は俺のツッコミを一切無視してひとりで続けた。

「『強制契約デス コントラクト』で召喚獣の契約をした魔獣は、一度しか召喚できない。つまり無闇やたらに召喚していいものではないのだ」

 派手に金髪をかきあげた。

 汗が飛んでくる。

 うわっ汚たねぇ。

「故に、あの子供を抱いてあちこち走り回ったのは実に合理的な選択と言える」

 俺が飛び退いて汗を避けたことも知らず、また格好をつけた声を出した。

「何が『何事にも原則はある』だよ。格好付けずに『本当は泣いてる子供を見捨てられなかっただけです』って素直に認めろよ」

 俺はイラッとし、からかうつもりで言った。

 すると莉音はこちらに背を向けて、

「僕は、貴族だからな」

 静かに言った。


 ──なにが貴族だよ、政治家の息子なだけだろーが


 俺はそう言おうとして、ジャンゴと播磨さんに釘を刺されていたことを思い出して咄嗟にやめる。

 俺が眉をひそめるだけで黙っていると、

「行きたまえ。ここは港区、僕の担当地域だ」

 莉音がつまらなそうな顔を向けてきた。

 俺は目を合わせなかった。黙ったまま右を向いて腰を落とし、跳躍の体勢に入る。

「はいはい、言われなくても行きますよ。じゃあ俺はまた小岩でヤンキーでも締めてくっか」

「君は一体何をやってるんだ?」

俺は聞こえなかった振りをして大きく跳躍した。

 足元にあった砂浜が一気に遠ざかる。

 大気を切って上昇する冷たさを顔や首筋の肌に感じた数秒後には、左側を振り向くとレインボーブリッジを走る車の屋根が見えた。

 眼下を見下ろす。

 莉音はもういなかった。


 午後4時53分。

「そろそろお役所は定時だな」

 俺はうっすら赤く染まりはじめた秋の夕暮れを眺めながら、座ったまま仰け反った。両腕を上げてぐーっと体を伸ばす。

 播磨さんに巡回は定時までと言われていた。

 もうオフィスに戻ってもいい頃だろう。

 俺は時間を確認するのに使ったスマホをズボンの太腿のポケットにしまった。

 こうして夕焼けを見ていると、この世界に魔神が出るとは思えない。

 今日は絵に描いたように平穏な秋の一日だった。

 あったことと言うと、バイクを盗もうとしてたヤンキーをとっ捕まえて警察署まで抱えてったこと。若いOLのグループに写真を頼まれたこと。あと孫を探してたばあさんを助けたくらいだ。

「まさか帰還勇者ってだけでOLにキャーキャー言われるとは思わなかったぜ」

 一緒に写真を撮った20代前半くらいの黒髪ポニーテールのOLを思い出す。

「スーツの似合う綺麗な女性ってほんといいよなぁ」

 思い出すとつい頬が緩んだ。

「あっ涎が」

 俺は慌てて手の甲で口の端を拭う。それから自分の頬を手で叩き、播磨さんに見せられるシャキッとした顔を作ってから立ち上がった。

 場所は葛飾区の廃銭湯の煙突の上。

 今日たまたま見つけた、昭和の情緒の残る下町が一望できる絶景スポットだ。


 ──さーてと、帰るか


 煙突の縁に立ち、跳躍の体勢に入りかけた時スマホが鳴った。


 ──あれっどこに入れたっけ?


 焦って制服のポケットをあちこち叩き、15秒ほどかかってようやく見つける。

 ディスプレイには〈播磨副班長〉の表示が。副班長は播磨さんの役職名だ。

「もしもし」

 俺は煙突の上に立ったまま通話に出た。すると、

『──え?』

 という引きつった声がスマホから聞こえる。

 播磨さんの声ではない。

 この声は莉音の声だ。

 俺は面食らったが、緊急時には同時通話をすることがあると思い出した。

 ひとりひとり電話をすると連絡が遅れるので、同時に複数人と通話を繋ぐのだ。

 察するに莉音と播磨さんが喋っているところに俺が遅れて入った形だろう。

『ふざけるな・・・・・・』

 莉音の呼吸の乱れた声が聞こえたかと思うと、通話を切るプッという音がした。

 いつもの格好をつけたキザな喋り方をしていなかった。素の声だ。


 ──どうしたんだ?


 はじめて聞いた声だったので俺は不審に思った。


「もしもし?」

 俺は状況が分からないまま、改めて呼びかけた。

 まだ播磨さんとは繋がっているはずだ。

『シン?』

 スマホから播磨さんの落ち着いた声がする。

「はい」

『魔神が出た、場所は調布市。ジャンゴとはまだ連絡が取れてない。あなたは今すぐ現場に向かって』

 冷静な声で播磨さんが告げた。

「調布ってギリ23区の外っすよね・・・・・・魔神は特に人口密度の高いエリアに現れるんじゃ?」

 俺は疑問を口にしながら、夕日を頼りに調布のある西南の方角の見当をつけた。

 叔父夫婦に引き取られるまでは世田谷に住んでたから、調布市が世田谷区に隣接していることは知っている。

『魔神の出現と人口密度が相関関係にあるのは確かだけど、必ずという訳ではない。頻度の問題よ』

「あっ、そうか」

 俺は納得した。

 連絡と指示を終えた播磨さんが通話を切りそうになり、俺は咄嗟に尋ねた。

「あいつ、どうかしたんですか?」

 すると播磨さんは鋭い声で、

『早く現場に向かって』

「もう向かってます」

 俺は嘘をついてスマホにワイヤレスイヤホンを付ける。それから煙突の縁から跳躍し、宙でイヤホンを耳にめた。

 スマホの向こうが沈黙している。

 通話が切れたのかと思ったが、まだ繋がっていた。不意に播磨さんが慎重に言葉を選んで喋り出した。

『莉音が・・・・・・亡くなった周防大臣の一人息子ということは話したでしょ』

「はい」

『名古屋で周防大臣が魔神に襲われた時、莉音の姉も、一緒に亡くなってるの』

「え?」

『莉音の姉、周防竜胆リンドウは有名な非営利団体の創設者で、難病の子供への支援を訴えていた。ある日本の大企業が難病を扱う小児病院へ多額の寄付をしたのも、彼女が経営陣を説得したからだと言われてる』

「それとさっきの莉音の様子になんの関係が・・・・・・?」

 播磨さんは俺の察しの悪さに呆れたのか、スマホの向こうで息を吐く音が聞こえた。

『調布には関東屈指の規模を誇る小児病院がある』

「あッ」

 そういうことか。

『しかもそこは周防竜胆が頻繁に訪問していた病院。というより、彼女は小学生の頃その小児病院に半年ほど入院していたみたい』

 頭の中で莉音のさっきの声と魔神、調布が一本の線で結ばれる。

『とにかくあなたは調布に急いで。莉音は動揺して冷静な判断が出来ないかもしれない。連絡がつけばジャンゴも向かわせる』

「うっす」

 俺は通話を切ると、スマホを手にしたまま手近なビルの屋上に跳び上がった。

 着地し、すぐにGoogleマップで調布の正確な方角を調べる。

地図が表示される。どうやら俺の方向感覚は思ったより良いみたいだ。


 ──オルタナティブ・スキル発動


 俺は能力──全てのステータスのパラメータを最弱値・・・にする代償と引き換えに、特定のステータスのパラメータだけを思いのままに変えられる能力──で『跳躍力』を〈無限・・〉にした。

『跳躍力』はその名が示す通り、魔力を使わずに跳べる〈高さ・飛距離〉を決定するステータスだ。この数値が高いほど重力を無視するかのように自在に高く跳ぶことが出来る。

ちなみに俺のその初期値は〈13〉で、全力を出しても真上に1.7メートルしか跳べなかった。


 俺は能力の発動と共に目を閉じて呼吸を止め、感覚を研ぎ澄ました。

それから静かに腰を落とし、調布に向かって跳躍の体勢をとった。


 ──石橋を叩いて渡るつもりで跳躍を3回に分けるなら、いまの俺に必要な『跳躍力』は・・・・・・


 能力発動の代償で今は『跳躍力』以外のすべてのステータスが死んでいた。もちろん肉体の強度である『防御力』も例外ではなく、『跳躍力』以外のすべてのステータスのパラメータは「1」になっている。

実験したことはないが、普通に考えるなら跳躍による過度な高速移動は風圧で俺の肉体を崩壊させるはずだ。

だからパラメータを〈無限〉にいじれるといっても、実際には死なない程度の数値に制限する必要があった。


俺は経験則・・・でいま必要な『跳躍力』の数値を設定する。


 ──だいたい〈1200〉でいっか


 Googleマップによると、ここから調布までは直線距離でおよそ30km。

 6分あれば足りるはずだ。

 俺は両脚に力を込めると、ビルの屋上から夕暮れの迫る西南の赤い空に向かって、助走なしで跳躍した。

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