第7話「貴族勇者・1」

 目が覚めると、目の前に見知らぬ天井があった。


 ──いや、目覚めてすぐこの白いモルタルの天井を見るのは3回目だな


 俺が働くことになった〈勇者庁魔神対策課特別駆除班〉の新宿寮だ。

 1LDKの一人部屋。

 うつ伏せになって手を伸ばし、うるさく鳴る目覚まし時計を消す。まだうるさい。三つ消してやっと静かになった。

 定番のベル音と「エリーゼのために」と「めざせポケモンマスター」の合奏はさすがに目が覚めるぜ。

 俺は寝転がったまま伸びをしてからベッドを出、カーテンを開いて朝日を浴びた。眠気に打ち勝つために2回深呼吸し、3回目は息を吐く代わりに腹から声を出した。

「おっしゃ!今日も1200万ッ!」

 朝7時。

 公務員生活4日目が始まる。


「おはっす!」

 扉を開けた。

〈勇者庁第一分庁舎〉の7階、〈魔神対策課特別駆除班A班〉のオフィスだ。

「おはよう、シン」

 中に入ると先に居た播磨さんが自分の机から俺をチラッと見、挨拶を返してくれる。

 残念だがもう破廉恥な魔女コスではなく、特別駆除班の濃紺の制服姿だ。

 もっともその程度では溢れかえるおっぱいの存在感を隠しきれていない。

 この職場の良いところのひとつは朝から播磨さんのたわわな胸を拝めることだ。

「今日も10分の遅刻だぞ。税金で飯を食う人間の自覚ぐらいは持て」

「うっす、気ぃつけます」

 朝から紙の書類に目を通していたジャンゴに頭を下げ、俺は自分の机につく。

「今日も寝坊?」

 播磨さんに副班長席から尋ねられ、

「いやっ、今日は昨日買った目覚まし三つ使ったんで7時に起きれたんすけど、眠気覚ましに腕立て伏せした後ベッドで休んでたらそのまま寝落ちしちゃって。次に目が覚めたら8時30分っした」

「それは俺達の始業時間だ」

「いやーもうびっくりっすよね」

「他人事みたいに言うな。気をつけるなら有言実行で応えろ」

「・・・・・・はい」

 ジャンゴに書類越しに睨まれ、気まずくなって俺は目を逸らした。

 視線を戻すとジャンゴはもう仕事に戻っていて、難しい顔でiPadを操作し、紙の書類にボールペンで書き込んでいる。


 ──真面目だなぁ


 書類仕事をまだやったことない俺は、ジャンゴのテキパキした動きをしばらくボーッと眺めた。

 俺達の本業は異世界から現れた魔神を「駆除する」──〈庁〉では魔神を倒すことをそう呼んでいる──ことだが、束の書類と向き合うのも仕事量の多くを占めている。

 そのほとんどが政府関係者からの魔神に関する情報提供の要請への返答と、魔神の生んだ損害、魔神駆除で発生した人的物的損害の政府賠償に関することらしい。

 もっとも政府賠償の意味を俺は知らない。どーせ難しい説明が返ってきそうなのであえて聞くつもりもない。


 と、俺は莉音リオンの口うるさい声が飛んでこないのに気付いた。

 昨日も一昨日も、というかここで働き始めてから毎朝、

「貴様、公務員たる勇者が遅刻するとはどういう了見だ!?」

 と顔を真っ赤にしてくるのに今日は静かだ。

 不思議に思ってオフィスをぐるっと見渡した。広さは学校の教室2つを合わせた程度だ。殺風景な中に誰も座っていない事務机が並んでいる。

 名古屋の事件で勇者がかなり死んだので、そちらに派遣されていて何人か居ない班員がいるそうだ。

 同じ事務机が並ぶ中で唯一、社長机みたいな立派な因幡班長の席は空席。

 これはいつものことなので特に問題ない。

 で、いま机に座っているのはジャンゴ、播磨さん。


 ──あれ?


 金髪生意気坊ちゃんこと周防すおう莉音りおんの姿が無い。

 いま寮に住んでるのは俺とジャンゴ、莉音の3人だ。

 播磨さんは自分で金を出して区内のタワーマンションに住んでる。

 ちなみに全員独身。

 寮だと出勤時間に合わせて、朝8時にあのリムジンが迎えに来てくれる。ジャンゴと金髪は毎朝それで出勤している。

「金ぱ・・・・・・莉音は一緒じゃなかったの?」

 聞くと、ジャンゴが一瞬だけこちらを見て言った。

「莉音は今朝の通勤リムジンには乗ってない。まあ、そのうち来るだろ」

「えっなんで?」


 ──俺の遅刻を「万死に値する」とか平気で言う癖に


 扉を開けて入ってきたらすかさずからかってやるぜ、と俺がニヤついていると、

「シン」

 呼ばれて振り返る。

 播磨さんがこちらを見ていた。

「言ってなかったもしれないけど、莉音は前防衛大臣の一人息子なの。その関係で色々あるのよ」

「えっ、あいつ政治家の息子なんすか?」

 俺は驚いた。声がちょっと裏返る。

「やっぱりあいつお坊ちゃんかよ」

 莉音の金持ち臭いキザな面を思い出す。

 キザな言葉遣い、俺を見下した態度、ナルシストな仕草。

 その理由も大臣の息子といわれたら簡単に腑に落ちた。

 俺とは真逆のイージーモードの人生、ぬくぬく温室育ちの坊ちゃんだ。相当甘やかされて来たんだろうな。

「親の顔が見てみたいぜ」

 ──後で〈庁〉から仕事用に支給されたスマホを使って検索してやろう

 そう考えていると、

「その言葉、絶対に本人の前で言うなよ」

 ジャンゴに強い口調で釘を刺された。

 ──なんだよ、ジャンゴも政治家の権力には弱いのかよ

 俺が白けた顔をしていると播磨さんが真面目な声を出した。

「2ヶ月前に、上級魔神が名古屋を襲った話はしたでしょ」

「はい。チートスキルを持った魔神が出て25人の帰還勇者が全滅したっていう」

「その時、周防大臣も亡くなってるの。25人もの帰還勇者がその場に居たのはそもそも、万が一に備えてだった。首相と防衛大臣が名古屋を訪問したタイミングで魔神が現れて、死んだりしないように」

 播磨さんの眼光が鋭くなる。

 瞬間、オフィスの温度が少し下がった気がした。

「今までの統計から、魔神は人口密度の高いエリアに現れる傾向があると分かっている。名古屋にもそれまでに2度現れていた。だからその日も厳戒態勢ではあったんだ」

 ジャンゴが付け足す。

 俺は無い頭をひねって、それらしい言葉を選んだ。

「特別駆除班の失態、ってことですか」

「それもある。でも莉音に関しては、この事は人として言ってはいけない」

 播磨さんにも、そう釘を刺された。

 俺は頷いた。

「了解です」


 ──なんだよ、あいつキャラに似合わない重ための過去持ってたのかよ


 そう思いながら頬をかいていると、俺はひとつ疑問を覚えた。

「あの、その魔神って因幡班長がここからワンパンチで倒したんすよね?」

「そうよ」

「じゃあ特別駆除班なんて無くても、全部因幡班長に任せりゃいいんじゃないんすか?」

「それは不可能」

 播磨さんは目を閉じて首を横に振る。

「なんでなんです?」

「因幡班長はな、一日20時間寝るんだ。何かあった時には大抵起きていない。無理に起こせばこっちがられる」

 ジャンゴが深刻な声を出した。

 播磨さんを見る。

 こっちも真面目な顔で頷く。

「まじ・・・・・・かよ」

 俺は呻いた。


 ──20時間って、コアラじゃん



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