第6話「勇者庁に連行された件・完結編」

「このひとが新しい勇者ぁ?」

 小さな女の子が身を乗り出し、俺をまじまじと見つめて言った。

 場所は新宿区にある勇者庁の庁舎。その最上階の1階下に入っている『魔神対策課特別駆除班・A班』のオフィス。

 そのオフィスに入るとなぜか少女がいた。

 窓の向こうの青空をバックに社長椅子みたいなのに座って、嬉しそうな笑顔でこちらを見てくる。

 腰まで届く白髪。眉の上で切り揃えられた前髪。耳の後ろで小さなおさげを作った少女・・・・・・というか完全に幼女だ。

 今は椅子に膝立ちになり、机に手をついてガバッと身を乗り出している。

 兎みたいに大きな目が新しいオモチャでも見つけたみたいに爛々らんらんと輝いていた。

「なんすかこのロリ」

 俺はその幼女の隣に立っている破廉恥な魔女コスの播磨さんに尋ねる。

「失礼だぞ貴様、この方を誰だと思っている?!」

 即座に俺の後ろにいた金髪─莉音リオン─が声を荒らげた。

「誰って、それが分からねぇから聞いてんだろ。お前馬鹿かよ」

 呆れた顔を金髪に向ける。

 わかっていれば聞いたりしない。というか俺は昨日この世界にやっとこさ戻ってきたんだ。この子の事を知っている方がおかしい、ロリ専門のストーカーじゃねえか。

「馬鹿とはなんだ君は!さっき助けてやったのを忘れたのか?!」

 金髪がヒステリックに叫ぶ。

 播磨さんが冷たい声を出した。

「ふたりとも黙りなさい」

 凍ったアイスピックで背中をなぶられるようなゾッとする殺気に気圧され、俺と金髪はビクッと体を震わす。

 怯えた俺達が黙ると、

「ここは腐っても役所。騒ぎたいなら5時以降にしなさい」

 播磨さんは重ねた。

 ──あ、定時以降はいいんだ

 俺は播磨さんの顔色を伺いながら改めて恐る恐る尋ねた。

「それで・・・・・・その子はどちら様で?」

 いかにも高級そうな重厚な机を前に座った幼女をちらっと見る。

 目が合う。

 すると、くりくりした大きな目がニコッと笑った。

 たぶん小学校でいうと2年生か3年生くらいだと思う。ガチのロリっ子だ。

 なんでこんな子が役所のオフィスにいるんだよ。

 マジで頭が混乱する。

「この方が先ほど説明した私達の直属の上司、勇者庁魔神対策課特別駆除班A班の責任者、因幡ヒミ子班長です」

 俺はギョッとして目を剥いた。


 ──このロリ・・・・・・いや、このひとがさっき聞かされた『最強の帰還勇者』だと・・・・・・?


 20分ほど前、魔神ミノタウロスを倒した俺は再びリムジンに乗り、しばらく走ったあと見知らぬ建物の前で降ろされた。

 播磨さんと金髪も一緒に降りる。

「あれ? ジャンゴは降りないの?」

 振り返って聞くと、車内からジャンゴが、

「俺はこのまま厚生労働省に行って帰還勇者の担当者を連れてくる」

 直後に自動でドアが閉まり、リムジンは静かに走り去った。

「それにしても君、本当に酷い臭いだな」

 白い絹のハンカチで口と鼻を押さえた金髪が気分の悪そうな声を出す。

「俺が一番わかってるっつーの」

 全身に浴びた魔神の血が汚物の臭気を放っていた。

 あっちの世界でうっかり宿屋の裏庭にあった肥溜めに落ちた時とそっくりの臭いだ。

「本当にここでシャワー浴びられるんすか?」

 謎の建物の入口に向かう播磨さんの背中に投げかける。

 播磨さんは歩きながらちょっとだけ俺を振り向いて答えた。

「地下にシャワー室があるから案内する。着替えも用意させるから」

 そう言う播磨さんのあとを口元からハンカチを放さない金髪が追う。

「早く来たまえ」

 金髪が苛立たし気に振り返った。

 俺は二人の後を追ってそのホテルにも見える洋風な外観のビルの入口に向かう。5段しかない階段を昇って回転扉を押そうとして何気に左側の壁を見ると、

『勇者庁第一分庁舎』の文字があった。


 播磨さんに案内されて地下1階にあったシャワー室を借りた。

 髪を濡らし固まりかけていた魔神の血は、備え付けのメリットで2回強めに洗うとすぐに落ちた。

「すげぇ!この世界の文明すげぇ!」

 メリットを通じて久しぶりにこの世界の科学力を目の当たりにした俺は抑えきれず興奮の声をあげた。

 あっちの世界じゃ、頭を洗う石鹸と言えば動物や魔獣の油に灰を混ぜて作られた粘土のようなものしかなかった。

 たいして汚れが落ちもしないくせに値段はする。

 だから住み込みで貧乏暮らしをしていた俺には頭を洗うことすらままならなかった。

 なのにこのシャワー室は湯が使い放題だし、メリットだって何回プッシュしても怒られない!

 贅沢に2回プッシュして必要も無いのに頭をまた洗って3度洗いしても、誰も何も言わない!

「うっひゃあああああああああああっ」

 俺は全身泡だらけになって顔面に最大水量のシャワーを浴びながら雄叫びをした。

「遅かったね」

 用意されていた着替えを着てシャワー室を出ると外でセクシーな魔女──播磨さんが壁に背を預けて待っていた。

「飲む?」

「あざっす」

 ワイシャツとスーツのズボンに着替えた俺に缶ジュースを手渡してくれる。

 礼を言ってプシュッとプルタブを開けてからラベルを見るとレッドブルだった。

「シャワー後にレッドブルすか?」

「日夜地べたを這う私達に翼をくれるからね」

「なるほど」

 俺は頷いて1口飲み、この世界の飲み物のうまさに目頭が熱くなる。

「うめぇ・・・・・・」

 半泣きで一気に飲み干した。

 播磨さんが自分のレッドブルの缶と俺の缶を一緒に自販機脇のゴミ箱に捨て、歩きながら、勇者庁とこれから会う人のことを簡単に説明してくれた。


「異世界に転移した勇者がこの世界に帰還し始めてしばらく経った頃、世界各地に魔神が出現するようになったの。はじめは帰還した勇者が自発的に魔神と戦ってたんだけど、いよいよ魔神の出現が頻繁になって、日本政府は帰還勇者を集めて新しい〈庁〉を発足させた。それがここ、勇者庁」

「名前から想像したまんまっすね」

「そうだね。で、今から君が会うのが私達の直属の上司。正確に言うと勇者庁魔神対策課特別駆除班A班の班長。名前は因幡ヒミ子」

「昨日言ってた2日半でダンジョンをクリアしたって人ですか?」

 エレベーターに向かう播磨さんの後を歩きながら俺は尋ねた。

「そう、そのひと。帰還勇者の間では『最強の帰還勇者』って呼ばれてる。ちなみにダンジョンはクリアしてない」

「え? どういうことっすか?」

「因幡班長のユニークスキルは瞬間的に自身の攻撃力を『百乗』できる能力。しかも視界に入ったものなら、どこからでも攻撃出来る・・・・・・・・・・・

「どこからでも?」

 驚いた。

 典型的なチートじゃん。

「そう。本人の説明だと、たまたまその世界で知り合った魔導師の力を借りてダンジョンから最上階にいる魔王の姿を視認し、遠隔攻撃で倒した。だから彼女はダンジョンには一歩も入ってない・・・・・・・・の」

「へぇー」

 まさかダンジョンの外から魔王を倒す奴がいるとは。

 説明を聞く限りは確かに強そうだ。

「なんか本気で強そうっすね」

「強いよ。2ヶ月前に勇者が25人がかりで倒せなかった名古屋に出た魔神を、ここからドローンの中継を使ってワンパンチで倒したんだから」

 今度はエ゙ッと驚きの声が洩れた。

 マジか。さすがに〈ここからワンパンチ〉はチートもチートだろ。

 てかその因幡って人もだけど、25人がかりで倒せなかった魔神って何だよ。


 ──最近のこの世界はどうなってんだ?


「ところで百乗ってどれくらいの威力なんですか?」

 自慢じゃないが俺は数学がちっとも出来ない。分数の割り算とかマジ意味わからん。未だに解けない。

 播磨さんがエレベーターのボタンを押しながら言った。

「因幡班長の通常の攻撃力は10」

「ってーと10を100回掛けた数ってことだから・・・・・・えっと、いくら?」

「グーゴルだね」

「グーゴル?」

 ぽかんと聞き返すと、播磨さんが「あっ」という表情で俺を見た。

「忘れてた。節電でエレベーター止まってたんだ」


 階段で7階まで登る。

 8階建てというからほとんど最上階だ。

 階段を登りきると幾つかある扉のひとつの前で腕組みして立っている金髪の横顔があった。

「待ちくたびれたぞ」

 苛立ちが分かるトーンで横目に見てくる。

 こいつ常にイライラしてない? カルシウムが圧倒的に足りてないんじゃね?

「お前、食生活見直した方がいいぞ」

「何の話だ!」

 金髪が声を荒らげる。

 そういうところだよ

「ここは役所。二人とも静かにしなさい」

 静かだがゾッとするほど鋭利な声音で播磨さんに忠告され、俺達は身震いして黙った。

 俺達が大人しくなるのを確認してから、播磨さんは金髪が前に立っていた扉を軽くノックした。

「はーい、どぉーぞぉー」

 俺の聞き間違いだろうか。

 中から小学校低学年くらいの女の子の声が聞こえた。

「え?」

 戸惑う俺をよそに播磨さんは扉を開けて中に入る。

「貴様も入るんだ」

 背後から金髪に促され、俺は何が何だかよく分からないままその部屋に入った。


 ──そういや、俺がここに連れてこられた理由ってそもそも何なの?


 中に入ると、俺はゆっくり部屋を見渡した。

 そこには青空を見せてくれる大きな窓を背景に、社長椅子みたいな立派な革の椅子に座った、幼い女の子がいた。

 俺達3人の他はその子しかいない。

 白髪の美少女だった。

「このひとが新しい勇者ぁ?」

 俺を見るなり机に身を乗り出し、隣に立った播磨さんにそう尋ねた。

 ロリ──いや因幡さんは、口論する金髪と俺が播磨さんに叱られるのを楽しそうに見た後、

「この勇者つよいの?」

 こっちを見て首を傾げた。

「さっきミノタウロスの魔神を倒してきたところだ」

 俺は軽く胸を張った。

「ふーん」

 唇を尖らせる因幡さん。

 その表情で5秒ほど固まってから、ふと横を向き、

「ミノタロスって?」

「ミノタウロスです。牛の頭をした下級魔神のことです」

 播磨さんが丁寧な口調で教えた。

 ああ、と言う顔をする白髪幼女。


 ──何?


 俺は唖然となる。


 ──この子、班長なのに魔神の名前がわからないの?


 俺は信じられないものを見る目で、眼前の子供をまじまじと見つめた。

 本当にこの子が25人の勇者が束になっても敵わなかったっていう魔神を倒した最強の勇者なのか?

「あれ雑魚ぉー」

 因幡さんが眉を寄せて口をさらに尖らせた。これは嫌いな食べ物を出された時に子供がする顔だ。

「魔神に雑魚ってなんだよ雑魚って!」

 俺は因幡さんの言葉に思わず声が上ずった。


 ──それもはや概念崩壊じゃない?


 すると後ろからキザな声が、

「魔神にも強さの程度はある。確かにあれは雑魚、肉弾戦しかできない下級魔神だ」

「えっそうなの?」

 振り向くと、金髪が勝ち誇ったような笑みで前髪をかきあげた。

「ハッ、そんなことも知らないのか君は!絵に書いたような愚か者だな!」

「昨日異世界から帰ってきたつってんだろッ」

「騒がない」

 また播磨さんに釘を刺される。

 俺と金髪はまたビクッと震えた。

 恐る恐る見ると、氷の如く冷たい目をしたセクシー衣装の魔女の隣では、白髪の幼女が小さな手で口を押えてクスクス笑っている。

 明らかに叱られる俺たちを見て笑っていた。

「この世界では魔神にもランクが付けられてるの」

 播磨さんが手短に教えてくれた。

「肉弾戦しかできない魔神を私達は下級と呼んでる。今日君が倒したやつがそれ。中級は魔法が使える魔神。上級はユニークスキルを持つ魔神」

「魔神がユニークスキル?」

 思わず口を挟んだ。


 ──そんな魔神がいるのか?


「はじめてその魔神が確認されたのは2ヶ月前。25人の帰還勇者を全滅させた魔神は魔法攻撃とは別に〈ユニークスキルを封じるユニークスキル〉を持っていた。だから25人が全員、殺された」

 仲間を殺した魔神への怒りなのか、播磨さんの眼光が僅かに鋭くなる。

「それまで魔神は肉弾戦しかできない〈低級魔神〉と魔法が使える〈上級魔神〉に分けられていたけど、その一件から三段階に分類が変わったの」

「僕らはその魔神〈双頭のミノタウロス〉を別名〈シン・魔神〉とも呼んでいる。上級はまだそいつ一体しか出現していないがな」

 金髪が付け足した。

「なるほどね」

 俺は頷く。

「それはそうと、何で俺、ここに連れてこられたんですか?」

 目の前の幼女と播磨さんを交互に見る。

 まだその理由を聞かされてなかった。

 と背後で扉が開き、ジャンゴが入ってきた。スーツ姿に眼鏡をかけた七三分けの中年男性を連れている。

「遅くなった」

 ジャンゴが播磨さんと幼女に向かって言う。謎のスーツ姿の七三は無言で会釈をした。

「シン」

 播磨さんが静かに俺を呼ぶ。

「はい?」

「君をここに連れてきたのは、今君に、私達と一緒に〈魔神〉と戦ってくれるか否かを決めて欲しいから」

「えっ今ここで決めるんすか?」

 驚いて聞き返すと、

「持って帰られると、色々悩んで、そのままズルズル行っていつまでも決められなくなるからね」

「つまり、モラトリアムだ!」

 金髪が力を込めて言った。

 俺の今後の人生がかかってんだからちょっと黙ってろよ。

「決められなくなるもんすかね」

「うん。モラトリアムは一度嵌はまったらそう簡単には抜けられなくなるから」

 播磨さんは俺をまっすぐ見る。

 それから静かに続けた。

「調べさせてもらったけど、君、児童養護施設にいたんでしょ?」

 その言葉に俺はドキッとする。

 思わず振り向いたが、金髪もジャンゴも何も反応しなかった。

「まあ、そうっすね」

 俺は冷静に見えるよう意識して、小さく頷いた。

「児童養護施設は18歳、高校を卒業するまでしか居られない。君はもう年齢的には今年の春に卒業してる。現行の日本の法律だと、もう君は施設には戻れない」

「あっ・・・・・・」

「ちなみに勇者庁に登用されていない帰還勇者が、向こうで身につけた異能力を使うことは法律で禁止されてる。だから当然その力で稼ぐことも違法扱い。そういうのを脱法勇者と言って、場合によっては私達が実力で対処することになる」

 播磨さんの言葉に絶句した。


 ──異能力で稼ぐのが違法?


「まじかよ・・・・・・」

「でももし勇者庁で公務員として働くなら、タダで寮にも住めるし、官僚と同等の給金だって支払われる。腕に自身があるならこんな天職は他にないよ」

 播磨さんが微笑んだ。

 優しいというより、どこか怪しい目付きで。


 ──この人は心の底では何を考えているんだろう?


 俺は腕を組み、俯いて大きく息を吐いた。

 自分でも分かってるけど、俺は頭が良くないから、難しいことを考えても思考がこんがらがるだけだ。

 チラッと目を上げ、大きく胸を露出した魔女コスの播磨さんを見る。


 ──他に帰る場所もない。今さら叔父さんの家に住まわせてもらうのも気が引ける

 ──けどここで働けば住む場所がある

 ──美人の先輩がいて、官僚と同じくらいの給料がもらえる

 ──魔神と戦う人生なんて、どう考えても普通じゃないが、一種のサラリーマンだと思えば「普通」の範囲かもしれない


「あの、その給料ってどれくらい貰えるんですか?」

「君の場合なら、初年の年収はボーナス入れてだいたい1200万くらいかな」

「いっせ・・・・・・」

 頭が真っ白になる。

 直後、俺は反射的に叫んでいた。

「なります!」

「早いね」

 播磨さんが笑う。

 怪しさのない彼女の笑みを見たのはそれがはじめてだった。

「魔神と戦う公務員になります!ならせてください!」

 俺は興奮して右手を上げて叫び続けた。

「うるさいぞ貴様ッ」

 金髪が迷惑そうな声を出す。

 俺は振り返って、眉をひそめている金髪に、

「だって1200万だぜ?!PSP何台買えると思ってんだよ?!」

「なぜPSPを何台も買うんだ。ひとりでモンハンの通信プレイでもする気か」

 呆れた目をされる。

 気にせず向き直ると、

「じゃあ、この書類にサインして貰えるかな」

 播磨さんが一枚の書類を出してきた。

 ボールペンも一緒に渡してくる。

「こっちもお願いします」

 とジャンゴが連れてきた七三分けも別の書類を渡してくる。

「これは?」

 二枚の書類を手に俺はまわりの人間をキョロキョロ見た。

「一枚が厚生労働省の帰還勇者の登録証明の書類。そっちの播磨が渡したのがお前を勇者庁に登用するための書類だ」

 ジャンゴが指さして教えてくれた。

「こんなの一枚でいいの?」

 聞くと、これはスーツ姿の七三分けが答えてくれた。

「取り急ぎこの一枚で大丈夫です。後日、厚生労働省の方から呼び出しがあると思いますが、その際は写真等を撮らせて頂くことになります。場合によっては抗体検査等もさせて頂く恐れがありますので、その際は何卒ご容赦ください。また、写真撮影後になりますが省の方から勇者様の証明となる公共交通機関等が自由に利用できる専用パスをこちらに送らせて頂きます」

「あっ、ご丁寧にどうも」

 俺が会釈をすると七三分けも会釈を返してくれた。綺麗な頭の下げ方だ。

「ところでこの人、誰?」

「厚生労働省の大村さん。ウチの班がよく世話になってる」

 ジャンゴが言うと、

「恐れ入ります」

 大村さんはまた上品に会釈した。

「これで、いいかな?」

 俺は播磨さんと大村さんに教えてもらいながら書類を書き終える。

 大村さんはゆっくり目を通してから、

「問題ありません」

 播磨さんも、

「字が汚いけど他は大丈夫だね」

 そう言った。

 ──汚くてすんませんね

 俺が心の中で苦笑していると、

「因幡班長、お願いします」

 播磨さんがその書類を幼女の前に置いた。

「はぁーい」

 因幡さんが先生に当てられたみたいに頭の上にサッと手を上げる。そして、

「やぁっ」

 と愛嬌のある声を出し、その手を書類の上にかざした。

 瞬間、書類が闇のような黒に染まる。同時に名前欄にボールペンで書いた俺の名が青白く光った。

 けど、まばたきをしている間に書類はまた元の真っ白い紙に戻っていた。

「今・・・・・・のは?」

 キツネにつままれた気分で尋ねると、

「君を勇者庁に登録する最後の仕上げ。この書類にはウチの魔導師の〈契約の呪い〉がかかってて、その発動には班長の魔力が必要になる。具体的には、名前を書いた本人とこの書類を対応付けることで〈勇者庁との契約〉を締結させ、その勇者を〈庁〉が一元的に管理できるようになる」

 播磨さんが説明した。

 俺はなんとなくしかわからないまま、へぇーと頷いて、すぐ疑問を口にした。

「それのどこが〈呪い〉なんですか?」

「ちゃんと読まなかった? 登用された勇者が主人である〈庁〉の命令に反する時は、能力の発動が自らのダメージになるっていう〈契約〉。ほら、ここに書いてあるでしょ?」

 俺は言われてはじめてその文を読んだ。

 確かにそう書いてあった。

「うわっほんとだ」

「本物の馬鹿だ」

 背後で金髪が呆れた声を出した。

 カチンときた俺は振り返って睨み付ける。

「馬鹿で悪かったな!仕方ねえだろ、書類書いたのなんて生まれてはじめてなんだからよッ!」

「自分の命がかかった重要な契約書類だぞ?!」

「やめろ二人とも、もう契約は済んだんだ。今さらどうこう言っても遅い」

 ジャンゴが間に入ってくる。

 俺はその言葉に乗っかった。

「そうだぜ、今さら言っても遅ぇんだよ!」

「それは君自身への特大ブーメランでもあるぞ」

「あ、あれ?」

 金髪の指摘がクリティカルヒットし、二の句が継げなくなる。

 因幡さんがぐずる声を上げた。

「播磨ぁ、もう帰っていい?ヒミもう飽きたぁ」

「そうですね、もう班長の今日の仕事は終わりました。今すぐ帰宅のリムジンを呼びます」

「リムジンお外で待つ!」

「分かりました」

 せがまれた播磨さんが因幡さんの手を取って部屋を出ていく。

 今気づいたけど、制服を着ていないと思ってたら、因幡さんはワンピース風に改造されたものを着用していた。

「改造制服とかヤンキーじゃん」

 俺が呟くと、

「班長は『可愛くない』と嫌がってこの制服を着たがらない。それで特例として、あのデザインになった」

 とジャンゴ。俺は苦笑いした。

「そんな理由かよ」


 ──なんか保育園みたいになってたな


 手を繋いで部屋を出ていく二人の後ろ姿が脳裏をよぎり、そう思った。

「何にせよ、これでお前は『勇者庁魔神対策課特別駆除班』の職員だ」

 ジャンゴが190センチの高さで俺の前に立つ。

「よろしくな」

 右手を差し出された。

 俺は握手などほとんどしたことがなかったので、自分の手の平をじっと見てから、そのでかい手を握り返した。

「おう。こっちこそよろしく」

「俺は丹波たんばジャンゴ、エチオピア系2世だ。こいつは周防すおう莉音りおん。あの魔女は播磨はりまあいだ」

「敬意を込めて周防先輩と呼ぶがいい。僕は貴様を佐藤と呼び捨てにするがな」

 金髪が腕組みして偉そうな顔をする。

 俺は無視してジャンゴの澄んだ瞳を見た。

「わからねぇことがあった時、色々教えもらえると助かる」

「もちろんだ」

 ジャンゴが頷いた。

「貴様、無視するなッ」

 金髪がわめいた。


 ──こうして俺は契約書一枚で、魔神と戦う帰還勇者になった

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