第2話「勇者、歌舞伎町に立つ」

 女神の魔法陣が真っ白な光になり、俺の全身を包む。眩しさに俺は無意識に目を閉じた。

 まばゆい光が消え、目を開けると今までいた巨大な洞窟のめいたダンジョンの最下層『玉座の間』ではなく、飲食店の明かりや看板のLEDのネオン、行き交う人々の生み出す喧騒が蔓延る夜の雑踏の中に立っていた。

 来たことはなかったが、この場所は俺でも知っている。


 新宿の歌舞伎町だ。


 不意に体から力が抜け立っていられなくなる。その場に俺は膝から崩れ落ちた。


 ──帰ってきたんだ・・・・・・俺のいた元の世界に・・・・・・日本の東京に!


 ふと視界が熱いもので滲む。目に手をやると指先が濡れた。喜びのあまり、大勢の人間のいる夜の街中にもかかわらず涙が溢れ返っていた。

 あの日俺はバイト先のスーパーを出た直後、異世界に飛ばされた。

 何が何だか分からないままアスタロを名乗る女神に「勇者に選ばれた」と告げられ、「元の世界に帰りたければダンジョンの最下層に君臨する魔神王ヴェルヘリオンを倒せ」と命じられた。ほとんど脅しみたいなものだった。

 その俺に女神から与えられたのは、女神の加護を受けてはいるが無名の剣(一応は聖剣)。

 そしてその異世界では誰しも持っているRPGみたいに成長する『体力・攻撃力・防御力・跳躍力・スピード・魔力』のステータス。

 俺の初期ステータスは最弱クラス、女神のくれた〈剣〉は振るうと半径5メートル以内なら刃が当たっていなくても敵にダメージを与えられるという魔法装具だったが、攻撃力は俺のステータスに依存していた。

 つまり俺は異世界に召喚された勇者にも関わらず、五千年もその世界に君臨する魔神王を倒すにはあまりに雑魚すぎた。


 それでも、どうしても魔神王を倒して元の世界に帰りたかった俺は、ガキの頃にゲームでしたように俺より雑魚のモンスターを選んで狩りまくった。

 来る日も来る日もダンジョンの第一階層でスライムを狩った。少しレベルアップしてステータスが上がると今度はゴブリンを狙った。

 その世界にはRPGのように「レベル」の概念があり、俺は経験値を積んでステータスのパラメータを上げて、何年かかろうが絶対に魔神王を殺せるだけの力を安全に手に入れようと努力した。

 雑魚モンスターを狩り始めて3年が経った時、レベル12になり、ようやくステータスが冒険者の平均値になった。


 その5日後、俺は魔神王ヴェルヘリオンを一瞬で葬り去った。


 夜の歓楽街を行く雑多な人々──中には半グレらしい腕や首筋に派手なタトゥーを彫った集団もいる──がギョッとした顔で足を止め、まるで時間が止まったように固まって俺を見ている。

 無理もない。

 突然白い光が現れ、人間が出現したのだから。

「あ・・・・・・」

 すぐ傍にいたキャバ嬢風の派手な格好の女が、唖然とした丸い目で俺を指さす。


 ──このままじゃこの辺がパニックになるな


 俺はそう考え、手の甲で喜びの涙を荒っぽく拭うと、この場を離れる準備をした。腰と脚に力を込める。

 異世界でのステータスがそのままなら、魔神王を倒した時の『跳躍力』もそのままということだ。

 なら、この世界の常人を遥かに上回る跳躍で、とりあえず近くのビルの屋上に移動すればいい。

 とりあえずそれでここを離れよう。

 帰還を喜ぶのはそれからだ。


 と思った時、誰かが甲高い声で叫んだ。

「帰還勇者だッ!」

「はっ?」

 驚いて声の方を向く。そのワードで一瞬で逃げようとしたことを忘れた。

 俺はぽかんと声の方を見た。


 ──なんで俺が異世界から帰還した勇者って分かったんだ?


「早く歌舞伎町に来いって!今目の前に帰還勇者がいるんだよ!」

 今度は別の声がする。ホスト風の男が誰かに電話をかけていた。目は完全にこちらを見ている。

 あちこちで通話する声が湧いた。

 全員、俺の方を見ながら「帰還勇者」と口々に言っている。

 その声はすぐに歓声に似たどよめきに変わり、じわじわと俺を囲んで来た。

 訳が分からず俺は動揺した。


 ──何がどうなってんだ・・・・・・?


「あのっ写真撮ってもらっていいですか?!」

 俺を指さしていたキャバ嬢風の女性の顔がものすごい至近距離に寄せられる。

 あっちの世界じゃ嗅がなかった甘い香水の匂いが鼻をくすぐる。女性の匂いだと思った。

 さすがキャバ嬢、がっつりメイクしてるけどこうして見る限りではかなり美人だ。

 振り向くと後ろにも、こっちはナチュラルメイクの美女。


 いや、今はそれどころじゃない。


──どういうことだ?

 俺は混乱する。

──なんで俺が勇者だってわかるんだ?


 俺は別に〈如何にも勇者らしい格好〉をしている訳でもない。

 異世界の服ではあるが、普通の青い半袖の服にグレーの長ズボン。

 世話になったダンジョンに宝探しに行く冒険者向けの宿屋「竜の宿り木」の旦那がくれたものだ。

 マントも鎧も着ていない。剣だって装備していない。頭の中でその名前を呼ぶと何も無い空間に出すことが出来るからだ。もっとも俺が女神に貰った剣には名前が無いので、そのまま「剣」と呼んでいる。

 何にせよ、めちゃくちゃ地味な格好だ。

 これで勇者だと分かるはずがなかった。


 四方八方からフラッシュが焚かれる。

 撮影していいなんて一言も言っていないのに。

 俺の方がパニックになり咄嗟にジャンプしてここから逃げようとした時、誰かに後ろから左腕を掴まれた。

 振りほどこうとし、下手に腕を振ると相手を吹き飛ばすことに気付いて慌てて辞める。

 手の主を振り向くと、GUCCIのロゴのデカデカとプリントされたシャツに先の尖ったエナメルの靴、メッシュの入った金髪に色付きサングラスという如何にもチャラいで立ちの若い男がいて、俺にスマホを向けていた。

「すみませーん、俺、登録者数52万人のラキア兄弟ってYouTubeチャンネルのアッキーって言うんですけどぉ」

 金髪GUCCIが言うと周りにいたキャバ嬢風の女達やホスト風、ヤンキー風の男達が一斉に歓声をあげる。

「ええっアッキー君だ!」

「うお、ラキア兄弟の弟じゃん!」

「生アキラとかマジでレアなんだけど!」

 スマホのシャッターを切る音とフラッシュが絶え間なく続く。

 知らねえよ誰だよこいつ?

 少なくとも俺が転移する前のYouTubeでは見たことのない顔だった。

 アッキーと名乗るYouTuberが俺にスマホを向けたまま、

「お兄さん帰還勇者ですよね?」


 ──だから何で分かるんだよ?ていうか、もしかして俺こいつに生配信されてるんじゃ・・・・・・


「さあ、なんのことっすかね?」

 俺は咄嗟にとぼけて首を捻り、さっと辺りを見渡す。

 歌舞伎町の路上にはいつの間にか信じられない人だかりが俺を中心にして生まれ、そのうちの殆どがこちらにスマホを向けてきていた。


 ──なんだよコイツ


 嫌な汗か額と背中に滲む。

 心拍数が急上昇する。

 冷や汗が止まらない。


 ──何でこいつら、俺が異世界から帰還した勇者だって知ってんだ?


 ──やめてくれ


 頭が真っ白になる。

 俺はただ、普通の人みたいに生きたいだけなんだ。

 心の中でそう叫んだ。

 人並みの暮らしをしたい。

 生まれてから今日まで、ずっとそう思って、そう夢見て生きてきた。


「普通」という言葉が、俺の一番嫌いで、一番憧れる言葉だった。


 家族も衣食住も人並みに揃った生活。

 それを持つ人からは詰まらない顔で平凡って言われる、でも俺には贅沢な『普通の暮らし』をしてみたかった。


 ──なのに異世界の次はこれかよ


 俺はもう18だ。

 だからこれからは社会の中で、この「スキル」をうまく使って人並みに稼いで、欲を言えば好きな時に外食できるくらいに稼いで、普通に生きることを夢見ていたのに・・・・・・


 ──これじゃ・・・・・・


 呆然としたまま、俺のぐるりを取り囲む無数のスマホのレンズを眺めた。

 不躾な目みたいな無数のレンズ。

 その瞬間、頭の中がスッと冷たくなり、ある思考が脳裏をよぎった。

 アキラとか言う奴は俺の許可も取らないまま、至近距離で撮影を続けている。


「あの・・・・・・俺、撮影されてますよね?」

 俺が静かに尋ねると、アッキーとかいうYouTuberは、

「だめっすか? もうTikTokに何本かあげちゃってるんですけど」

 悪びれる様子もなく答えた。

「あ、俺YouTuberだけじゃなくてTikTokerもやってるんですよ。え、お兄さんTikTok分かります?」


 ──ここで「スキル」を発動したら、俺はこいつを・・・・・・


 この男はスマホ一台で俺から普通の生活をしたいっていう、たったそれだけの夢を奪った。俺をネットに拡散した。


 ──なら、その償いをしてもらってもいいはずだ・・・・・・


 視界が怒りで赤くなる。

 頭の中が沸騰したみたいに熱くなった。

 右手を開き頭の中で「剣」と唱えようとした、その時だった。

「お前らどけ!見せものじゃねぇ!」

 人垣の中から野太い怒声どせいが轟く。

 俺は注意がれ、剣を出すことも忘れた。

 俺を何重にも囲む人垣がざわめきと共に動いて、一部で人の密度が低くなる。その密度が低くなった辺りの人波を体で押し退けて、突然コスプレイヤーが現れた。

 しかも三人も。

 ひとりは裸の上半身に肩や腕に革製の防具を着けた大男。190cmはある黒人の大男だ。

 もう一人は長い黒髪に、魔女みたいな先の尖った大きな帽子。さらに漫画に出てくる悪役の魔法使いが着るような、胸元や腰周りの布面積がやたら少ない、ほとんど水着のような黒い衣装を着た若い女性。

 あとのひとりは赤い十字の刺繍された白マントで体を覆った、絵に描いたようにハンサムな若者。歳は少年と青年の間くらいで、たぶん俺とあまり変わらない。

 爽やかな印象の金髪の騎士だった。


 ──おい、次から次に何だよ


「まじかよ・・・・・・勇者庁じゃん」

 誰かの囁く声が耳に届いた。


 ──勇者庁?


「落ち着け。俺達も帰還勇者だ」

 三人組のひとり、さっきの野太い怒鳴り声の主らしい黒人がそう言った。

 俺をまっすぐ見下ろしている。

 ボクシング選手のような屈強な体にスキンヘッド。顎にだけ短い黒い髭を生やしている。

 その日本語に訛りは一切無かった。


 ──俺達・・帰還勇者・・・・


 言葉の意味が分からず俺は他の二人を見た。

 騎士のような白マントを着た若者はつまらなそうな顔をして、俺と目を合わそうともしない。

 すると破廉恥な魔女の格好をした若い女性が俺を見、涼やかな声で告げた。

「帰還した勇者は君だけじゃない。私達も君と同じ、異世界から帰還した勇者なの」

 そう言うと続けて、

「あっちに車を待たせてるから乗って。詳しい説明はそれからにしましょう」


 俺はここに居ることも出来ないので、破廉恥な魔女に促されるままその後について行き、歌舞伎町の道路に停められていた立派なリムジンに乗った。

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