爆誕

六野みさお

第1話 爆誕

『フォロワーのみなさん、わたし、三谷リスカは本日、人生13回目の爆誕祭を開催します!』


 私が朝起きると、リカのアカウントにその投稿があった。もう何十件ものコメントがついている。

 そっか、リカは今日が誕生日なのか……とは、私は素直には喜べない。ひとつには、リカの年齢。投稿の口調からして、そんなに年上ではないと思っていたけど、まさか私より年下だったなんて。

 リカと私の職業は絵師。もちろん副業で、本業は学生。私は中学二年生、リカのひとつ上。

 リカと私は、大手SNS『ショート・ショート・メッセージ』、略してショショメで活動している。ショショメは名前に似合わずかなり長文も投稿できるのだけど、それよりも大事なショショメの利用法は、絵を投稿することだ。ショショメで人気になると、曲のMVの絵とか、そういう大きな仕事が入ってきやすくなる。いわば絵師たちの登竜門。

 私はここで、一年くらい前から活動している。最初のうちは誰からも見向きもされなかったけれど、地道に続けていると私の絵も少しずつうまくなったらしく、フォローしてくれる人、話しかけてくれる人がだんだんと増えてきた。

 そんなとき、私はリカの存在を知ったのだった。


「初投稿です。よろしくお願いします」


 そう書かれた文章の下に貼ってあった絵は、どう見ても初投稿とは思えないほど美しかった。絵の真ん中に配置された女の子は、顔のバランスが完璧で、さらに女の子の髪や服、背景などはカラフルに彩られていた。

 私はすぐにリカにメッセージを送った。


「この絵の女の子は、この世のものではないみたいに美しいです。こんな絵が描けるなんてすごすぎる。よかったら仲良くしてくれませんか?」


 私が自分から他の絵師にメッセージを送ることは、めったにないといってよい。フォロバでフォロワーを増やすのが嫌なわけではない。ただその勇気がないだけなのだ。

 たとえば、私が自分より絵が上手な人を見かけたとして、その人にどんな言葉をかけたらよいのだろう? ただその絵を褒めればよいのだ。それはわかっている。でもできない。ひがんでると思われるんじゃないか、何か変なことを言ってしまうんじゃないか、そのせいでフォロワーが減ってしまうんじゃないか、そんなことを考えてしまう。

 でも、そのときだけは、私は自然に文章を打つことができた。純粋にリカの絵を賞賛することができた。

 そして私とリカの親交は始まった。

 そのはずだった。


⭐︎


 朝食を食べて部屋に戻ってくると、ショショメに通知が来ていた。シーラからだ。私が仲良くしているフォロワーの一人。


『キサラギちゃん、実は、リカのことで教えておきたいことがあるんだけど』


 シーラのメッセージはそう始まっていた。

 シーラは私よりリカと仲がいい。絵の実力でも私はシーラにかなわないし、社交性という面でもはるかに及ばない。シーラはどんどんフォロワーを増やしていたリカにさりげなく近づき、優しい先輩としてリカの信頼を得た。そして普段の雑談でもリカに絡むことで、リカのファンを自分に流し、いつのまにか私とはフォロワーの桁が違っていた。

 対照的に、私はリカには完璧に忘れられている。リカが絡む相手は、フォロワーが万単位でいる超有名人が多くなってきた。私のようなどうでもいいフォロワーの一人などは、全く眼中にないのだろう。

 そんなことを考えながら、私はシーラのメッセージを読み進める。


『昨日の夜、こんなものを見つけて……。リカがずいぶん批判されてるみたいなの。もちろん、言ってることは全部意味わかんないんだけど、もしこれがリカの目に入ったら、って心配になって……。すぐ通報したんだけど、今日の朝見ても消えてなかったから、キサラギちゃんにも手伝ってほしいと思って……。」


 どうやらリカのアンチを通報するのを手伝ってほしいらしい。いや、そんなこと、普通人に頼むものか? と、私は勝手にも思ってしまう。リカには見せたくないものを私に見せてもよいのだろうか。というか、シーラだって、いまだに私はちゃん付けで、リカははやばやと呼び捨てだ。不公平だ、悪意を感じる。

 いかんいかん、いちいちこんなことを悩んでいるから、私はネットの中ですら陽になれないのだ。私はシーラに示されたリンクを開く。


『元有名イラストレーターが語る、新興絵師の質の低下』


 その記事はそんな題名がついていた。自称元有名イラストレーター(もちろん本当かどうかは限りなく怪しい)が、若手のネット絵師たちを批判する、という内容だ。読み進めていくと、いろいろな絵師たちが順番に難癖をつけられていく。やがて、リカが登場した。


『僕がなぜこういう新興のネット絵師どもが大嫌いなのかというと、その一つに知名度と実際の実力が全く比例していない、というのがある。

 この『三谷リスカ』という絵師を例に取ると、絵の投稿よりも絵以外ーー雑談目的の投稿が多いことがわかると思う。三谷リスカは彼女よりもフォロワーが多い絵師に話しかけて、そのおこぼれにあずかってフォロワーを増やそうとしている。三谷リスカ自身も、自分よりフォロワーが少ない絵師たちに同じ目的で絡まれている。

 こんなことだから、最近の絵師たちはまともな絵が描けなくなっているのである。自分の実力で絵を評価されようと思わず、『良い絵を描く』ことよりも『有名になる』ことの方が大事だと思っている。そんなことでは絵の技術が上がるわけがないし、ただの自己満足にすぎない。』


 リカについての記述はそこで終わっていた。

 わからないでもない、と、不謹慎ながら私は思ってしまう。私自身が、あまりそういう『絡む』がうまくできる絵師ではない。そういうのがうまくできる人たちがうらやましいし、私もそれができたらーーと思ったこともある。

 でも、そうだからといって、私は陽な絵師たちを憎んでいるわけではないのだ。なぜなら、絵師たちの『絡み』は、もはや絵師たちの生きがいのようにもなっているから。

 現に、私はそうやって絵師を生きている人を知っている。


⭐︎


 私がその人の初投稿を見たのは、まだ私がショショメで活動を始めて間もないころだった。


『最初で最後の投稿です』


 その投稿はそう始まっていた。


『この世界に私は絶望しています。もう生きている意味がないので、死のうと思います。でも、ただ死ぬのはもったいないので、この絵を描くことを思いつきました。うまく描けてはいないけど、この絵は私がずっと描きたかった絵です。よかったらどうぞ。』


 そのコメントの下には、一枚の風景画が載っていた。ショショメによくある人物画ではなかった。でも、その絵は、私がまだ見たことがない、独特の雰囲気があった。微妙に青がかった黒の空と、その下にぼんやりと浮かび上がる山が、絶妙な一体感を生んでいた。

 ーーなんて私は心では思っていたけれど、私はやはり彼女に何も話しかけることができなかった。何かその絵について言いたかったのだけれど、それが彼女を傷つけてしまうんじゃないか、死ぬトリガーを引いてしまうんじゃないか、と、怖くて言えなかった。

 そして、彼女に最初に話しかけたのは、私のよく知らない絵師だった。


『きれいな景色だね。田舎に住んでるの? 山がそんなに近くで見えるなんて、うらやましいなぁ』


 たったそれだけだった。投稿者はまさに死のうとしているのに、元気づけるような言葉のひとつもなかった。

 でも、しばらく間を置いて、投稿者が返信した。


『いえいえ。ありがとうございます』


 そして、またしばらく間を置いて、1コメの達成者はこう返信した。


『明日は晴れみたいだよ』


 そこでその会話は終わった。

 そして、その次の日、私はその投稿者がまた絵を投稿しているのを見た。次の日も、その次の日もだった。気がつけば、彼女はいつまでも生きていて、だんだん明るく他の絵師たちに話しかけるようになっていた。

 それが一年前のシーラであることを知る人は、今やほとんどいない。


⭐︎


 私はさっきのアンチを通報して、スマホを置き、ベッドにごろりと横になった。

 結局みんなそうだ、と私は思う。絵師はみんな、何かしら闇を抱えているのだ。

 かくいう私だって、ここ数年、ほとんど学校に行っていない。もうどうしてなのかはわからないけれど、たぶん人と話すことが、無意識に怖いんだと思う。家の前の小さな道に出るだけで、まるで私が何十気圧もの力を受けているような気がして、一歩も動けなくなってしまう。

 だから私たちは、絵を描いて、人と話すのだ。それが生きがいになっていくのだ。本当の陽キャには、この気持ちはわからないーーこんなに悩んだこともないで、絵なんて描けるわけがない。いや、本当はそんな人はいないのかもしれない。闇のない人なんて、この世にいないのだから。

 私がそこまで考えて、ふとスマホを手に取ると、ポンと『三谷リスカさんが投稿しました』の文字があった。

 見ると、題名は『受賞と感謝』だった。


『こんにちは、三谷リスカです。実は、このたびわたしは『石田飲料美術コンクール』で入賞することができました』


 私は目を疑う。そのコンクールはかなり大きな絵の大会だ。それで入賞するだなんて。やはりリカは実力があったのだ。


『そして、せっかくの誕生日ですし、これを機会に日頃の感謝を伝えたいと思います』


 それから、リカはいつも仲良くしている人たちに謝意を述べていっていた。私はなんとなくそれをスクロールしていく。

 私が目を見開いたのは、そこに『キサラギちゃんへ』という文字を見つけたからだった。


『キサラギちゃんに助けてもらったのは、ずいぶん前のことになります。もしかしたら覚えてないかもしれないけど。

 あれはまだわたしが初投稿のときでした。わたしはキサラギちゃんのコメントに感動したんです。

 そのとき、わたしの絵は少し高評価を得ていたけれど、コメント欄には『初投稿でこれはすごい』ってのが多かったんです。それで、私は自分の絵が高く評価されすぎているんじゃないか、こんなに見られているのは間違いじゃないかと不安になっていました。

 でも、キサラギちゃんのコメントを見て、考えが変わりました。キサラギちゃんは、純粋に私の絵を褒めてくれました。これから伸びるかもしれない、みたいな感情じゃなくて、ただわたしの絵が上手いとだけ言ってくれたんです。わたしはそれがめっちゃ嬉しくて、これから頑張ろうって思えました。本当にありがとう』


 読みながら無意識に涙があふれてきた。リカは私を忘れてなかったのだ。いつも覚えていてくれたのだ。


 私は目をこすって、リカの次の段落に目を通す。


『わたしの活動について批判もあるようですが、わたしはショショメを、絵師がみんなで仲良く雑談しながら絵を描ける場所がすごく好きです。わたしたちは一人では絵を描けません。もしかしたら生きていけないかもしれません。みんなはどうなのかわからないけど、私はそうです。毎日不安で押しつぶされそうになっています。でも、そんなとき、どうでもいいような話をしてくれたり、聞いてくれたりするフォロワーさんに、元気をもらっています。どうかこれからもわたしに話しかけてくれると嬉しいです。これからもよろしくお願いします。』


 リカの投稿はそこで終わっていた。

 やはりリカは例のアンチを見てしまったのだ。でも、やっぱりリカは強くて、すぐにこんなに立ち直って、こんなコメントをすることができる。私がさっき思っていたことを全部言ってくれたような、そんな気がする。

 いつもそうだ。それが私たちがリカに惹かれる理由なのだ。いっつもどうでもいい話ばかりしているけど、実はみんなのことを一番考えていて、そして一番努力している絵師。みんなのお手本で、目標で、そして、かけがえのない友達。

 私はいつもリカに元気づけられてばっかりだ。たまには、何かお返しをしよう。


『リカ、誕生日おめでとう。そして本当にありがとう。これからもよろしく』


 私はそうメッセージを送った。送ったメッセージを見て、ふわぁっと心があったかくなるのを感じる。今日は私の誕生日ではないけれど、私は今日初めて本当に生まれた気がした。今日は日曜日だし、ちょっとだけ外に出てみようかーーと、そんなことを考えながら、私はベッドから起き上がった。

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