この夕日まで 6
32
なんだかんだで可愛らしい写真が撮れた。冬美はベットに座ってその横に沙織が立ち、二人でVサインをしている。もっとも冬美が沙織にイタズラしたり、沙織が冬美の顔を隠したりと綺麗な写真を取るのは大変で、撮影を頼んだ同僚は呆れていた。
「でも、病室で記念写真って言うのも変だよね」と冬美が苦笑する。
「文句言わない。冬美ちゃんは入院中なんだからさ」
「……ねえ、沙織さん」
「なに?」
「あの夕日、見に行きたいな……」
そろそろ夕暮れ。
今日はいい天気なので、きっと綺麗だろう。それを想像してしまうと確かに見に行きたくなるかもしれない。
しかし……、「ごめん、冬美ちゃんはまだ体調が不安定だから、外出は出来ないんだ」
「……そっか、見たかったな」
「もうちょっと元気になったら、すぐに行こうね」
「うん……」
冬美は淋しそうに窓の外を眺める。
笑顔の可愛さこそ変わらないが、こんな顔をする回数が増えている様な気がする。
「沙織さん、今日仕事は何時まで?」と訊かれた。
「今日は夕方までだから、そろそろ終わりだけど、何で?」
「お願い聞いてくれる?」
「いいけど」
冬美は棚から紙ヒコ-キを取り出した。
「仕事の後に、まだ夕日が沈んでいなかったら、あの丘から飛ばして欲しいんだ。私の、代わりに」
「手紙……。それって、私が飛ばしていいの?」
「うん、本当は自分で飛ばしたいけど、まだ私は行けないみたいだから」
「今日じゃなきゃいけないの? 大事な手紙でしょ?」
「そうだけど、今日がいいかな。ちょっと急いでるし」
「急いでるって……」
沙織が首を捻ると、冬美は笑顔で教えてくれた。「もうすぐ退院できるかもって、お父さんに伝えたいから。少しでも早いほうがいいでしょ?」
「そっか。うん、よろしい。じゃあ私がやっとく」
手紙が天国に届くとしたら、この上ない嬉しいニュ-スだろう。きっとこれも冬美の優しさなのだ。
沙織は紙ヒコ-キを受け取った。
33
びりびりと写真を破く。
沙織は、自分の手で破れる限界まで小さく破いた。
冬美の顔が分からないように……
あの日から一年が過ぎた今、こんな写真はただ苦しみを与えるだけのものだ。
沙織は乱暴に写真を破くと部屋の床にバラまいた。
残りは一枚。一番可愛く撮れている写真。こんな物が近くにあるから、いまだに思い出してしまうのだ。あの楽しかった記憶を……
写真のなかで笑う冬美と目すら合わせたくは無い。
自分を憎む気持ちが、ずっと消えることが無かった。
「………」
窓から夕日が差し込んでくる。
沙織は空を見上げた。
こんな日には、あの丘からの景色は素晴らしく綺麗なのだろう。
ああ、そういえば……冬美は言った。写真、私も欲しいって。
でも結局、渡せていないままだ。
なら、こんな人間に破られてしまうくらいなら、あの場所から、天国へ。
沙織は思った。何度も思った。
そう……あの時、なぜ、紙ヒコ-キを受け取ってしまったのか。
受け取らなければ、絶望の種類も違ったはずなのに。
「……行こう」そして終わりにしてしまおう。
沙織は立ち上がって、車のキ-を握った。
すると、また思い出が流れ込んできた。記憶のなかの自分は、一年前のナ-スステ-ションに居た。
34
紙ヒコーキを受け取り、冬美の病室からもどってきた沙織は、雑務を済ませると帰宅の準備を始めた。夕日は待ってくれない。
もっとも、冬美に笑顔で頼まれたなら、夕日すらも遅く沈みそうなものな、と考えたりして一人で笑ったりした。
「――あれ?」
支度を終えてさあ帰ろうとした沙織だが、紙ヒコーキに書かれた文字がふと目に入る。
なるべく内容が見えない様に書いているが、全ては隠しきれていない。
「死……ぬ?」
確かに書いている。――死ぬ、と言う文字が。
しかしこれは退院を伝える手紙のはずだ。
沙織は周りを見回し人がいないのを確認すると紙ヒコ-キをそっと開いた。勝手に見ていいわけがないことはわかっているが、死という不吉な文字を見てしまい、嫌な予感がしたのだ。
「……冬美、ちゃん?」
私が死ぬことは、お父さんにとって悲しいですか?
会えるから嬉しいですか?
私は少し悲しいです。
周りの人が大好きです。お母さんが好き、沙織さんが好き、友達が好き。
だから悲しいです。辛いです。
死ぬのが恐い。
「………」短い手紙は、それで終えている。「死ぬって……」
意味が分からない。質の悪い冬美の冗談だろうか?
「沙織さん?」と後ろから婦長の声があった。
「婦長」沙織は放心状態で振り向いた。
「どうか、したの?」
そう訊かれて、沙織は手紙を渡した。
婦長はそれをじっと見て、目を閉じ、なにもいわなかった。
沙織は直感的になにかを理解した。恐ろしいなにかを。
「婦長……」沙織は婦長の両肩を掴んで訊いた。「冬美ちゃんの、余命を教えて下さい」
婦長は数秒黙っていたが、ややあって沙織に言う。
「あと、一年」
「……一年」
「もう、取り除けないの。悪性の膠芽腫」
「……そんな」絶望、した。「だ、黙ってたんですか? 私に……」
沙織が興奮した様子で言うと、「母親からの、頼みなの」と返事があった。
「じゃあ! なんで手術なんて!」
「それは、余命を少しでも延ばすためよ。あなたには詳しい情報がかかれた資料も見せていないの」
「私だけ……そんな。じゃあ、冬美ちゃんは? 知ってたんですか?」
「いいえ、彼女にも伝えてないわ」
「でも、この手紙は……」
「――気付いていたのかもしれない」
沙織の脳裏に、「死んでも忘れない?」と言う冬美が映った。
そうだ、気付いていたのだ。
多分、ずっと前から。
「もしかして、前に冬美ちゃんを担当していた上野さん、それを知って休職したんですか」
「……ええ」
きっと、だからこそ母親は、次の担当看護師には隠すという手段を選んだのだ。
「私は……逃げることができません」だって、「治るって言ったんですよ……死ぬことがわかってる人に信じろって言ったんですよ……」
「ごめんなさい」
婦長はそういったが、誰のせいでもないことはわかっている。
「……私、冬美ちゃんに会ってきます」
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