第2楽章 夏 Part1

 7月の晴れ渡った朝。天花は廊下の自分のロッカーの前に立った。ドアには「オカル子」とマジックで書かれていた。登校して来たホームルームクラスの級友はそんな天花を見ても何も言わずに教室に入って行った。天花も何も言わずロッカーに体操着など入れたバックパックを入れるとホームルームのある教室へ入った。

 チャイムが鳴る。天花のホームルームクラスの担任が教室前までやって来るとまだ廊下にいた生徒達に向かって「教室に入って!」と声を掛けた。担任は天花のロッカーの前で担任は一瞬足を止めて何が書いてあるか見た。が、首を横に振りながら引き戸を開けて教室に入って行った。
「おはよう。連絡事項を言うぞ」という担任。数分後、ショート・ホームルームが終わった。教室を出ていく担任は天花の方を見る事はなかったし、天花も担任の方を見る事はなかった。


 翌朝、登校して下足箱の前に立った天花はじっと自分の下足箱を見つめていた。そこにはあるべきスリッパがなかった。

 天花は何も言わず職員室がある校舎へと向かった。そして来客者用下足箱の前で校門で生徒たちに声がけしていたらしい生活指導の老教諭が戻ってきたのに出会った。

 天花は老教諭を呼び止めて「スリッパ、どこかに行ったみたいなのでお借りします」と告げた。

 老教諭は立ち止まると頷きつつも腕を組んだ。

「九重、スリッパを隠されたのか?」

 天花は小さく首を横に振った。

「誰か間違えて履いて行っただけだと思います」

 老教諭は放課後には他の下足箱から出て来たりするのは事実だとは知っていた。それは程度の悪い悪戯と取れない事もないがこの子はこれ以上何も言わないだろう。ホームルームクラスの担任に話を聞いた方がいいな。

「分かった。もうすぐチャイムが鳴るから早く行きなさい」

 天花は頭を下げると小走りにホームルームクラスへ向かった。


 朝にあるショートホームルームが終わるとクラスメイトはそれぞれの選択科目授業がある教室へと散って行く。天花も席を立つと最初の授業がある教室へと急いだ。嫌な奴はこのホームルームクラスにいる。彼らと否応なく顔を合わせるのは毎朝のこのショートホームルームと週1回水曜日最終授業であるロング・ホームルームの授業の時間だけだった事は天花にとって救いだった。嫌がらせ(と天花は思うようにしていた)はホームルームクラスにいる同中おなちゅうだった連中がやっている事だと見ていた。一握りの嫌な人達。無視するしかない。そうしないと晴香との思い出が汚される。


 そんな天花の思いは通じなかった。


 放課後、図書室に本を借りに来た天花。いつもの書架の前に行くと昨日返却したはずの本がなくなっていた。

 誰かが借りたのだろうか?天花はカウンター脇の検索端末の前に行くとタッチパネルでタイトルを入力して検索した。検索結果は「貸出可 1」だった。

 天花は崩れ落ちて泣き始めた。カウンターにいたミアキと雑談していた音田はすぐ検索端末前の天花のそばに行った。

「九重さん、どうかした?」

 天花はディスプレイを指差した。

「音田先生、この本がないんです。端末上はあるのに」

 カウンター内で二人の会話を聞いていたミアキは音田の方を見た。

「先生、私が書架を見て来ますから」

 頷く音田。ミアキはカウンターから足早に飛び出した。

 音田は天花に「あっちで待とうか」というと図書事務室に連れて行きドアを閉めた。


 泣きじゃくる天花。音田は接客用ソファーに座らせるとティッシュを箱ごと渡した。そしてマグカップ2個にティーパックを入れて電気ケトルでお湯を注いで天花に持って行った。

「まずは落ち着こう。今、古城さんが本を確認してくれてるからね」

 温かい紅茶のマグカップを手にして肯く天花。
 書架にある本は図書館の管理者、司書教諭である自分の責任と音田は思う。あの本に対して何かしらの思い入れがあるらしい天花を見てなんとかしなければ不味いと感じた。

 図書室側のドアがノックされた。すぐガバッと開いたのでミアキちゃんだと分かった。ドアを閉めるとソファーに近寄って音田と天花に報告した。

「先生、九重さんが確認した通り本は書架にはありませんでした。戻し間違いかなと思って他もザッとですが見ましたけどありません」

「ミアキちゃん、ありがとう。私も後で確認するけど、あなたがそういうならまずは間違いない」

 ミアキは音田と泣きじゃくる天花を見ると「向こうに戻ってますから」と言って図書室へ戻って行った。


 天花は声を押し殺して泣き続けた。音田は天花に「車で送ってあげるから、今日は帰ろうか」と告げた。


 図書室をミアキに任せると音田は車で天花を家まで送った。車の中で天花は黙して語らず、音田も敢えて何も聞かなかった。

 信号で車が止まると天花は音田に告げた。

「先生、ここで良いです。もうすぐそこですから」

 音田はハザードランプボタンを押して助手席側のサイドミラーを見た。ウィンカーが微かに音を響かせる。

「九重さん、私が本を見つけるから。少し時間を頂戴」

 天花は目を見開いた。驚いたらしい。そして少し頭が上下に揺れた。

「先生がそういうなら」

 音田の中でこの事件に対して何か駆り立てるものがあった。

「何かあったらいつでも言って。私は本を探す。何かわかったら連絡する。あの本がなくても九重さんには図書室に来て欲しいな」

 天下はチラッと音田を見た。

「ありがとうございます」

 そういうと天花は車を降り運転席の音田に頭を下げると家の方へ駆けて行った。

 音田は右ウィンカーを出し運転席側のサイドミラーに目を走ららせハザードランプをOFFにして車を出した。そして走らせながら天花の本がどうなったのか考えた。


 問題は二つあった。一つは本を隠すか捨てられた事。どちらかは分からない。でも容疑者は限られている。システム上、返却受付処理はされている。無断持ち出しを防ぐための探知装置、BDSなんて高価な機器は学校図書館に入ってはいない。図書室利用者である教職員でも生徒でも持ち出すのは別に難しくもなんともない。

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