二年後

 日々は目まぐるしく過ぎて行って、気が付けば紅緒様の副官になって二年が過ぎていた。

 その間に補給に関わる計算や地形・情報把握なんかは出来るようになったけど、紅緒様の手を相変わらず煩わせることがあった。

 それでも紅緒様は根気強く俺に色んな事を教えてくれたし、魔導錬金術の実験にも付き合わせてくれるようになった。

 魔導錬金術は魔術と錬金術を融合して、魔力で自動的に動く道具を作ったり、その仕組みを研究する部署で、元々は人々の生活を楽にする——例えば足が悪くても道が勝手に動いてくれたら、山にだって登れるとか、椅子に車輪が付いていて魔術で動かせれば、一人でも遠くまでいけるとか、そういうことを形にした道具を作るための技術を研究している。

 今は戦時下だからどうしたって兵器の研究が主になっていて、でもそれだって兵士を生かして帰す確率を上げるために導入された。

 お蔭で腕の一本、足の一本を損ねても、命を失う事は格段に減ったし、失くした腕や足を補うことも出来るようになった。この技術は今や前線だけでなく、日常の事故や病気の治療にも転用されている。

 でも瑞穂の国でそれが出来るんだから、いずれは外国でも出来るようになるって事だ。だからそれに対抗すべく、この国の魔導錬金術は日々階段を三段飛ばしで駆け上がるように進化していく。

 だけど最初から瑞穂の国で魔導錬金術が受け入れられていた訳じゃない。それを主導したのは紅緒様だ。自身が魔導錬金術の研究者として開発した兵器を、自分で使って戦果を挙げて、父君の国王陛下に導入の許可を得たという。その戦いこそが、紅緒様の初陣だった。

 その戦いで紅緒様は魔導弓・雷上動を使い、ご自身の魔術と弓の持つ力を合わせた殲滅の魔弾を敵軍にぶち込んでその半数を壊滅させた。それだけじゃなく、戦で出た負傷兵を、主に手足の欠損なんて大怪我で死を待つしかない連中を治してみせたという。それも、敵も味方も。


「なんで敵まで……?」

「怪我をしたら痛いじゃないか」

「いや、でも、敵っす」

「うん。でも国の都合でそうなっただけで、本心では戦いたくなかった人がほとんどだろう。私も出来るなら殺したくはないし」


 なるほど、と俺は思った。

 二年の付き合いで解ったけど、紅緒様は優しい人だ。

 蚊に血を吸われても「これは産卵前の母親だからいい」と、叩かずに追ってしまうし、昼飯に肉が出たら俺の皿にこっそり自分の分の肉を「好きじゃないから」と言いつつ移してくれたり、茶菓子が出たら子どもがいる奴に多めに持たせてやったり。些末な事かもしれないが、日常でそれだけ優しい人が、戦場であったからって知らない他人を憎むことなんかできないだろう。

 戦ってる時は殺さなきゃ殺されるから殺すだろうけど、それが済んだら見ず知らずの他人が大怪我を負って目の前で苦しんでるだけなんだから、そりゃ助けるだろうよ。他人がどう思うかなんか知らない。俺にとって紅緒様のその行動は、紅緒様ならやる行動だ。良いも悪いもない。


「ああ、まあ、そっすね。それは彼方さんの怪我を治すのもやむなしっすね」

「陛下や兄上には叱られたよ」

「……今度やるときは俺の背中に隠れてやってくださいっす」


 俺は二年で背も伸びたし横も逞しくなったって言われてる。紅緒様くらいなら隠せるだろう。

 そう言えば、紅緒様は「ふふ」っと笑った。二年たっても紅緒様は相変わらず眉を下げて、子どもみたいに笑う。可愛い。

 世の中の奴らは傾国の美とか言うし、どこかの国の奴が紅緒様を「次男でなくて長女では?」なんて言ったらしい。それくらい美人だけど、やっぱり綺麗って言うより可愛いんだ。


「出穂は変わったやつだなぁ」

「俺は今日も通常運転です」


 胸を張って答えると、緋色の目を見開いてきょとんとする。その表情はこの二年で何度も見たけれど、全然見飽きない。

 転々と戦場を移り、東へ西へと砦を移動することもあれば、珍しく槍を片手に紅緒様の傍らで戦働きをしたり、それでも俺の日常は概ね平和だった。

 そんな春の事。

 前線は北上して、押し上げられた戦線に沿って、紅緒様の駐屯地も戦場に近づいていく。

 紅緒様の魔導錬金術部隊も戦線が拡大していけばいくほど名前が上がって行って、そうなると部門のトップである紅緒様にも注目が集まっていった。

 そりゃそうだ。死ぬはずだった奴が助かるから、自軍の犠牲は少なく、今までの兵器では死ななかった敵兵が命を落とす。そんな捻じれを呼んだ人だ。

 曰く氷麗の死神だの、死を告げる天使だの。

 これは敵国の読売に書いてあった文句だけど、瑞穂の国の読売だって「氷艶の公子」とかセンスがない。

 氷のように冷たい人が、何で他人の義肢の開発をするんだ。


「だからって何も『センスがない』なんて正式に広報に言わなくても」

「読売の記者が俺に意見を求めたからっす。副官としては『センスがないから出直してこい』としか」

「言いたい人には言わせておけばいいよ。現に人の命を奪うことに、技術を転用してるんだから」

「それなら読売は、陛下のことも青洲様のことも常盤様もことも、冷たいって言うべきっす。どなたも戦場にいて、同じように人を殺し殺されるよう命じてるっす。紅緒様だけじゃないっす」


 憤慨する俺に、紅緒様は少しばかり困ったような顔をする。でもやっぱりいつものように「変わったやつだなぁ」と、眉をへにょりと曲げて笑う。けれどもその続きがあって。


「その……その件で陛下と兄上から、正式にお前に召喚があった」

「え!? もしかして紅緒様、俺のせいで叱られたっすか!?」


 焦る俺に紅緒様は落ち着くように言ってから、大きくため息を吐いた。そして立っていた俺に座るよう言いつける。

 俺が紅緒様と向かい合って座ると、珍しく両肘を机に付いた行儀悪い姿勢で、自分より割と背の高い俺を上目遣いに見た。


「ちょっと話をしたいだけで、𠮟責などをするつもりはないと言われている」

「うん? どういうことっす?」

「私にもよく解らない。なんの話があるのか聞いても、個人的な話だと言われてしまってな」

「ええ……?」


 陛下とお世継ぎ様が、一兵卒となんの個人的な話があるんだ?

 訳が解らな過ぎて、思いっきり嫌がっているのが顔に出たのか、紅緒様が「ぷす」っと噴出した。


「嫌そうな顔をして」

「嫌ですし」

「もしかして、あれかな?」

「あれ? 紅緒様、なんか心当たりあるっすか?」


 首を捻る俺に、もじもじと組んだ指先を動かして紅緒様が言い淀む。言うか、もじもじって子どもがするのは可愛いけど、十六歳の男子がしても可愛いんだなとか。

 そんな場違いな事を思っていると、紅緒様が目を伏せた。


「以前、兄上と常盤から引き抜きがあったろ?」

「ああ、お断りしてもらったやつっすね」

「実はあれからも何度かお前に会いたいと兄上や常盤から言われていたのだけれど……全部私の方で断っておいた」

「ああ、そうだったんすか。お手数おかけしまして」

「怒らないのか?」

「え? 俺がお断りしてくださいって言ったのに?」


 俺も紅緒様もきょとんとして、顔を見合わせる。

 その顔がおかしかったのか、紅緒様がいつものへにょっとした顔をして。


「そんなに私の所にいたいのか?」

「当たり前っす」

「出穂は変わったやつだなぁ」

「俺は今日も通常運転ですよ」


 出世なんかするよりも、俺はこの人のこの顔を見ていたいと、素直にそう思った。

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