十三年のはじまり

 俺と上司の紅緒様が出合ったのは十三年前。

 貧乏旗本の三男坊に生まれた俺は、自身の立場――長男は跡継ぎ、次男はそのスペア、三男坊の俺は一家の不良債権——を知っていた。

 だから十五で私塾を卒業してすぐ、さっさと兵役に就いた。俺は兄貴二人に比べれば強いほうだったし、私塾でも一番強かったから、出世を目論むなら兵役に就くのが一番の近道に思えたから。

 その頃の瑞穂の国は秋津豊島の半分を手に入れ、それを橋頭保に残りの半分の制圧に乗り出した頃で、とにかく兵を欲していたせいかすんなりと雇ってもらえた。

 けど、配属先はやはり新兵、それも十五のガキだったからか、戦場にほぼでない紅緒様の部隊の駐屯する砦だった。

 新兵を後方に配属するのはその間に訓練を積ませて生きて帰れる可能性を上げるためと、後方支援の要である紅緒様の部隊に配属することで、兵站と補給などの後方支援がどれほど戦の勝敗に関わってくる事なのかを教えるためであること。後方とはいえ補給を万全に行う部隊なんだから、本来はとても重要なポジションで、実は奇襲されやすくもある。今ならそういう諸々を理解できるんだけれど、十三年前の血気にはやるだけで、実際人殺しがどんなことなのかを理解していなかった俺には解る筈もなく。

 当然私塾でちょっと賢い扱いの俺が解らない事を、学のない奴らが解る筈もない。

 戦勝ムードに沸く前線からの帰還者と自分を比べては、不平不満を漏らしていた。

 そんな不満たらたらの戦場に行きたがるような猪どもが、前線に出ない紅緒様を敬う筈もなく、どころか軽んじてあからさまに態度に出す奴さえいる始末。紅緒様もそんなやつらに何を言うでもなく、言いたい放題にさせていた。

 更にそんな状況に輪をかけていたのが、三男の常盤様の存在だ。

 瑞穂の国の王族の初陣は皆早い。ご嫡男の青洲様とご次男の紅緒様が十二、常盤様が十二と半年。それがちょうどこの時で、しかも常盤様は初陣だというのに大将首まで上げたのだ。

 当然、兵士は熱狂した。この年の配属希望はだいたい、青洲様の部隊と常盤様の部隊の二つのうちのどちらかだったそうだ。

 武を志す者は何故か文官を下に見る傾向がある。この年は、それが更に顕著にでた年でもあった。

 しかし、後方とはいえ訓練は毎日あったし、給金はきちんと支払われていたし、今にして思えば、あそこは本当に良い場所だった。

 だが、当時の俺はと言えば訓練は真面目にやるが、それだけ。他の奴も似たり寄ったりで、どこか皆油断していたんだろう。

 そんなある日、砦が夜襲を受けた。

 折しも前線で苦戦している青洲様から兵の増援を要請され、別行動の常盤様から補給の要請が来て、紅緒様の部隊にいた少ないベテラン勢がそちらに取られてしまっていて、兵数も少なければ戦力になるのも少ない状態。

 俺達新兵は部隊長の指示に従って、三人一組で一人を倒すことに集中して、なんとか生を繋いでいた。でもそんな状況が長く続く訳もない。

 死にはしなくても動けるものが一人、また一人と減っていく中、俺は比較的元気だったけど、返り血に足を取られて地面に転がってしまった。

 ここまでか、と、剣を振りかざす敵兵をぼんやり見上げた時だった。

 何処からともなく無数の矢が飛んできて、俺や怪我した同僚たちを囲んでいた敵兵を、次々と葬り去った。

 助かったと思って矢が飛んできた方向を見れば、そこには白銀に輝く、大きくて豪華な装飾が着けられた弓を構えた紅緒様がいらしたのだ。

 見れば普段は綺麗に頭の高い位置で束ねられていた鮮やかな唐紅の御髪も乱れ、背中に流しているだけ。軍服だっていつも詰襟まできちんと止められているのに、その時はシャツとスラックスとブーツという姿で。


「……生きているね?」

「は、はい! べ、紅緒様はお怪我は!?」

「生きているなら、軍医の元へ。私は他の怪我人を回収する」


 俺にそう声をかけると紅緒様は、足を僅かに引きずりながら、砦の奥に向かおうとするではないか。

 急いで立ち上がった俺は、走って不敬とかなんとかを忘れて、紅緒様の腕を取った。驚きに紅緒様の緋色の瞳が見開かれる。


「お怪我! お怪我されてるのは、紅緒様の方じゃないっすか!?」

「大丈夫だ」

「いや、大丈夫じゃないっす! 紅緒様も軍医の所へ!」

「ダメだ。敵兵どもは私を探している」

「っ!?」


 絶句する俺の手をするりと解き、紅緒様は歩き出す。

 道々に敵兵を見つけたら弓矢で射殺しながら、俺はずんずん歩く紅緒様を放っておくことも出来なくて、俺も敵兵を殺しながら彼の後を追った。だけど俺が一人殺す間に、紅緒様は二人も三人も殺していて、気が付けば砦の奥で俺と紅緒様は傷だらけで力尽きて座り込んでいた。


「生きてるかい?」

「はい、なんとか……」

「物好きだな、なんで付いてきたの?」

「なんでって言われても……解んねぇっす」


 判んねぇけど、アンタを独りにしたくなかったっす。

 そういうとまた、紅緒様の緋色の瞳が見開かれて、瞬きを数度。それからくすくすとおかしそうに紅緒様が笑った。


「私が死んでも代りはいるのに、変わったやつだなぁ」

「代りとかそんなん知らねっすけど、アンタが死ぬのは何か嫌っす。俺も死にたかねぇっすけど」

「そうか。君、名前は?」

「出穂(いずほ)っす」

「いづほ、か。うん、覚えた」


 その後の事はよく覚えていない。

 ただ人伝に聞いたことには、紅緒様と俺は他の新兵を逃がすために囮として暴れていたらしい。これは後で紅緒様からも聞いて「巻き込んで悪かった」と言われたけど、俺が勝手に付いて行っただけだったのだから問題はない。

 で、問題は青洲様と常盤様の部隊が増援だったり予想外の補給が必要になったのこそ、敵の策だったことで、あちらの狙いは手薄になった補給基地である砦の襲撃だったのだとか。だから奇襲部隊に本来青洲様が討つ筈だったあちらの大将がいて、その死体には紅緒様の射た矢と俺の槍がぐっさり刺さっていたそうな。


「途中で敵が退き始めたから、てっきり兄上か常盤が戻って来たのかと思ったけれど、そういう事らしい」

「何か知りませんが、運が良かったんですね」

「そうだな。ところで、君、何でそんな畏まった話し方なのさ?」

「あの節は大変失礼いたしました!」


 助かって紅緒様もろとも運ばれた王城の豪華な客間の寝台で、俺は紅緒様に土下座した。

 あの時は生きるか死ぬかの瀬戸際で錯乱していたから、あんな素の話し方をしてしまったが、本来なら不敬罪で極刑もあり得る。

 額を布団にこすり付けて謝る俺に、紅緒様はキョトンとした顔で小首を傾げた。なんか小鳥みたい。


「不敬罪? 誰が、誰に?」

「自分が、紅緒様に」

「君らにとって敬うべき人が父と兄と常盤であっても、そんなのは自由だ。人の心は強制出来ないんだから。それに敬う気持ちは無くても、非常時には私の指示通りにしていたじゃないか。私としてはそれで十分だけどね」

「いや、そんな問題じゃ……」

「そんな問題だよ。特にどうという事もない。それよりも、私はあの時の君の話し方の方が好ましいな。アレが良い」


 色素の薄い頬が少しだけ赤くなっていて、氷の美貌が可愛らしく思えてしまい、ついつい俺は頷いていた。

 そして怪我が治った俺は、何故か新入りだというのに紅緒様の副官とやらに据えられていた。

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