紅(くれない)の深染(こそ)めの心、色深く
やしろ
序
「ならば、私を野に放ってください。国の情勢上無理だというのであれば、どこかの山奥に蟄居でもいい。仕事をしろというのなら、そこでします。そこに一生掛かっても読み切れない程の本を。後はそうだな、一週間に一度、食材を届けてくれる商人がいればいいし、一般的な家の機能を満たしていればそれで充分です。褒美というならそういう場所と状況をください」
折しも最後の戦の論功行賞の打ち合わせで、俺の上司はよりにもよってそんな言葉を口にした。
瑞穂(みずほ)の国は、秋津豊島(あきつとよしま)という広大な大陸を治める国家である。
元々は大陸の隅にあった小国家であったのだけれど、時代は戦乱。
幸いにして小国ではあったけれど、資源と商機と人材に恵まれて、興亡する周囲の国家とは違い、数代一つの王家が国を繋いでいた。
そして四十年ほど前、現国王の蓋世王(がいせいおう)・政宗(まさむね)が即位した。
彼は幼いころから文武に優れ、魔物も人間も襲い来るものは容赦なく蹴散らし、民には厳しくも善政を心掛け、よくこれを養った。
そんな王だから、国民の人気も兵の士気も高かった。
専守防衛を国家の方針として掲げていた瑞穂の国ではあったが、ある時王はそれを翻し、こう言った。
「攻め込まれるのを待つのではなく、打ち滅ぼすのもまた守りの戦よ」と。
それ以来、瑞穂の国は周辺の国家を飲み込み、瞬く間に大陸の中央へと進出した。
それから僅か二十五年で大陸の半分は瑞穂の国の支配下に収まり、それからまた十五年でほぼ全てをその手中に収めたわけだ。
そして王にはその覇道を支える三人の息子がいた。
文武に優れ、王の跡継ぎに相応しい実力と、それに裏打ちされたカリスマを持つ長男で獅子の雄々しき心を持つと言われる獅子心公・青洲(せいしゅう)様、快活でまだ少年のあどけなさを残しながらも、戦場に赴けば鬼神もかくやという活躍をみせるが、けして粗野でも乱暴でもない寧ろ武士道精神にあふれた青年の三男・常盤(ときわ)様、そして上と下に挟まれて目立たないし戦場にも滅多に出てこないが、守勢に強く兵站や補給にかけては二人以上の働きをし、内政においては彼がいなければ国の事務が一日で一か月は滞ると言われるほどの鋭利な頭脳の持ち主の次男・紅緒(べにお)様。
三人とも英雄の次代に相応しい能力の持ち主であるが、姿形もそれぞれ系統は異なるが麗しく。
ご長男様は彫が深く、涼やかな目元。逞しい身体を黒の軍服に包み佇んでいると、古の男神のようにさえ思える。対照的にご次男様は、中々外に出ない生活を送っているせいか色白。しかし貴人にありがちな病的な白さでなく、色素の薄さからくるものだろう。白皙といわれるほどの性別を超えた美しさを際立たせていた。ご三男様はさわやかを絵にかいたような人の良さが滲み出る愛嬌のある顔つきで、若木のしなやかさがある。
三者三様のありように、国民もまた大きな期待と憧れを抱いていた。
その中の一人、ご次男様の紅緒様が俺の上司な訳で。
会議上は、と言っても国王陛下と宰相閣下、青洲様とその副官、常盤様とその副官、そして紅緒様とその副官の俺だけの席は、ピシッと静かに凍り付いた。
「……紅緒や、お前、その……」
「当然軍も辞しますし、王位継承権も放棄(ほうき)します。財産分与や相続に関しても、生きていくことが出来る程度いただければ、それ以上は返上いたします。今まで頂戴した装飾品なども目録を作っておりますので返還時にご確認ください。後は……ああ、移動手段の確保のために斑鳩(いかるが)だけはいただけたら。他はすべて置いていきます。私の魔導弓・雷上動(らいじょうどう)もご随意になさってください。謀反等は考えていませんし、疑わしいと御思いなら魂に魔導制約を課しても構いません」
「待て待て待て、ちょっと待て。紅緒、なんでそうなる!?」
「そうだぞ、兄貴!? それ褒美じゃなくて追放刑じゃないか!?」
「世間一般がどうとかどうでもいい。私には褒美なので」
氷の美貌と謳われる美しいお顔でなんてことを。
青洲様の副官からも常盤様の副官からも、「お前の上司だろ? 何とかしろよ!」と無言で睨まれる。でもお前ら解ってるか? 俺は部下として、今上司に捨てられかかってるんだぞ!
そんな俺の気持ちを汲んでくださったのか、国王陛下が顎髭を扱かれながら、口を開かれた。
「紅緒や、簡単に辞めると言うが、お前部下はどうするのだね?」
「私の下にいたものは、皆私の無茶苦茶なオーダーに応えられるほど有能な者ばかりです。私がいなくなったところで、兄上や常盤、宰相の下に再配置されればそれなりの成果を見せるでしょう。私の下でなくても十全に働けます」
ぴしゃんと言い切る。
たしかに紅緒様が仕切っていた部門は宰相閣下の事務方と内務方面は協力体制にあったし、軍事においては青洲様や常盤様の所と足並みを揃えていた。独立してあった部門は錬金術と魔導・魔術の融合を研究する、魔導錬金術研究部門だけど、これだって戦争が終われば兵器の研究よりも、世の中を便利で暮らしやすくするために使われることになるから、宰相閣下でも世継ぎである青洲様が引き継いでもいい。
つまるところ、紅緒様は本当に去る事をお考えになって、事の最初から準備しておられたのだろう。
何と言う周到さ。だがこれこそが王国の叡智のありようなのだ。いつも常人の見る未来の二手・三手先を行く。
そして俺程度が気付いた事を、この叡智の製造元や同ラインで作られた方々が気付かない筈もなく。
陛下がぐにぐにと眉間を揉み解し、青洲様と常盤様が眉を吊り上げた。
「紅緒、お前、事の最初からこうするつもりで……!」
「兄貴はいっつもそうだ! 最初から何にも言わないし! なんでそうなんだよ!?」
「なんでと言われても……私の話など聞いて何になる? そんな無駄な時間があるなら、お前自身のために使うべきだよ」
「そんなに軍に携わるのが嫌だったのなら、父である儂か青洲に相談すればよかろうに……。何も家を出るまでせずとも」
「それこそ馬鹿なことをおっしゃらないで下さい。二人とも国の事でお忙しいのに、少しでも時間が出来たならそれはどうでもよいことに使わず、ご自身のために使われるべきものでしょう。それに国民の治めた税で養われている以上、個人の好き嫌いで携わる仕事を選ぶべきではない。ただ私の初陣は十二の時だし、そこから十六年ほど軍人をやってきました。軍人は十年勤めたら恩給が生涯にわたって出ることになっています。贅沢しない限りは一人で生きていくのに十分な金額がもらえます。それがあれば財産も相続も放棄で構いません。なので後はそれでやりくりしていくので、褒美というならさっき言ったようなものを与えてもらえれば、と」
紅緒様の形の良い唇からすらすら出てくる言葉に、青洲様の副官も、常盤様の副官も「本気か?」って顔だけど、紅緒様の副官を十三年もやった俺には解る。これ、めっちゃ本気。しかも本音の十分の一も出しちゃいない。
本音はアレだ。実況するなら「なんで皆、私のこと引き止めようとするんだろう? 謀反なんかしないんだけどな、面倒だし。あ、あれか。対外的にここは慰留しておかないと、人聞きが悪いからか。本当に面倒だな、王族って」だ。
かみ合わないんだよ、この親子と兄弟。
小さくため息を吐くと、視界の隅っこで同じく宰相閣下が溜息を吐いたのが見えた。
「とりあえず、紅緒様への褒美は後日改めて話し合いましょう。他の者たちへの褒美も、戦勝報告式典までには決めてしまわねばなりませんしな」
好々爺という言葉がよく似合う風情で、長く白い眉毛を落とした宰相閣下の本音は「この話は長くなるから後回し、次行ってみよう!」といった所か。
俺はもう一度深く、けれど上司に気取られぬよう、そっとため息を吐いた。
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