第5話 絶望感

朝の空気が好きだ

ビルの四階にあるオフィスだったけれど、待つのが苦手な私はエレベーターよりも階段の方が合っていた

一歩一歩踏みしめて登る

会社という空間は

まるで別世界に来たみたいで

私の心を満たしてくれた

期間限定ではあるものの

憧れていた会社員というレッテルは私の心を満たしてくれた

体調を崩してしまった母の代わりに、高校からバイトづけの日々だった

勉強もろくにしてなくて、成績もイマイチだった私は、バイト先にそのまま就職してしまった

ちゃんと就職活動をしておけば良かったと、後で後悔した


会社に早く到着した日は、換気したり掃除してみたり、とてもワクワクしていた

朝早くやってくる若者の藤田君は、挨拶しても会釈して返ってくる無口な印象だった

あまり笑わないイメージではあったけれど仕事は真面目で、誠実な印象を受けた

分からない事を聞けば丁寧に教えてくれたし、仕事の話は饒舌だった(笑)

大きなダンボールを抱えていたらサッとドアを開けてくれたり、換気の為に開けていた窓を一緒に締めてくれたり、何気無い気配りをしてくれた

私のようなおばさんの事を気遣ってくれるなんて、なんて親切な青年なんだろうと、感動すら覚えた

いつからだろう

視線が気になるようになった

彼は10歳も年下だ

好意を持ってくれているとは思えず

戸惑うこともあった

真っ直ぐな彼の瞳に見つめられると

年甲斐も無くドキドキしてしまった

まるで、全てを見透かされているような不思議な感覚すらした

その度に自分に言い聞かせる

不慣れな新人を気遣う彼の親切心に違いない


だけど、まるで見守られているような感覚がしていつの間にかその視線が安堵に変わってしまっていた


ある朝、藤田君の顔色が悪く体調が悪そうに見えたので、余計なお世話かとは思ったけれど、スポーツドリンクを差し出した

滅多に笑わない彼が、ニッコリと微笑んで軽く会釈をした

その姿がとても可愛く思えてキュンとしてしまった

そんな自分に言い聞かせる

---いい歳して、何ときめいてるの?

そして、母の呪いの言葉を思い出す

何度も何度も復唱する

それでも朝のほんの数分間の藤田君といる時間が、私の癒しの時間になった


仕事を終えて、帰宅すると珍しく部屋に灯りがついていた

室内を見ると、ぐでんぐでんに酔っ払った真一が横たわっていた

テーブルの上にはたくさんの空き缶と空き瓶が転がっていた

何かあった事は容易に想像できた

真一も私と同じ

誰からも愛されないんだね

深く共感した

そして同情した

「真一、風邪引くよ」

「布団用意するから」

目が覚めた真一は後ろから抱きついて来た

寂しさからのその行動に

一旦は、受け入れる覚悟をした

けれど

耳元で

「子供、作ろうか」

真一の信じられない一言に

私は嫌悪感を覚えた

私達の間に、"愛"はあっただろうか?

愛の無い家庭で愛の無い行為で生まれたその子が、幸せになれると思うの?

愛を知らない私達が、その子を幸せにしてあげられると思うの?

私は初めて真一を拒絶した

こんな不幸の連鎖を繰り返しては行けないと強く思った


次の日の朝、真一は私と目を合わす事なく

ポツリと呟いた

「俺たち、いつまで一緒にいるの?」

その一言に何も答えられなかった

愛の言葉も

指輪も

プロポーズも

くれなかったのは真一じゃない?

ただ、寂しいだけで一緒にいた

ただそれだけの関係


それと同時に自問自答する

私は?

真一に愛の言葉を伝えて来ただろうか?

指輪欲しい、結婚したいって、言った事はあっただろうか?

寂しいって言った事はあっただろうか?

わからなくなった

私は、何をしたかったのだろう?

私は、何を求めていたのだろう?

最初から諦めて、

愛されないと決めつけて

何もせずに人のせいにしてただ不幸なフリをしていただけだったのでは無いだろうか?

情けなくなって、涙が溢れて来た


朝早く会社に着いた

今日は一番乗りだった

こんな泣き腫らした目で

会社まで来たものの

見せられる顔じゃ無い

誰かが、入ってくる音がした

慌てて給湯室に逃げ込み

お湯を沸かして時間稼ぎを試みる

背後に視線を感じる

きっと藤田君だ

振り返り挨拶する

バレたかな?

泣いていたの

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