第3話

 こっそりと、息を潜めて進む。足の置き方一つにも神経を使って、物音が立たないように。自分の家の中なのに、泥棒みたいに歩くなんて気に食わない。別に見つかってもアタシはどうでもいい。だけど、見つかったらまたシャルフが五月蠅いもの。仕方ないわ。男の子なのに、妙に細かいのよね。アタシが竜を殺してあげるって言ってるんだもの、皆泣いて喜ぶのに違いないのに。




 


 カチャカチャと、金貨の擦れ合う音が薄っすらと夜の闇に包まれだした廊下に響く。窓から吹き込んだ風にボウと、蝋燭が揺らぐ。床に照らし出されたアタシたちの影が、御伽噺の怪物みたいに蠢き歪む。後ろからガシャンと音がした。自分の影にビクついて荷物がずれちゃったのかしら。アタシには五月蠅く言うくせに、自分は音を立てて歩くなんてむかつくわ。沸々と湧き上がってくる怒りをかみ殺して、振り返りざまに思いっきり睨んでやった。




(シャルフ、もっと静かに歩きなさいよ。見つかってもいいわけ?)




(そんなこと言われましても…)




 大きな荷物背負ってるんだからしょうがないだろうと言わんばかりに、不満を湛えた視線を寄越す。このアタシの荷物を持つなんてすんごく光栄なことなのに、失礼なやつね。


 困ったように眉を下げ、窮屈そうに手足を縮めてアタシの後ろを付いてくるシャルフをもう一回睨む。慌てて顔を背けた拍子に、ガシャリとまた音が鳴った。








*****************










 人目を忍び、闇の中を燭台を頼りに灯り1つ持たず歩くのは神経を摩耗させる。こそこそと進む二人の背中に疲労感がにじむ。勝手知ったる城の中を歩いているとは思えないほど、数刻前に比べハイディとシャルフの顔色は悪かった。










 (ハイディ様。向こうの角から誰か来ます。)




 薄暗い中にいると気分まで沈む。気晴らしに頭の中でシャルフをぼこぼこにしてたら不意に、シャルフが張り詰めた声で言った。ほんとだ、向こうの角から足音がするわ。お手柄ね。




闇よ、呑んで隠してアンブラ




 足元の闇が形を変え、どろりと、せり上がってくる。足首を越え、太ももを包み。そして頭の先まですっぽりと闇の中に取り込み、アタシたちの姿を隠す。同時に巡回の衛兵が曲がり角の向こうから現れた。


 カンテラを揺らしながらカツカツと歩いてくる。新米かしら、見ない顔ね。こんな新米が一人で城の巡回当番になってるなんて、やっぱり雲害が酷くなってるって噂はほんとなんだわ……


 魔力の痕跡に気づく様子もなく、眠たそうな顔で隣を歩いていく衛兵を見て、憂鬱さが増す。アタシの魔法はそこいらの衛兵に看破されるようなちんけなものじゃ断じてないけれど、それでも多少の魔力の痕跡はどうしても残る。よく鍛えられた衛兵ならそれに違和感ぐらいは覚えるもの。国の主たる王の住まう城の警備を任せるには、この衛兵は訓練が足りなさすぎる。あまりに盆暗、惰弱が過ぎる。こんなのが城の警備をしてるなんて、世も末だわ。シャルフの方がよっぽど使えるわよ!


 雲害の対応に父が心を砕いていることは度々耳にしていた。民草の被害を抑えるために、4年前の調査隊全滅でただでさえ少ない精兵を国中に派遣していると。それでも、ここまで程度の低い兵士を城の警備に任せるほど余裕がないなんて……


 やっぱり、アタシがとっとと竜を討伐しないと。




(ハイディ様、先ほどの衛兵は十分に離れたかと)




 シャルフの声掛けで、深く思考に沈んでいた意識が戻ってくる。ついつい考え込んでしまっていたようで、新米兵士はいつの間にかどこかに行ってしまっていた。




光よ、かき消してディザピランス




 アタシたちを包んでいた闇の繭が融けほぐれて消えた。気持ちを切り替える。城の外まで、あと少し。後もうちょっとでアタシの偉大な旅が始まるのだと思うと、胸の真ん中が燃えるような心地がした。




(?……行かないんですか?)




 アタシの決意をかき消す無粋な問い掛け。後で説教しなきゃ。返事代わりに、振り向きざま良いのを一発お見舞いしてやる。腹を抑えてうずくまるシャルフ。いい気味ね。




(何してるの、早く行くわよ)




 …やりすぎちゃったかしら。取りあえず、説教は止めて置いた方がよさそうね。


 背中に感じる恨みがましい視線から逃げるように、足を速めた。












**************














「やっと着いた…」








 我知らず、声が漏れた。でも、それも仕方ないわよね。これで自分の家の中でこそこそせずにすむんだし。やっと城から出られるんだもの。アタシの冒険の一ページ目が始まるのよ!



「出口に行かないんですか?ハイディ様」



「バカね、ここが出口よ」



「ここが出口って…」



 シャルフはそこまで言って、納得のいっていないという心情を前面に押し出しながら止めた。全部言い切ったら不敬罪でぶん殴ってやるところだけど、流石に学習したみたいね。それに、やっぱりこいつはここのこと、知らなかったのね。普段はアタシ以上に何でも知ってるやつだから、シャルフの知らないことをアタシが知ってるのは気分がいい。








「見てなさい!」








 アタシは、目の前の何の変哲もない壁に手を伸ばす。教わっていなければ、絶対に分からない。注意して見ても、他との違いは何もない。ま、そんな簡単に見つかるようなものだと困るんですけど。

 一つ一つ、記憶を辿る。あれを教わったのは、確か7歳の時だった。あ、そうだ。思い出した。鍵詞クラヴィス



12時の鐘の音ファンタズム



 さっきまでアタシの目の前にあったのは、何の変哲もない壁だった。でも、今アタシの目の前には灯りも無く、闇に包まれた下り階段の入り口が、ぽっかりと口を開けている。漂ってくる埃っぽい匂いから、この階段は今までずっと使われてなかったんだろうことが分かる。なにせこれは王族専用の秘密の脱出口。こんなものが使われるような状況に追い込まれたことは、未だかつてないんだもの。当然だわ。





 さっきからさっさと進むようにせっついてきたシャルフはあんぐりと口を開けて茫然としてる。どうも、何も言葉が見つからないみたい。いい気味ね。いつもアタシの無知をそれとなくバカにしたように諭してくるシャルフの驚いた顔は、予想よりずっと爽快だった。




「ハイディ様。こ、これ王族専用の脱出口ですよね!?超秘匿事項じゃないですか!なんで軽々しく僕に教えちゃうんです!?これ知ったことがばれれば、僕、間違いなく口封じに処刑されちゃうんですけど!?」



 やっと喋ったと思ったら、相変わらず細かいんだから。いい加減勘弁してほしいわ。それに、なんでこいつそんな心配してるの?竜を殺せばほぼ間違いなく王族の末席に加わるアンタが処刑される筈無いじゃない。竜殺しはアタシの夫になるってお触れ、忘れてるのかしら。



「うっさいわね、バレなきゃいいのよ。シャルフが知ったってお父様には秘密にしてあげるから、アンタも口滑らすんじゃないわよ?」





 げんなりした顔のシャルフを引き連れ、意気揚々と足を踏み出す。昇ってくる冷気に頭が冷える。竜殺しの旅路を思いぶるりと、体が震えた。


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