第2話

「もうちょっと右よ!ほら、ちゃんと背筋伸ばしなさいよ!」




 ぺちぺちと眼前の真っ黒頭を叩く。男の子なのに、だらしないんだから。ぐずぐずしてたら、アンリエッタにばれちゃう。急がないといけないのに……。


 ぷるぷる震えながらアタシをおぶったシャルフが右に一歩踏み出す。あれ?なんだか床が近づいてくる。




「うわぁ!?」




 ……いったぁ、腕打っちゃった。痣にならないといいけど。もうっ、レディ一人支えられないなんてだらしないんだから。転んで背負い袋の中身、ばらまいちゃったじゃない!これ集めるの、とってもめんどくさそうね……。




 


 床一面に散らばった金貨や銀貨、銅貨に宝石、煌びやかなペンダント。蝋燭を照り返して鈍く光る財宝の数々を眺めて、豪奢な金髪の少女が、ため息を一つ漏らす。吊り上がった眉毛、くっきりと、線を引かれたような二重の瞳。真っ白な肌。年の頃は、13,4歳といったところか。如何にも勝気な、典型的なお嬢様。唯一そこらのお嬢様と違うのは、その造形だった。幼さの残る顔つきは、しかし既にどこか人間離れした、「完成された美」を感じさせずにはいられない。人が一面に広がる雲海を目にしたとき、あるいは、地に聳え、天高くそそり立つ巨大な樹木を目にしたとき。人はただ圧倒され、自らとのスケールの違いを無意識のうちに感じ取る。それほどの神域の美しさの片鱗を、この少女は感じさせた。


 そんなお嬢様に対し、その足元に息も絶え絶えになり倒れた姿勢のままで転がる黒髪の少年。乱雑に切り揃えられた髪、日に当たっていないのか、妙に生白い肌。捲れた服の裾からは、微かにあばらの浮いた腹が除く。ひょろりと長い手足と相まって、どことなく不健康そうな少年だった。




「ほら、怒って無いからさっさと立ちなさい。これ、拾い集めるのよ」




「も、もうちょっと休憩させてください。ずっと重たい荷物持ってたもんだから首が凝ってて」




「何よ!アタシが重たいって言いたいわけ!?」




「そんな滅相も無いです、ハイディ様。ただその…金貨とかが重くって。それ、ほんとに持っていくんですか?」




「途中でお金が足らなくなったらどうするのよ。竜の巣まで何日あると思ってるの!?それに、ちょっとぐらいちょろまかしたってばれやしないわよ」




「それはそうなんですが…」




 言葉と一緒に何かの不満を飲み込んで財宝を拾い集める少年。長い手足を窮屈そうに縮めて拾い集める背中には、14,5歳に見える幼い容貌に不釣り合いな哀愁が漂っている。不満を押し殺して我儘なお姫様に付き従う内に染みついたものだろうと思われた。




「ほら、グチャグチャ文句言わずにさっさと手を動かすのよ!明日には城を出るんだから!」




 我儘に振舞いながらも、自分で財宝を拾い集めることになんの疑問も抱いていないお姫様。自分の主人に雑用をやらせるわけにもいかず、少年は嫌々やっています!と表情で主張しながら手を早めた。












**************












 カチャカチャと、財宝を拾い集める音だけが響く。




「ハイディ様。僕はやっぱり、止めた方が良いと思います。相手は騎士団丸々一つ殺し切る化け物ですよ!?無茶だ。僕たち二人で竜を殺せるはずがない!」




 沈黙を破って押し殺した声で少年が叫ぶ。震える手足の原因が、荷の重さでないことは明らかだった。




「無茶でもやるしかないの!もう4年、王都には太陽が出てないわ!『太陽に愛された国』の王女として、これを見過ごすわけにはいかないの!それぐらい、あんたも分かってるでしょ!?」




「僕だってそんなことは分かってますよっ!僕たち二人じゃ竜を殺せっこないことも!」


「ハイディ様、太陽が隠れてしまった今の王国で、民たちの心の支えの一つが貴女なんですよ。地上の太陽、黄金の美姫。貴女を欠けば、この国は揺れる。いい加減聞き分けて下さいよ!」




「五月蠅い五月蠅い五月蠅い!ねぇ様がいれば皆大丈夫よ。私がいなくなったって国が潰れるわけでもない。大丈夫よ。それに、竜殺しの算段だって、私はちゃんとつけてるんだから!」




 そう言って、壁を指し示すハイディ。二人が先程必死に取ろうとしていた、古ぼけた直剣がそこに掛けられていた。そこらの農家でも持っているのではないかと思わせるほどみすぼらしい骨董品。そんなものを秘策だと自信満々に伝えられ、少年の自制もついに限界を超えた。




「ハイディ様、剣一本で竜が殺せるわけないでしょう?彼の竜は、四肢を折り、眠っているその時点での体高が大の大人三人分はあると伝え聞きます。せいぜいハイディ様の腕ぐらいの長さしかないそんな剣、鱗を断てたとしても致命傷を負わせるなんて到底不可能ですよ!」




 吐き出すような怒声。こめかみに血管を浮き上がらせるほどに込められた力。王位継承権第一位でないとはいえ、一国の王女に対するものとしてあまりに不釣り合い、不敬そのもの。この場で首を落とされても文句は言えない。しかし、説得できねば、どのみち少年は死ぬのだ。竜殺しという迂遠な自殺に付き合わされて。当然、説得にも力が入る。


 必死に説得を重ねる少年を見て、ニヤリと、口端を吊り上げる王女。少年の必死な姿に却って冷静になったのか、余裕を取り戻したようだった。




「あんたの言い分は分かったわ、シャルフ」




 遂に分からず屋の我儘王女を説得できたかと、顔を明るくするシャルフ。見るからにホッとした様子の彼に向かい、無情にもハイディは告げる。満面の笑みで、どん底に叩き込む言葉を。




「これはただの剣じゃないの。遥か昔、この王国が出来たころに神から授かった神具が一つ。歴史の彼方にその銘を置き去り埃に塗れ、古ぼけようともその神威は些かも衰えてないわ!これさえあれば、デカいトカゲの一匹や二匹、ちょちょいのちょいよ!」




 それに、アタシはとっても強いんだから!そう結んだ我儘王女に、ピシりと、少年の笑顔が凍り付いた。必死に呼吸を落ち着かせ、感情の決壊を抑えつける。




「…ハイディ様。もう使われなくなった使用人部屋に神具が置かれるはずがないだとか、建国の際に授かった宝剣なんて御伽噺に過ぎないだとか、そもそもこんな錆に塗れた古ぼけた剣が神具のはずがないだとか。色々と言いたいことはありますが、それはこの際もういいです」




「銘の分からない神具を、どうやって使いこなすんです?銘が分かっている神具ですら力を十全に引き出すのはほぼ不可能なのに、銘が分からない神具なんて、力の封印すら解除できない、そこらの剣より劣る代物ですよ?そんなもので、どうやって竜を殺すんです?」




「それはこれから探すのよ。あんたがね!」




「そんな無茶な!?」








 薄暗い室内に、シャルフの悲鳴が響いた。


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