冒険の始まり編

第1話

「昨年よりも雲が出る期間、範囲共に広がっており、税収は昨年の9割程度になる見込みだそうです」




「そうか。報告御苦労。下がれ」




「はっ!承知致しました!」




 踵をぴしりと合わせ敬礼し、伝令が部屋を後にする。曇天に覆われ、心まで暗くなっていくこの国において、元気のいい若者というものはそれだけで価値のあるものだった。自然、若者を見送る大臣たちの眼も優しく窄まる。




「大臣、税を少し下げ、教会への麦の配給を増やすように。国民が飢えることの無いようにするのだ」




 弛緩した空気を切り裂くように、男は言う。ただ一言で皆が意識を切り替え、国の今後に集中するに足る、威厳と熱意の籠った声だった。


 男の顔には幾筋もの深い皺が刻まれていた。白髪交じりの金髪と相まって男の歩んできた道が決して楽なモノのではなかったと、余人に感じさせずにはいられない。


 それもそのはず、男はこの『太陽に愛された国ドュフテフルス』において、ただ一人、玉座に身を据えるこることを許されているのだ。名を、バフトルト・ドュフテフルス。太陽の恩寵絶えぬ地上の楽園において、王として君臨する者である。




「しかし、王よ。これ以上の支出は国が傾きかねませぬぞ」




 威厳と迫力溢れる王に気圧されず、王を諫める声が上がる。声を上げるは、枯れ木の如く干からびた老人だった。座っていることにすら耐えかねる骨と皮だけの脆弱な体の中で、目だけが爛々と輝き、王に勝るとも劣らぬ意思を持って真っすぐに王を見上げている。


 名を、カール・ヴォイルシュ。先代国王の御代より国に使える大臣が一人、国の金庫番である。




「カールよ、民が飢えてもよいと申すか」




「王よ、そうは申しておりませぬ。このまま支出を増やせば、いつか限界が来ると、そう申し上げているのです。雲害を解決するまで税収を減らし、配給を増やし続けていけば、あっという間に国庫は空になってしまいまする。民それぞれが、ある程度知恵を絞り、毎日を食っていけるよう、今は少し民に厳しく接するべきなのではないかと。そう申し上げているのです。」




「ならば、具体的にはどうしようと言うのか」




「はっ、税収を下げるは良き事でしょう。急に飢えれば暴動が起きるやもしれませぬ。ただ、教会への配給は如何なものかと。勿論、いずれは必要になるでしょうが、今はまだ、その時ではありませぬ。教会への配給分を貯蔵し、収穫量がさらに減少した時に放出するべきかと」




「そちの言い分は分かった。なるほど、将来の為を思えばここで手厚くするだけでなく、あえて厳しくすることも必要かもしれぬ。しかしそれにより、民が飢え死ぬこと、まかりならん。教会より要請があるまでは配給を増やさなくてよいが、要請があらば即座に配給を増やせ。皆も、それで良いな」




「王の御心のままに」




 居並ぶ大臣たちが口をそろえ王に従うさまは、王の築き上げてきた信頼と、信頼を背負うに足る覚悟を感じさせるに十分だった。




「では、次の議題に移る」




「北辺の竜を、殺す方法はあるか?」




 王の視線が居並ぶ大臣たちを、騎士団長を、魔導士団長を射抜く。大臣たちは唇を噛んで視線から逃げ、団長たちは顔を顰め、口の端を歪める。


 誰も、答えを持たぬことは明らかだった。




「王よ、城中の書物をひっくり返し、他国に情報を求めても、竜を殺した人間なぞおらぬ。竜殺しを成したのは、神代に生きた半神のみよ。」




 もしくは、神そのものか。そう結んで、皮肉気に魔導士団長が笑う。




「ならば、竜を退けた者はおらんのか」




「おらぬ。竜は神亡き時代の自然の化身。人の手に余るものではない。人の手によらぬ、神のつくりたもうた武具ならばなんとかしようもあるだろうが、我が国に伝わる神具は歴史の彼方に消えた。そも、アレを使いこなせる者はついぞ現れなかったと聞く。」




 竜に人は勝てない。改めて突きつけられた現実は緩やかな絶望を皆の心に染みわたらせる。




「他国の神具使いに遣いをやっている。その者を頼るか、勝手に竜が去るか。我らには、この二つしかないのだ」




 遂には国王も口をつぐみ、沈黙が王の間を包んだ。この数年、何度も議論を尽くし、最後にはまた同じ結論に辿りつく。やり場のない怒りとどうしようもない閉塞感。硬く握りしめられた大臣たちの拳が、却って人の無力を痛感させる。




「神具使いは、やはりハイディを嫁にと望むだろうか」




 すっかり静まり返ってしまった王の間に、王の呟きが落ちた。




「そりゃあそうだろうよ。力の頂点を極め、唸るほどの財宝を持った者への対価に、あの娘以外の選択肢はあるまいよ。カテーナ様を望めば、玉座に縛られる。それは、彼の国が許すまい。そも、件くだんの神具使いは自由を愛する男と聞いている。やはり、柵もないハイディ様しかないのだ」




「......やはり、そうであるか」




 喉の奥から絞り出すように王は言った。威厳と覇気に満ちた偉大な王の姿は玉座にはない。ただ、双肩に背負う重みに耐えかね、憂いに沈む一人の初老の男が溜息をつくばかりである。




「いずれ余の下から離れてしまうことなぞ重々承知、アレはどこかの国へ嫁いでいく運命にあった。それが王族として生まれ落ちたものの責務である。国が輝くための道具として、我らは在るべきなのだ。」




 男の声が響く。覇気と威厳ではなく、憂いと嘆きを込めて。




「……どうしてあの子は、第二王女として生まれたのか。どうして、姉よりも尚、太陽に愛されているのか。何故なのだ……」




 黄金に煌めく髪と、炎よりもなお紅い瞳を持って生まれた、太陽に愛されし黄金の美姫。豊かな長い金髪をなびかせ、無邪気に城中を駆け回るハイディを思い、大臣たちの嘆きが場に溢れた。






 男たちが感傷に浸り、沈んでいた、まさにその時だった。






 ノックも無しに勢いよく扉が開かれる。国王に対する明らかな不敬、これを起こした輩をたたっ斬ろうと騎士団長が目を光らせる、その気勢すら吹き飛ばして顔色を無くしたメイドが叫んだ。




「大変ですッッ!!!ハイディ様が竜殺しになるのとの書置きを残して、失踪なさいましたッ!!!!」

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