中 夢のマンガ飯 ゴールデンしもふりビーフのすき焼き
こうして、我が家に不思議な龍の神様がやってきた。
満腹龍神様が我が家に滞在できるのは最長一ヶ月。
その間に、私はあと二つ、食べたいものを出してもらわねばならない。
しかし、満腹龍神様が我が家に来て二週間経っても、私は何のご飯を食べるかを決めかねていた。
でも一つ、変わったことがある。
「ただいま」
「おかえり」
いつもの時間、いつもの帰宅。
返ってくる、穏やかな声。
私を待ってくれている、満腹龍神様がいるのだ。
「小春、今日も遅かったのう」
「後輩の男の子の手が遅くてさ、そのサポート。満腹様はなにやってるの?」
「映画を見ておった。これがまた面白くてのう」
満腹龍神様は色んな時代を渡り歩いてきたらしく、我が家にもすぐに順応し、電子機器にもすぐに馴染んだ。
私はそんな神様を、いつしか満腹様と呼ぶようになった。
夜中に帰って、家に誰かいる生活は、割と悪くない。
しかも満腹様は、料理こそしてくれないものの、ちょっとした洗濯物とか、掃除とか、皿洗いも引き受けてくれるのだ。
人畜無害で、話もよく聞いてくれて、文句も言わない。
同居人としては最高だ。
「小春ちゃん、彼氏でも出来た?」
そんな事を急に尋ねてきたのは、社内食堂でたまたま一緒になった、三つ先輩の水卜さんだった。
予期せぬ言葉に、思わず「うぇっ!?」と声が出る。
「な、何言ってるんですか? 急に」
「隠さなくても良いよ。私そう言うのは鼻利くんだよね」
水卜さんはそう言って、私の顔をじっと覗き込んでくる。
「整った髪と、いつもより行き渡った化粧、余裕のある表情……」
「はい?」
「ずいぶん生活に余裕が出来たみたいですねぇ? 早乙女小春さん?」
「いや、だから誤解ですって……いませんから、彼氏」
「本当に?」
「出来てないですし、候補もいないです」
すると水卜さんは「なぁんだ」とつまらなさそうに肩を落とした。
「小春ちゃん、何だか表情が変わったからてっきりそうなのかと思っちゃった」
「表情が変わった?」
「うん。以前は死ぬすんぜんの社畜の顔してたけど、今は表情が明るいよ」
「死ぬすんぜんの社畜って……」
ひどい表現だと思ったが、あながち間違いでもない。
満腹様が来てからというもの、確かに生活に余裕が出来たし、心も不思議と穏やかだからだ。
その理由は満腹様が穏やかで、私がどれだけ愚痴を吐いても、泣き言を言っても、暗いことを言っても動じず受け止めてくれるからだろう。
「たぶん、ちょっとお休みもらったんで、それで気力が戻ったんだと思いますよ」
「つまんないの。いじろうと思ったのに……」
「人の恋路で遊ぼうとしないでください」
すると水卜さんは何だか遠い目をした。
「最近さぁ、何だか思うんだよね」
「何をですか?」
「家で一人で飯喰っててさぁ、『あぁ、私ずっとこのまま独りなのかな』って」
「水卜さんでもそう言うの考えるんですか?」
「そりゃ考えるよ。小春ちゃんは感じたことない? 家で独りで御飯食べると、何だか少し味が違うなって」
「味が違う……ですか」
「たまに実家に帰って家族とご飯食べるんだけどさ、これが妙に美味しく感じるんだよね。それで、レシピとか教わって家で作るんだけど、全然美味しくないの。同じものなのに、味が違うっていうか、味気ないなって」
「へぇ……」
「結局さ、誰かと食べるご飯が一番美味しいのよ。だから小春ちゃんも早く彼氏作りな? まだ若いんだからさ」
「水卜さんもそんな年齢変わんないでしょ」
そこで、ふと思いつく。
「ところで、水卜さんに質問なんですけど」
「何さ?」
「『何でも好きな物を食べて良い』って言われたら、水卜さんなら何食べます?」
「えらい急だね。何で?」
「今朝通勤中にふと思いついちゃって。水卜さんなら、何か面白そうな物、思いつきそうじゃないですか」
「私を何だと思ってるのかね、君は」
水卜さんは眠そうな顔で私を見つめた後、何やら考えるように腕組みした。
「うーん……本当になんでもいいなら、マンガだな」
「マンガ?」
「そ。マンガに出てくるオリジナルのご飯とか食べてみたい。想像と期待を裏切らないようなやつ。小春ちゃんは食べたくない?」
「あー、確かに。興味ありますね」
オリジナルのマンガ飯か。
食べたいものと言われて、流石にそれは頭の中になかった。さすがは水卜さんだ。着眼点が他の人とは違う。
マンガ飯といえば、私は食べてみたいものが一つだけあった。
昔、幼い頃に見たファンタジーマンガに出てきた料理だ。
伝説の七つの食材を探しに行くというマンガに出てきた食材『ゴールデンしもふりビーフ』を用いたすき焼きである。
他にもフェニックスの黄金卵や豊穣土の長ネギなど、色々な食材を用いたそのすき焼きは、幼心に何度も憧れたものだ。
ちゃんと火は通っているのに、弾力があって、一口噛むごとに肉汁がぶわっと溢れ出すジューシーなお肉。
濃厚なダシに絡んだ上品な甘味ある長ネギと、太陽の光を吸収したかのような黄金色に輝く卵。
どれもこれも現実には存在しない代物な訳であるが、そんな物を果たして再現することが出来るのだろうか。
その日の帰り道は、何だか妙に足取りが軽かった。
電車の中でも、何だか心が浮足立っているのを感じる。
「すき焼きかぁ……何となく、昔、おばあちゃんとも食べたっけ」
○
「おばあちゃんご飯食べに来たよ。今日は何?」
「よく来たね小春。今夜はおじいちゃん特製のすき焼きだよ」
「本当……!?」
突然の今夜はすき焼き宣言に、幼い頃の私は胸を弾ませたものだ。
席につき、足をぷらぷらさせながら待っていると、やがてダシが煮える良い香りと共に、お鍋でグツグツと煮えたお肉が姿を現す。
それを見た当時の私は、まるで宝物を見つけた時のように、目を輝かせたのだ。
「ねぇ、食べていいの!?」
「もちろん。たくさんお食べ」
祖母の言葉にいざなわれるように、お箸を伸ばす。
口にしたお肉は、とっても柔らかくて美味しくて。
「これこれ、そんなに慌てなくても、たくさんあるからね」
「だって美味しいんだもん!」
心なしかいつもより会話ははずみ、顔に笑みが浮かんだのを覚えている。
そんな私を見て、祖母は嬉しそうに言ったのだ。
「やっぱりご飯は――」
○
そこでハッと意識が戻る。
気づけば、もう最寄り駅に到着していた。
「ヤバッ、降りなきゃ」
慌てて電車を飛び降りる。
今はずいぶんと遠くなってしまったあの記憶が、何だか無性に懐かしく思えた。
家に帰った私は、早速満腹様に尋ねてみた。
「満腹様って食べ物だったら何でも出せるんだよね」
「そうじゃよ」
「じゃあさ、それがこの世に存在しないものでも出せる? 例えばその……マンガのご飯とか」
「大丈夫じゃよ」
「やっぱダメかぁ……」
うん? とそこで我に返る。
「って、本当に?」
「わしが出せない食べ物は、この世に存在せんからのう」
意外だった。
満腹龍神様が何でも出せることに疑いはなかったが、まさかここまで出来るなんて。
これが、神様の力か。
「それじゃあ満腹様、よろしくお願いします」
「ほっほっほ、任すがよい」
満腹様が手をかざすと、不思議な光がテーブルの上に満ち溢れ、香ばしい匂いが部屋に漂って来た。
鼻腔を刺激され、ついついお腹の音が鳴るのと同時に。
立派な肉の入ったすき焼きが、机の上に出現したのだ。
「すごい……」
「ほっほっほ、どんなもんじゃ」
湯気とともに、ダシが焼ける香ばしい香りが漂っていて。
鍋のそこに敷かれた大量のお肉と、焼き豆腐や糸こんにゃく、お麩、それに青々とした長ネギというお決まりの具材達。
そして何よりも、器に入った黄金色に輝く卵。
私がマンガで読んで憧れたすき焼きが、そこに出現していた。
「これ、もしかしてゴールデンしもふりビーフのお肉?」
「ほっほっほ、もしかせんでもその通りじゃて」
私は恐る恐る、箸でお肉をつまむ。
想像以上にずっしりとした感触だった。
「た、食べて良いよね?」
「そのために出したからのう」
「では、遠慮なく……いただきます」
ガブリと、思い切って大口で一口。
瞬間、私の世界の常識が変わった。
ぐにゅぐにゅぶよぶよの噛み応えなのに飲み込みやすい肉質。汁はそんなにないが噛めば噛むほど味が滲み出てくる。噛み切るごとにプツンと繊維が弾け、濃厚な旨味が口に広がり、味は牛肉のような重量感のあるものに似ていながらもサラリと流れ込んでくる。
そして何より、その肉のパンチを包み込む、フェニックスの卵の濃厚な味。
脂っこいお肉を、卵で包むことで、味をまろやかにし、更にコクを引き出してくれている。
「ウマッ! ウンマッ!! ウマすぎコレっ! なにコレ!?」
「ほっほっほ、慌てて食わんでも肉は逃げんぞい」
満腹様は美味そうに肉を頬張る私を見て、愉快愉快と笑った。
ガツガツと、貪るようにご飯を食べて、ふと手を止める。
――結局さ、誰かと食べるご飯が一番美味しいのよ。
不意に、水卜さんの言葉が思い起こされた。
そんな私を、不思議そうに満腹様が見つめている。
「どうしたんじゃ? 小春。もうお腹一杯かい?」
「えっ、いや……あのさ。よかったら、満腹様も一緒に、食べない?」
「わしもかい? 構わんが……どうしたんじゃ? 急に。それは小春のためのご飯じゃから、遠慮することはないぞ?」
「うん。なんかね……美味しいんだけど。私一人で食べても寂しいっていうか。今日ね、会社の先輩が言ってたんだよ。『誰かと食べるご飯が一番美味しい』って。それで、考えてみたら、昔すき焼き食べた時、おばあちゃんも似たようなこと言ってたなぁって」
「トメがかい?」
私は頷く。
「『ご飯は家族みんなで食べるもんだよ』って、よく言ってた」
すると満腹様は、それはそれは、何だか全てを包み込んでくれそうなほど、優しい笑みを浮かべた。
「……小春は、わしを家族だと思ってくれておるのかな?」
「うん。まだ一緒に過ごした時間は短いけどさ。なんか満腹様、本当のおじいちゃんみたいなんだもん」
「ほっほっほ、そう言ってくれたのは小春が初めてじゃのう」
満腹様はごきげんな笑い声を上げた後、ゆっくりと対面に座った。
「それじゃあ、一緒に食べよう、小春」
「うん。いただきます」
二人であーだこーだ言いながら食べるご飯は、何だかいつもと少し違った味がして。
ご飯を家族で食べる大切さが、少しだけ分かった気がする夜だった。
○
「ふぅ、お腹いっぱい。もう食べられないや」
食事を終え、パンパンになったお腹を叩きながら、私は座椅子に背中を預ける。
満腹様はというと、食べ終わったお皿を台所で丁寧に洗ってくれていた。
「ねぇ、満腹様」
「なんじゃ? 小春」
「本当に、満腹様は一ヶ月過ぎたら本当にいなくなっちゃうの?」
尋ねると、少しの間のあと、満腹様は「そうじゃよ」と泡だらけの手でお髭を触った。
お髭に泡がついて、それに気づかない満腹様は何だか可愛らしい。
ずっと居てほしいな、と切に思う。
「期間延長とかは、出来ないの?」
「わしは神様じゃからのう。神様にはいろんな人を導く役目があるんじゃよ。万人が、神様の導きを受ける資格を持つからの」
「そうか、そうだよね。私が独り占めにしたら、次の人が満腹様のご飯、食べられなくなるもんね……」
一ヶ月経つと、満腹様は帰ってしまう。
あと一つ、何か頼んでも満腹様は帰ってしまう。
それなら唯一無二、これ以上ないってくらいの、どれだけお金を積んでも二度と食べられないようなものが良いのかもしれないけれど。
そんなもの思い当たるわけがなかった。
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