3-5

 僕は両手を合わせて『ごちそうさま』をしながら、頷いた。


「そっか。じゃあ、ヤツの面白くないって気持ちはわかるよな? 家事の一切を放棄して、家族をまったく顧みなくなっただけじゃない。自分らの『母親』だったはずのお袋さんが、急に少女のような顔をしてウキウキと『稲成り』に通ってるんだからさ」


「……まぁ……」


「だからって、あの態度はないけどな。八つ当たりもいいところだ」


 長瀬さんがため息をついて、「許してやらなくていいからな」と零す。


「あれ? いいんですか? さっき、謝ってませんでした?」


「擁護するわけじゃないって言ったろ? 謝ったのは、俺が許してほしかったの」


「長瀬さんが? 繰り返しますけど、長瀬さんは何も悪くないじゃないですか」


「そうか? アイツの事情を知ってて、お前に声をかけたんだぞ」


 バツが悪そうに頭を掻いて、下を向く。


「四ノ宮とのことを訊きたいのはもちろんあったけど、それ以上に藤堂が『稲成り』でのお袋さんのことを知りたいんじゃないかと思ってさ……」


「きっかけを作ったのは長瀬さんだってことですか?」


 長瀬さんが頷く。僕は思わず笑ってしまった。


「それは、長瀬さんの優しさじゃないですか。やっぱり、何も悪くないですよ」


 むしろ、その気遣いを台無しにした藤堂に、さらに腹が立つわ。マジで。

 そして、長瀬さんももっと怒っていいと思う。がっつり顔を潰されたわけだし。

 だけど、その気持ちを長瀬さんにぶつけたって仕方ない。


 僕は深呼吸をして気持ちを落ち着けると、アイスコーヒーを引き寄せた。


「さっきも言ったとおり、営業時間中に一陽さんが客席に出てくることなんて、ほとんどありませんよ。この二週間に限定したら、確実に一度もないです」


 それに、言わせてもらうなら、一陽さんの美貌は見て癒されるようなレベルじゃない。それこそルーブル美術館に収められているべき『究極の美』なんだから。

 一陽さんをはじめて見た時、たいていの人はガチガチに固まってしまう。あの圧倒的な美を前にして、普通に言葉を紡げる人はなかなかいない。

 いや、はじめて見た時だけじゃない。一陽さんに打ち解けられる人は、そうそういないらしい。一陽さん曰く、最初から一切物怖じしなかったのは、それこそ僕ぐらいだとか。


 だから、一陽さんは僕を助けた時――僕が一陽さんに対して物おじせずに話すのを見て、とっさに『嫁に来い』って言葉が口を突いて出てしまったんだそうだ。


 自分の美貌が、自分の料理の邪魔をしていることに、気づいていたから。


 自分がいては、お客さまが料理を堪能することができない。

 お客様のためにも、給仕はほかの誰かに任せたいと思っていたから。


 だから、『助け合い』を提案した。四ノ宮さんにしたように、僕にも。


『稲成り』のために働いてくれ。時給は弾むし、健康によい賄いもつける。そのうえで、残りものも分けよう。貴様の健康は必ず私が取り戻してやるから、うちに来てくれと。


 貴様なら、私のパートナーを務められるだろう、と――。


「たしかに、俺もガチガチに緊張してたもんな……」


 長瀬さんがソファーの背もたれに身体を預けて、天井を仰ぐ。


「ですね。でも、長瀬さんはまだしっかり話せてたほうらしいですよ」


「そりゃ、ばあちゃんの煮物の正体を知りたいという確固たる目的があったからな」


「実は四ノ宮さんも、わりと短時間で一陽さんの目を見て話せるようになってましたから、一陽さんからしたら結構レアな存在らしいですよ」


「……!」


 四ノ宮さんの名前に、長瀬さんがおもしろいほど反応する。

 ガバッと勢いよく身を起こして、顔を赤くして視線を泳がせる。


「し、四ノ宮は、て、店主さんウォッチングがしたいから、営業時間外に?」


「いや、そんなファン心理でもありませんよ」


「でも……」


「本当にそういうんじゃないんですよ」


 四ノ宮さんのためにも、重ねて否定する。


「たしかに普通の感覚からすれば、二日に一度の頻度で営業時間外に通ってるってのは、なかなかおかしな話ではあるんですけど、だからこそ色っぽい話ではまったくないです。恋愛なんて超絶私的なことに店を利用するのを、一陽さんは許したりしません。絶対に。そこは安心してください」


「そ、そうか……」


「サクッと話せればいいんですけど、一応四ノ宮さんの事情なんで、今ここで僕が勝手に話してしまうわけにはいかなくて……すみません。でも秘密にしているわけではないので、本人に訊けば普通に教えてくれるはずですよ」


 本人が秘密にしてたら、錦雛菊が店に迎えに来たりするはずないもんな。


 その言葉に、長瀬さんがズイッと身を乗り出す。


「ほ、本当か?」


「はい。本当に恋愛だとかそういうことじゃないんで」


 目を見て力強く首を縦に振ると、長瀬さんがホッとしたようにソファーに身を沈めた。


「そっか……。じゃあ、四ノ宮に直接訊くか……」


「答えを聞いでしまえば、拍子抜けすると思いますよ。まさかそんな理由だったなんて、自分は何を心配してたんだろうって」

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