ある日のこと⑤

「お母さん聞いて! オレ好きな人出来た!」

「こらっ、帰ってきたら“ただいま”でしょ! あと手を洗いなさい! そして聞き間違えじゃなければ、その後好きな人について詳しく話しなさい!」

「分かった! ただいま!」


 家に帰って来た優希くんは早速、台所で夜ご飯の準備をしていたお母さんに向かって、大声で自分に好きな人が出来たと叫びました。それ程、あのお姉さんに惚れたんですね。


 けど、お母さんは冷静でした。冷静に優希くんを叱り、冷静に次にすることを指示し、冷静に今、優希くんが言ったことをもう一度さりげなく聞き返していました。そして冷静に、夜ご飯の準備も即中断します。


 やがて、全てを終えた優希くんがリビングに戻ってきました。お母さんは既に椅子に座って、優希くんを待っています。


「優希、全てを話しなさい。早く吐いた方が楽になれるぞ」


 まるで刑事ドラマにある取り調べのシーンみたいですね!

 その言葉に対し、優希くんは満面の笑みで全てを話し出します。


「もうね、凄かった! 最初は何にも思ってなかったのに、最後には好きになってた! 顔が熱くなってね〜、なんか心臓がドキドキして、好きだって分かった! 初恋だ!」


 けど、優希くんの説明が下手すぎてお母さんは何が何だか分かりませんでした。ただ唯一、分かったことは優希くんが初恋をしたことだけです。


「優希、落ち着きなさい。優希が恋をしたことは分かった。その点についてはお母さんは嬉しい。何故なら、恋バナが出来るから」

「コイバナ……? バナナ?」

「優希、相手の女の子はどういう子なの?」


 お母さんの真剣な目が、少しだけ穏やかになりました。まさか息子と恋バナをする日が来るなんて……! と、心の中で僅かな可能性に祈りを捧げています。


 一方、優希くんは照れくさそうに自分の好きな人について話し始めました。


「えっと……、出会ったのは今日で」

「今日!?」

「その人の帽子が風に飛ばされて木に引っかかって、それをオレが取って」

「なるほど、良いことしたね。でも危ないからやめなさい」

「分かった! で、ちょっと怪我して」

「言わんこっちゃない!」

「そしたらその人が傷の所水で洗ったり、ハンカチで拭いてくれたり、しかも絆創膏くれたんだ! 見てコレ!」


 そう言って優希くんは蜂の絵が描かれてる絆創膏を自慢げに見せました。その可愛らしい蜂の絆創膏に、お母さんも思わずニコッと微笑んでしまいます。


「大和も応援してくれるって言ってくれたんだ!」

「良かったね。確かに、話を聞いててもその子はとても優しそうだからね。……で、その子は同じ学校の子なの?」

「ううん! 違う!」


 優希くんの言葉に、リビングに沈黙が訪ねてきました。しばらくの間、沈黙はその場に居座り、笑顔の優希くんとお母さんがまるで動かなくなったかのように錯覚させます。


 だが沈黙よりお母さんの方が一枚上手でした。沈黙が居座っている間、お母さんは頭をフル回転させていたのです。優希くんが話していた言葉を。そして思い出しました。優希くんは『その子』ではなく、『その人』と言っていたと。


 つまり、相手は年上。


 その結論にたどり着いたお母さんは沈黙をリビングから追い出し、口を開けました。


「まぁ、子供の頃は年上に憧れたりするもんね。お母さんも昔、近所の中学生のお兄さんが好きだったから気持ち分かる」

「中学生じゃないよ」

「っ!? え、高校生ってこと?」

「ううん、違う」

「!?!??? ……優希、大学生はちょっと─────」

「大学生じゃないと思う!」

「じゃあ一体いくつなのよ!? てか誰よその女!」

「分かんない! 今日会ったから!」


『困惑』 お母さんの頭にこの二つの漢字が浮かび上がりました。想像以上、想定外、我が息子ながら分かんねぇ。


 お母さんは一気に疲れていました。理由は簡単です。素性の分からない女の人に優希くんが本気で恋をしてるからです。この後、なんて言葉をかけたらいいのか……。と、お母さんが悩んでいると──────


「そうだ、コレお姉さんから助けたお礼に貰ったんだ! アメ!」


 優希くんがポケットから嬉しそうに飴を出してきました。餌付けまでされてる……と、お母さん。むしろ、飴を貰えたから好きになったんじゃ? とお母さんは考えました。優希くんなら有り得なくないからです。


 けど、さっきから自分の好きな人について話す度に嬉しそうな顔をする優希くんを思い出すと、お母さんはなんとも言えない感情になりました。


 やがて深く息を吐き、小さく笑いました。


「血は争えないのね……」

「へ?」

「お父さんもね、年上が好きなのよ。だから最初、お母さんと付き合ってたと言っても過言じゃなかったわ」

「へぇ〜! ……ん? でもお母さん、お父さんより年下って言ってなかっ──────」

「さっ、夜ご飯を作らないと! 忙しい忙しい!」


 自分で墓穴を掘ってしまったお母さん。優希くんには、自分はお父さんよりも年下だと伝えていたのに、それを忘れていたようです。でも優希くんの頭は単純なので、訳が分からないという顔をしています。


 台所で再び夜ご飯を作り始めるお母さん。その後ろ姿をぼーっと見つめる優希くん。


「あっ!」


 すると、優希くんは何かを思い出し、料理をしてるお母さんの横に行きました。


「あっ、ちょっと! 邪魔! 危ないでしょ!」

「もう一つ話しあった! 学校で友達がまた一人出来たんだ!」

「おお〜、良かったじゃない。でも大和くんの事も大事にしなきゃダメだからね? ちなみに、新しい友達は何くんなの?」

「お母さん違うよ! 今度の友達は男子じゃなくて、女子だよ! ──────うぉ!?」


 “女子” その言葉を聞いた瞬間、お母さんは料理をまた中断し、優希くんの両肩に掴みかかりました。しかも、とても笑顔です。


「優希! その子はどんな子なの!?」

「んーっとね〜、金髪で、目の色が黄緑色で〜、身長は大和と同じくらいで、名前はメリッサ! オレはメリーって呼んでる!」

「もうあだ名呼び!? 今日友達になったんだよね!?」

「うん! そんで一緒に帰った!」


 コミュニケーション能力高すぎる! そして仲良くなるのも早すぎる! お母さんは自分の小学生時代と一旦比べてみましたが、何度振り返っても優希くんみたいな出来事は一度もありませんでした。


 が、大事なのはそこではありません。


「優希は……メリッサちゃんのことどう思ってるの?」

「え? 面白い友達!」

「……。大和くんはメリッサちゃんのこと、何か言ってた?」

「大和? んー……、あ! メリーに可愛いって言ってた!名前──────」

「終わりだァァァ!!」


 突然大声を上げ、両手で顔を覆うお母さん。その姿を見て優希くんも思わず驚きの声を上げました。……傍から見れば、修羅場にも見えなくはないですね!


 お母さんが首を揺らしながら、ボソボソと言葉を吐き出します。


「もう終わりだ。そんなこと言われて好きにならない訳がない……」

「ん? メリーが大和を好きってこと?」

「当たり前でしょ! 相手は大和くんだぞ! アンタも好きでしょーが!」

「確かにっ……! オレも大和のこと、優しくて良い奴だから好きだ!」

「そうでしょ。だからメリッサちゃんは──────」

「じゃあメリーもオレと同じで、大和のこと親友って思ってるってことか」


 優希くんの的外れなポンコツ発言に、お母さんは言葉を失ってしまいました。でも仕方ありません。何故なら優希くんは、先程初恋をしたばかり。“like”と“love”の違いに疎くても文字通り仕方ないのです。限度というものがあったとしても。


 ニコッと笑う優希くんと、この世の終わりの知らせを聞いたかのような顔をしているお母さん。けどやがて、中断していた料理を再開しました。ただひたすら夜ご飯を無心で作ってます。


 そんなお母さんの変わり様に優希くんは首を傾げ、夜ご飯が出来上がる間、一人でオモチャで遊んでいました。

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