第85話 婚約発表

「し、不知火さん、そんな冗談を言わなくてもいいんだよ?」


どうやら西園寺は、先程の澪の発言を信じられずにいるようだ。確かに、澪は男性が苦手で婚約どころか彼氏すら居なかった。


婚約者のふりをしていた時期ですら、多少の防波堤にはなったが、ほとんどの人は信じていなかっただろう。


「別に私は冗談を言っているつもりはないのですが。信じてもらうのも大変なのですね」


澪は、ため息を吐きながら、頬に手をあてる。


「婚約者の話は、噂で聞いたことがあったが、実際に見たことはないし、本当かどうかわからないじゃないか」


「んー、あなたに信じてもらう必要はないのですが、ここでハッキリさせた方が、今後が楽かもしれませんね」


そう言って、こちらをチラッと見る澪。そして、それに続くようにお爺さんもチラッとこちらを見る。


澪は『どうしましょうか?』といった感じに見えるが、お爺さんの方は『さっさとこっちに来い!』と言わんばかりの形相だ。


仕方ない。


これは試練だ。澪と今後も関係を続けていく上で、乗り越えなくてはならないことなのだろう。俺は意を決して、澪達の元へと向かう。


何歩か歩き出したところで、既に視線を感じる。うわぁ、やっぱりすげぇ見られてるよぉ!


俺は邪念を振り払いながら、一歩ずつ近づいていく。しっかりと踏み出さなくては、今にも転んでしまいそうなほど、メンタルはやられていた。


『おい、なんだあいつ?』


『あの女神達の連れだろ?』


『どこかで見たことあるな?』


男性達は、モデルのHARUには興味がなく、知らない人も多いようだが、女性達は別だった。


『やっぱり、あの人HARU様だわ!』


『うそ!?なんでこんなところに!?』


『サイン貰えないかしら??』


『もしかして、不知火さんの婚約者って』


ご令嬢の間では、HARUの知名度は抜群で、むしろ知らない人はいないほどである。そして、今の状況から澪の婚約者が誰なのか、理解するものも多かった。


「なんだね、君は?今は私達が挨拶しているのだ。立場を弁えなさい!」


「そうだよ、君?いくら顔が良いからと言って、不知火さんを困らせちゃいけないよ?」


西園寺親子は、近づいてくる俺を、止めようと声を発する。それでも近づく俺に、明らかに不機嫌な表情を見せる。


「君は知らないだろうけど、不知火さんは男性が嫌いなんだよ」


「そりゃ、見てればわかりますよ。貴方はだいぶ嫌われているようですし」


「なっ、なな!?」


本当のことを言われて言い返せないのか、それとも本当に気づいていなかったのか。どちらにしろ、図太い神経をしているようだ。


俺はそんな親子のことは放っておいて、澪達の元へと向かった。


「晴翔様、遅いです」


ことの成り行きを見守っていた澪は、来るのが遅いと怒っている。しかし、頬を膨らませ怒る姿は、ただただ澪の可愛さを引き立たせるだけだった。


『ぐおっ、なんだあの顔』


『不知火さんがあんな顔するなんて!?」


『じゃあ、あいつが婚約者か!?』


『やっぱり婚約者はHARU様なのね!』


『さすがHARU様。不知火さんにあんな顔をさせるなんて』


周りがやたらとうるさいが、今は澪の方が大事だからな。周りは無視することにした。


「ごめんな、なんだか非常に出にくい感じだったからさ」


「それでも、もっと早く来てほしかったです。次は許しませんよ、めっ!」


そう言って、俺の鼻を人差し指でつつく澪。これは彼女なりのお仕置きなのだろうか?


これは、ただのご褒美なのでは??やばい、澪が可愛すぎて辛い。


「わかったよ。だから、もう一回やって?すごく可愛かった」


「えっ、そ、そんな、可愛いだなんて」


澪は両手で頬を押さえて、恥ずかしそうにしている。やっぱり可愛い。


俺が澪を見つめていると、隣から声がかかる。


「おい、晴翔。儂が呼んでるのだから、もっと早く来んかい」


「す、すみません、お爺さん。でも、あれじゃ出にくいですって」


「はぁ、これからはこれが当たり前なんじゃ。早く慣れてしまえ」


「努力します」


俺と不知火家の一連のやりとりを見ていて、周囲は驚愕の一言だったが、その中でも西園寺親子は驚きを隠せないほど衝撃を受けていた。


『お、おい、日向。アイツは何者だ!』


『わ、わかりません、父上』


状況の掴めない西園寺は訊ねる。


「け、顕彰様、すみません」


「ん?なんだ?」


「よろしければ、彼を我々にご紹介頂いても宜しいでしょうか?」


お爺さんの機嫌を損なわないように、慎重に話しかける西園寺。


「おぉ、そうじゃったな。皆聞いてくれ」


一言、お爺さんが声を出せば、会場は静まり返り視線が集まる。これがカリスマ性ってやつかな。すごく格好いい。


「彼はうちの孫娘の婚約者になった、齋藤晴翔だ。これからは、仕事も少し手伝ってもらうから、みんなとも顔を合わせるだろう。面倒を見てやってくれ」


突然の婚約者の発表にも周囲は驚いたが、さらに仕事まで手伝わせるとなると、今後の後継者候補にも入ってくるということだ。驚かない者はいなかった。


「お、お待ち下さい!」


そこで、異議を唱えたのが西園寺家だった。彼としては息子と澪をくっつけたかったようだが、学校での様子を見るに、万が一にも可能性は無さそうだ。


「そんな、何処の馬の骨かもわからないような奴にお嬢様を任せるなど出来ません!」


彼はそう言って、辺りを見渡す。西園寺家と仲良くしたい家は多いはず。きっと、異を唱えてくれると思っていたようだ。


しかし


「な、なぜだ。なぜ、誰も私の味方をしないのだ!?」


誰も後に続かないことに、狼狽えている西園寺だが、近くにいた男性が近づいていく。


「さ、西園寺様」


「おぉ、西村くん!どうしたのだね」


やっと助け舟が来たと思ったようで、西園寺はホッ胸を撫で下ろし、彼に返事を返す。


「あの、うちの妻や娘が言うには、彼は今とても人気のあるモデルさんのようでして」


「そ、それがなんだと言うのだね!少し人気があるくらいで、ただのモデルだろう!?」


その発言に、周囲の女性陣の目は冷ややかなものになる。


今回、西園寺に声をかけた西村もまた、妻と娘に『HARU様をお助けしろ』と言われて声をかけただけだった。


「妻達が言うには、ここに集まっている家の女性方は皆HARUさんの大ファンのようで、HARUさんのことを支持したいとのことで」


会社を仕切っているのは男性陣であるに違いないが、それでも妻や子供達の存在は大きいもので、無碍には出来ない。


それは、どこの家も同じだった。


『HARU様を馬鹿にするなんて許せないわ』


『最近では海外のモデルさんも注目してるようですし、知名度は抜群ですわ』


うん、うん、と女性陣は納得の表情。


「ち、父上。そういえば、最近母上がハマっているモデルがいるとか、言ってませんでしたか?」


「そ、そういえば、言っていたような気もするが」


徐々に、居心地が悪くなっていくのに気づき、気まずくなってきたところで、お爺さんが声をかける。


「それで、こやつの何が不満なんじゃ?十分に釣り合いは取れていると思うし、仕事に関しても問題ないだろう。非常に頭もいい」


「で、ですが」


「くどい。これはもう決定したことじゃ」


「くっ、申し訳ありませんでした。いくぞ、日向」


「は、はい、父上!」


2人はお爺さんへの挨拶を終えると、そそくさと帰ったしまった。そして、帰り際にすごい形相で俺を睨みつけていった。


とりあえず、何事もなくよかった。


「そういえば、西村くんのところとは今度仕事の話があったな。よろしく頼むよ」


「は、はい!よろしくお願いします!」


なるほど、なかなか上手く立ち回ったものだ。社会では一瞬で自分の立ち位置がかわることもある。俺も気をつけなくては。


「晴翔様、ちょっと失礼していいですか?」


「あぁ、大丈夫だよ」


澪は、俺に断りを入れると女性陣が集まる方へ向かう。すると、すぐさま澪は迎え入れられ、何やら楽しく話し込んでいる。


「晴翔よ、この後は大変そうだな」


「えっ、なんでですか?」


「今、澪がお礼を言いに行っているだろう。そうなると、何かしら譲歩しなくてはならん。ティータイムくらい付き合わされるかもしれんぞ」


「ま、マジですか」


俺は、みんなに感謝しながらも、今後のことを考えると手放しには喜ばなかった。しかし、今は澪と婚約できたことを素直に喜ぼう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る