第23話 ドクトルさんの危機
自滅した魔人の遺体が片づけられた事務室の中で、ソファに腰かけたドクトルはうつらうつらと舟を漕いでいた。砦を占領し終えたので早く帰りたかったのだが、他の兵士からガルディア兵士長が来るまで待っててくれと頼まれたのだ。奪還作戦にあたった兵士や魔導士が魔人や魔物の遺体を慌ただしく処理している中、ドクトルは仕方なく待ち続けているのである。
いい加減、本当に眠ってしまおうかと思いながら待っていると、事務室の扉が勢いよく開かれた。歓喜の声を上げて入ってきたのは、金髪の兵士長、ガルディアだった。
「素晴らしい! まさか本当に一晩で砦を取り返してしまうとは! しかも死傷者ゼロで、魔王軍の領地でしか採集できない特殊な『宝氣石』をも手に入れただと!? やはり貴様は最強の名を冠するに相応しい魔導士だ!」
「……どうも」
高揚に高揚を重ねたガルディアのテンションとは対照的に、褒められたはずのドクトルの態度は冷えに冷えきっていた。
魔人が死に活動が停止している黄金色の『宝氣石』をまじまじと観察するガルディアの背中に向けて、ドクトルはひどくつまらなさそうに願い出る。
「これで契約は完了しましたので、早く帰らせてほしいのですが」
「まあまあ、そう言うな。茶を入れさせるから、ゆっくり話し合おうではないか」
上機嫌な笑い声を上げながら、ガルディアが対面のソファに座る。
ドクトルはというと、すこぶる機嫌が悪そうに目を細めていた。
「いりませんし、あなたと話し合うことなどありません」
「どうだろう? このまま軍に所属して、我々に協力し続けるというのは」
「…………」
話の通じないガルディアに、ドクトルは憎しみすら籠った目つきで睨みつけた。
「その前に、ケントさんはちゃんと元の世界に帰してくれたんですよね?」
「ああ、もちろんだとも。貴様との取り引きはきっちり成し遂げたさ」
ホッと胸を撫で下ろすドクトル。しかし伏せた顔は、どことなく寂しげでもあった。
「で、どうする? 一度ゆっくり考えてみてはどうだ? それなりの待遇は約束するぞ」
「しつこいです。これ以上、あなたたちに協力なんてしません」
ドクトルが真っ向から歯向かうと、ガルディアの顔が一瞬にして無表情になった。さらにはこめかみに青筋を浮かばせ、顔を引き攣らせる。
「まあいい」
苛立ちを放出するかのように、ガルディアは深いため息を吐いた。
そしていきなり顔を近づけてくると、ドクトルの耳元でそっと囁く。
「どのみち貴様の弟はこちら側にいるんだ。これからも、重大な作戦には要所要所で協力してもらうぞ」
「――ッ!?」
喉を引き攣らせたドクトルが、ビクッと身体を揺らした。
脅迫にも似た言葉を残したガルディアが顔を離す。すると対面にいるドクトルを完全に無視するようにそっぽを向きながら、早く帰れの意味でしっしと手を振った。
それは決して砦を取り戻した功労者に対する態度ではない。怒りのあまり声を張り上げそうになったドクトルだったが……歯を食いしばり、感情を押し殺して立ち上がった。別に労ってほしかったわけではないのだから、こちらも無視をすればいいだけの話だ。
しかしドクトルが事務室を出て行こうとしたのと同時に、扉が外側から開いた。
開け放たれた扉から、兵士が焦った様子で入って来る。
「ガ、ガルディア兵士長! 報告します! 東より、魔王軍らしき軍勢がこちらへ向けて進行中です! その数およそ……二百!」
「なんだと!?」
血相を変えて立ち上がったガルディアが、ドクトルの腕を掴んだ。
「痛ッ!」
「貴様も一緒に来い!」
「なんで私まで……」
抵抗はするものの純粋な腕力ではガルディアに勝てず、ドクトルは足元をよろめかせながら無理やり引っ張られていく。向かった先は東塔の見張り台だった。
ぼんやりと月明かりが照らす荒野の中、はるか遠くにいくつもの灯りが見える。それらは規則正しく上下に揺れ、ゆっくりとこちらへ近づいてきているようだった。
「俺に視力強化の魔法を掛けろ」
不満げに顔を歪めながらも、ドクトルは素直に従った。
暗闇を一望できるようになったガルディアが目を細め、遠方で蠢く軍団を注視する。すると突然、彼の表情が一変した。何かに気づくのと同時に、苦虫を噛み潰したような顔から、新しいおもちゃを買い与えてもらった子供のように表情を明らめたのだ。
「いや……いやいやいや、違うぞ! あれは魔王軍の補給部隊だ! 奴らはこの砦が落とされたことをまだ知らないはずだからな。大方ここを拠点とすべく、物資を運んできたのだろう。心配するな、ほとんどが荷馬車で戦闘員など護衛くらいのものだ。いや、それどころか、魔王軍の物資を奪うチャンスだぞ!」
「し、しかしこちらの兵もまだ十分ではありませんが……」
「なあに。こちらには最強の魔導士様がいらっしゃる」
恐れ戦く一般兵に得意げな笑みを見せたガルディアが、ドクトルへと視線を移した。
だがドクトルとしては、当然ながら寝耳に水だ。心外そうに抗議の声を上げる。
「ちょっと待ってください! 私たちの契約は、この砦を取り戻したところで完了しているはずです! 魔王軍の物資を奪うなど、契約外の話です!」
「その砦がまた奪い返されたら、取り返してないのと同じだろうが!」
態度を豹変させたガルディアの恫喝にも怯まず、ドクトルは怒りに震えながら下唇を噛み締める。そのまましばらく睨み合った二人だったが、結局ドクトルの方が折れたのだった。
「分かりました。今回は協力します。でも今後はこのようなことがないよう、お願いします」
「ほう? それは今後も、我々に協力してくれるという意味かな?」
「…………」
おどけたガルディアを無視し、ドクトルはさっさと塔の下へと降りていった。
目的は魔王軍の物資の強奪。そのためすぐに逃げられないよう、できるだけ砦に引き付けて一気に襲い掛かるという作戦だ。ウェルリア東区の砦奪還作戦に参加した兵士と魔導士は、城門の中に隠れて奴らが到着するのを静かに待った。
やがて魔王軍の補給部隊が、暗闇の中でも目視で確認できるほど接近する。だが奴らは丘の傾斜が始まるやや手前で進行を完全に停止させた。出迎えが無いことに異変を感じたのかもしれない。人間には到底理解できない言語を使ってざわざわと騒ぎ始める。
これ以上は無理だろうと判断したガルディアが、城門の上から号令をかけた。
「今だ! 突撃せよ!」
号令を合図に、城門の陰に隠れていた兵士と魔導士が一斉に飛び出していった。
城門を原点に、扇状に突撃していく。その全員の腰に淡い光を放つ白い紐が巻かれており、それらはすべて最後尾でゆっくりと城門から出てきたドクトルの手に繋がっていた。
数が数だけに、多くの荷馬車には逃げられるかもしれない。だが護衛さえなんとかすれば、少なからず魔王軍の物資を奪うことができるだろう。屋外での魔人との戦闘ではあるが、ドクトルがいるのだから被害もなく容易なはず。
……誰もがそう思っていた。突撃していく兵士たちも、城門の上で戦況を眺めるガルディアも、回復役を担っているドクトル自身でさえも。
だがしかし、たった一人の魔人によって、その希望はことごとく崩される。
魔王軍の補給部隊は退くことも攻めることもせず、敵が突撃してくるのをただただ静観しているだけだった。唯一動きを見せたのは、軍勢の先頭にいる木の魔人、ギルティ・ローズだ。
馬から降りた彼は、一歩だけ力強く踏み込む。
その瞬間、たったそれだけの動作で、唐突に地面が割れた。
まるでテーブルの上に置いたクッキーを叩き割ったように、稲妻がごとく地割れが奔る。予想外の攻撃と地響きに怯んだ人類側の突撃部隊は、そのほとんどが動きを止めてしまった。
すると次に、割れた地面の間から巨大な木の根っ子が何本も現れた。
枯れ果てた荒野にはどこにも幹が無いというのに、樹齢何千年もありそうな大樹の根っ子だけが、まるで軟体動物の足のようにうねりながら聳え立つ。
それらの根っ子は、突撃部隊に向けて一斉に襲い掛かって来た。
鞭のように弾かれ、首を刎ね飛ばされる者。身体に巻きつかれ、圧し潰される者。鋭くなった先端で身体を貫かれる者。自らが敵意すら持っているような何本もの根っ子が、次々と兵士たちを屠っていく。
「そんなっ――」
城門の前で惨状を目の当たりにしたドクトルは絶句していた。
これはいったい、どんな魔法なのだ? どうしてこれほどの出力が出せる?
……いや、分析は後だ。それよりも先に、治療をしないと。
思考を切り替えたドクトルは、魔導士への魔力供給を一旦停止して治療に専念する。部位を欠損した者や根っ子に圧し潰されて臓器を損傷した者には復元を、根っ子に貫かれた者はまず体内の異物を除去してから傷の回復を。
しかし間に合わない。傷を治したところで、次から次へと新たに地面から出現した根っ子が兵士たちを襲っていく。
無限のガソリンがあるからといって、無限のスピードが出るわけではないようなもの。無限に治し続けることはできるが、一度に集中して治療できるのは約五十人まで。それ以上は、ドクトルの脳の処理が追い付かないのである。
そう、思考能力を限界まで治療に割いていたためか、自らの防御が疎かになっていた。
城門前のドクトルに向けて、一本の根っ子が矢のごとく迫り来る。
「きゃっ!」
反射的に横へ避けたことにより、なんとか串刺しだけは逃れられた。ドクトルを襲ってきた根っ子は城壁へと突き刺さり、動きを止める。
しかし避けられたはいいものの、『経路』の半分以上を手放してしまった。これでは治療できないし、再度『経路』を繋ぐにはもう一度対象者に触れなければならない。
万事休す。ドクトルの額に、冷汗が浮かぶ。
とその時、城門の上で怒号が上がった。
「何をしている! 突撃だ! 貴様らも戦え! このままでは砦が再び奪われてしまうぞ!」
「で、でも……」
どうやらガルディアが砦内で待機している兵士に発破をかけているようだ。
だが弱気で返事をする彼らが尻込みしてしまうのも仕方のないこと。ガルディアが連れて来た兵士はただの一般兵であり、彼らも精鋭たちが一瞬にして殺されていく場面を目撃していたのだ。しかもドクトルによる補助もなし。捨て駒ですらなく、ただ自殺して来いと言われているようなものなのだから。
「いいか!? この魔法は奴らの先頭にいる魔人の仕業だ! 誰か一人でも奴の首を刎ねればそれで止まる! 質がダメなら数で押せ! 俺の命令に逆らうな! 突撃せよ!」
ガルディアの怒鳴り声が響き渡る。しかしそれが失敗だった。
新たに生まれた根っ子がドクトルの頭を飛び越えて、城門の上へと向かったのだ。案の定、狙われたガルディアと数名の兵士は腕や脚を捕らわれ、空中へ引きずり上げられると……そのまま何度も何度も城壁へと叩きつけられてしまった。
「このままでは……」
為す術なし。そう判断したドクトルは、一旦退くために城門へと走る。
しかし唐突に城門付近の地面が割れ、中から何本もの根っ子が姿を現わした。さらに乱暴に城門へと突き刺さることで、ドクトルの逃げ道を塞がれてしまう。
立ち止まり、振り返るドクトル。
敵の補給部隊の先頭に立ち、無表情でこちらを見つめているギルティ・ローズに対し、彼女は鋭く睨み返したのだった。
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