第22話 ドクトルさんの真実

「すごい……何もしていないのに、悪魔を倒しちまった……」


 水晶玉で一部始終を見ていた健人が驚愕の声を上げた。


 その正面で一緒に眺めていたカーシャは、呆れながら訂正を入れる。


「ま、今のは自滅みたいなものだったけどね。それに顔色の悪いあの敵さんは、悪魔じゃなくて魔人。私をあんなのと一緒にしないでほしいわぁ」


「悪魔と魔人って違うんですか?」


「全然違うわよ。魔人は魔物の遺伝子が入っているだけで人間とほとんど同じ。対して悪魔は完全に別種族よ。貴方の世界で例えるなら魔人は外国人で、悪魔は宇宙人ね」


「あの見た目で外国人だと言われてもピンと来ないんですが……」


 ドクトルが倒した魔人は完璧な人型であれど、とても人類がしていていい肌の色ではなかったし、その他にも翼の生えた者や腕や脚の数が多い者までいた。『人間とほとんど同じ』という言葉は、さすがに信じることができそうにもなかった。


 それよりも、今はもっと気になることがあった。


「最後にドクトルさんが言っていましたが……本当に『宝氣』が無限なんですか?」


 そもそも無限なんてものが存在するのか。そしてその言葉が真実だとして、どうして彼女は無限の『宝氣』を所持しているのか。ドクトルが最強たる所以を、健人は知りたかった。


 健人の問いは幼子が抱く疑問のように純粋だったものの、問われたカーシャは何故か目を伏せた。陰りすら見えるその表情の意味を捉えかね、健人は首を傾げる。


「そう、ドクトルは全部話したわけじゃないのね」


「?」


 呟いた彼女は、何かを決意するように大きく息を吸った。


 そしてつい先ほどと変わらぬ態度で健人の疑問に答える。


「無限とはちょっと違うわね。限りなく無限に近くはあるけれど」


「……どういう意味ですか?」


「有限だけれど、寿命が尽きるまで『宝氣』を放出したところで枯渇しないほど大量に所持してるって意味よ」


「なんで……そんな……」


 何故そんな途方もない量の『宝氣』を持っているのかと、健人は絶句した。


 するとカーシャはその身を深く椅子に沈め、どことなく優しげな笑みを見せながらドクトルの真実を語り出した。


「貴方には知る権利があると思うから話すわね。ドクトルはね、悪魔と契約を交わしたのよ。無限の『宝氣』を手に入れるために」


「悪魔と……契約?」


「ああ、もちろん私のことじゃないわ。もっと上級の悪魔とね。私と契約しても、微々たる恩恵しか与えられないから」


「なんで、そんな契約を……?」


「ドクトルの弟の話は聞いたと思うけど、少しも疑問に思わなかった? 少しも矛盾に思うことはなかったかしら?」


 いや、質問はあった。訊きたいことならいくらでもあったが、あの時はドクトルを介抱するためにすべてを保留にしておいたのだ。またいつか聞けばいいかと思って。


「ドクトルはもともと天才だったわ。優秀だった母親の才能を受け継いだのでしょうね。傷を塞ぐことも、病気を治すことも、人体を復元することも、終わった生命を生き返らせることだってできる。でもそれは、あくまでも理論上の話なのよ。ドクトル自身はただの平凡な一個人としての『宝氣』量しか持っていなかった。失った頭部を復元する理論は構築できても、それを実現するための『宝氣』はなかったの」


 話を聞いて、健人は城で訓練していた時のことを思い出した。


 例えば失った一本の腕を再生させるのだって、限られた大魔導士にしかできないと教えられた。しかも数日、数週間をかけて、徐々に復元する方法しかないのだと。ただの一個人の『宝氣』量では、それが限界なのだ。


「でも、ドクトルさんの話では弟を生き返らせれたって……」


 自分で言って、気づいた。そこで出てくるのが無限の『宝氣』だ。


 ドクトルは悪魔と契約を交わし、弟を生き返らせることができるほどの『宝氣』を得たのだ。


「そういうこと。それともう一つ。あの子は弟と安息に暮らせる場所を願ったわ。それがあのログハウスなのよ。不思議だとは思わなかった? 人が入ることを躊躇う森の奥深くに、あんな立派なログハウスが建っているなんて」


 確かにその通りだ。あれだけの建築物、外部から材料を運んでこなければならないし、まったくの基礎から建てるならば月単位の時間がかかってもおかしくはない。まさか大工が森の中で寝泊まりするわけにはいかないし、毎日森の中を通勤するなんて効率が悪すぎる。


 ……あの家がどうやって建てられたかなんて、今まで考えもしなかった。


「あのログハウスはね、悪魔から頂いたのよ。だから火事になっても焼け落ちることはなかった。『安息に暮らせる場所』を継続できるためにね」


「そういうことだったのか……」


 弟を生き返らせれるだけの『宝氣』と、安息に暮らせる場所。悪魔との契約により、ドクトルは願い求めたその二つを手に入れたのだ。


 だがしかし、そこで健人はふと気づく。気づいてしまう。


 契約というくらいだから、双方が納得のいく取り引きをするのが当然だろう。つまりドクトルが悪魔からそれら二つを受け取った代わりに、ドクトルの方からも対価として悪魔に何かを払わなければいけないはず。


 そんな大きなものの対価など、彼女はいったい何を支払ったというのだ?


 疑問を抱くと、カーシャが悲しげに顔を伏せたまま答えた。


「あの子はね、死後千年間、契約した悪魔の下で労働することが確約されているのよ」


「死後千年の……労働?」


 途方もない条件を耳にし、健人は絶句した。


 弟を生き返したいと願っただけで、彼女はいったいどれほどの業を背負ったのか。


「いくら恩恵に対する対価だからって、千年間はあまりにも長すぎるんじゃ……」


「それはドクトルが納得して契約したことよ。貴方がとやかく言う権利はないわ」


「…………」


 正論を言われ、健人はぐっと言葉を飲み込んだ。


 脱力した健人は、ソファに戻って乱暴に腰を下ろした。


 なんか……ドクトルが街に住みたくない、もとい街の人間を治したくないと言っていた理由が分かった気がする。自分がそれだけの業を背負っているのに、他の人間たちは無償で、もしくはお金を払うだけで治療を受けたいと願ってくるのだ。それをあまりにも理不尽と感じてしまったのだろう。


「そうね。普通は命を助けられたら、一生をかけてもその人に借りを返し続けるのが礼儀だもの。ドクトルは悪魔と契約したことにより、契約の重要性をよく理解したのよ。だから安易に治療を請け負いたくはないのでしょうね」


「一生をかけて……か」


 最初の頃に言った、「やっぱり助けるんじゃなかった」という優しげのない言葉の意味がようやく分かった。健人に貸しを作りたくなかった、債務を背負わせたくはなかったのだ。


 ソファに身体を預けながら、健人は天井を仰ぐ。


「悪魔と契約するだけで無限の『宝氣』みたいな莫大な力を得られるんなら、もっと契約してる人がいてもいいんじゃないですか? それこそ契約者を量産すれば、戦争を楽に進められると思うんですけど」


「ノンノンノン。悪魔は心の底から願いのある者や、しっかりと契約を守ってくれそうな者にしか交渉を持ち掛けてこないのよ。あと例外として、悪魔に縁のある者とかね。得た力を戦争に利用しようとする者の前には現れないし、そもそも死後も魂が縛られることに軽々しく承諾する者なんてそうそういないわ。だから量産なんて無理」


 つまりドクトルは、弟の蘇生を心の底から願ったというわけだ。


 にもかかわらず、記憶の復元まではできずに弟は彼女の元を去っていった。そのやるせない事実に、健人は自然と拳を握っていた。


「もっと詳しく知りたいのなら、ドクトル本人から聞きなさいな。砦の制圧作戦も終わったことだし、もうすぐ帰って来られるでしょう。……あら?」


 水晶玉に映し出されているのは、ぼんやりとした月明かりが照らすウェルリア東区の荒野。闇夜に塗れた土地を、いくつもの松明を掲げながら進む大軍があった。


 その光景を目の当たりにした健人が、再び水晶玉の前に飛びついた。


「まさか……魔王軍の援軍が攻めてきたんですか!?」


「うーん……見た限り、援軍ではなさそうよ。数は多いけど、そのほとんどが物資を積んだ荷馬車。どうやら奪い取った砦を拠点にするために、物資を運んできたみたいね。ドクトルたちが砦を制圧したことは、まだ伝わっていないはずだし」


「ドクトルさんは大丈夫なんでしょうか!?」


「たぶん問題ないわよ。ほとんどが非戦闘員みたいだし、護衛なんてさっきの砦制圧の時以上の数もいないみたいだし、補給物資を届けるだけだから重装備もしてないみたいだしね。ドクトル以上に強い魔人さえいなければ……」


 そこで言葉を切ったカーシャの顔色が一変した。


 水晶玉が注目したのは、大軍の一番先頭で馬に跨る魔人だった。全身の肌が木で覆われた人型の怪物が、無表情で大軍を指揮している。


 その魔人を凝視しながら、カーシャが震え出したのだ。


「……どうしたんですか?」


 言葉はなくとも、あからさまに怯えている態度が異常事態であることを示していた。


 下唇を噛み締めたカーシャは、恐れ戦きながらその魔人の名を口にした。


「ギルティ……ローズ……」


 躊躇いがちに紡がれたその名前は、先日ドクトルの家が火事になっているところを発見した時以上に、カーシャの額から冷汗を滲ませていたのだった。

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