第21話 ドクトルさんの戦い方

 ウェルリア東区は、到底人が住めるような土地ではなかった。


 辺り一帯は草木も生えていない荒野となっており、人々の生活を支える川も流れていない。また人類軍と魔王軍、お互いの領地の境目であり、かつ魔獣が棲み付いている鬱蒼とした森も隣接しているため、街を構えるという発想自体がなかった。


 だからこそ、人類軍はあえてウェルリア東区に砦を建設したのだ。長年の観測により、魔王軍は一切森に近寄らないという結果を得たためである。


 理由は定かではないが、森の特異性がそうさせているのだろうと結論付けられた。


 荒れた土がむき出しになった荒野から、まるで誰かが意図的に境界線を引いたかのように、いきなり草木の生い茂る緑豊かな土地へと様変わりしているのだ。『宝氣』の流れに鈍感な人間には与り知れない忌避するだけの要素がその森には存在し、それを魔王軍は察知している。当時の上層部は、そう考えた。


 同時に、その事実は人類軍にとっても手を出しにくい原因となっていた。故にドクトルが住む森は、少数の人間たちが移動目的で侵入したり、事情を知らない異世界人が逃げ込むようなことはあっても、決して軍としては開拓できない不可侵の領域となっているのである。


 もちろん忌避すべき土地だからといって、敵方の砦建設を黙って見過ごしはしない。魔王軍は大部隊を投入しないまでも度々ちょっかいを掛け、砦が完成してからも人類軍の勢力を拡大させないよう、定期的に斥候を送り続けていた。


 だがしかし、この度ウェルリア東区の砦を魔王軍に奪われてしまった。奴らがどうして急に大部隊を投入したのか、それは分からない。健人たちがあまりにも弱かったため簡単に奪えると判断したのか、それともたまたまタイミングが悪かっただけなのか。


 どのみち魔王軍の領地へ進軍するための中継地点だったウェルリア東区を奪われてしまっては、数年単位で進められてきた計画が頓挫してしまう。それだけならまだしも、その砦自体や貯め込んでいた物資を利用されてしまうのは、人類軍にとっては無視できない脅威だった。


 もし奪い返すのであれば、チャンスは今しかない。魔王軍も疲弊している今ならば、防衛力も落ちているはず。それに長く放置してしまえば、それだけ砦を破壊されるか、もしくは魔王軍側の拠点としての基礎を築きあげられてしまうだろう。


 故に人類軍は、即席の戦力が必要だった。


 そして今夜、戦力増強に成功した人類軍は、最強の白魔導士を従えてウェルリア東区の砦を奪還する作戦へと移る。






 太陽が山陰に身を隠してから数時間後、ウェルリア東区の荒野のど真ん中で蠢く一団があった。人数は約五十人ほど。その半数が甲冑を身に纏って槍を持ち、もう半数はローブを着込んで『宝氣石』が嵌め込まれた杖を携えていた。


 ゆっくりと徒歩で進軍するその一団には、足元を照らす松明みたいな灯りはなかった。ただその代わりに、ぼんやりと淡い光を放つ紐のような物体が、すべての人間の腰に巻き付いている。それら一本一本が後方へと繋がっており、やがては一つの束となってとある少女の手の平へと収まっていた。


 一団の中央後方で陣取るその少女こそが、最強の白魔導士――ドクトルである。


 白い紐が『経路バス』となり、ドクトルから送られる魔力によって兵士や魔導士たちの視力に『強化バフ』が掛かる。それにより昼間と同等まではいかないにしても、真っ暗な夜闇の中でも灯りが必要ないほどの視界が確保されていた。


 そして『経路』から兵士たちに送られている魔法は、何も『強化』だけではない。常時自動で回復できる白魔法と、さらに魔導士に対してはある程度の魔力すらも分け与えていた。


「そろそろ気づかれる頃合いです。皆さん、その命に代えても私を守り抜いてください」


『経路』を伝わって届いたドクトルの言葉は傲慢そのものだったが、誰一人として異論を唱える者はいなかった。なぜなら彼らは知っているから。ドクトルが死ねば自分たちも死に、逆にドクトルさえ生きていれば自分たちは絶対に死ぬことはないのだと。


 彼ら約五十人の兵士と魔導士は、人類軍の中でも選りすぐりの精鋭だった。ただ単に強いというわけではない。彼らは傷を負うことも厭わない、不屈の精神力を持つ者たちである。


 絶対に治るという前提があれば、腕をもがれようが身体を貫かれようが、どんな痛みや恐怖をも跳ね退けて進撃を続ける猛者たち。そこへ前提を補うための最強の白魔導士が加わることにより、ただ敵を倒すことだけに特化した不死の軍団が完成したのだった。


 とその時、砦を囲む城壁の上に炎が灯った。篝火ではない。人間を丸々飲み込んでしまうほどの大きな火球が、魔王軍によっていくつも作り出されているのだ。


 それらがドクトルのいる一団へと、隕石のごとく降り注ぐ。


「打ち消してください」


 ドクトルが合図をすると、魔導士たちが火球に向けて一斉に両手を掲げた。すると直撃コースにあったいくつもの火球がみるみるうちに小さくなり、やがて一団へと到達する前に完全に消滅していく。


 これには、味方の魔導士の間にもどよめきが起こった。


 普段なら数人がかりで一つの火球を対処し、味方に届く前にようやく被害が出ないまでに抑えられる程度なのだ。それが今は、一人一つの火球を消滅させても魔力が有り余っている。それだけドクトルから供給されてくる魔力量が、尋常ではないということだ。


 だがこんなことで歓声を上げている暇はない。敵に発見されたことを認識した一団は、歩む足をさらに速めて砦へと向かう。その途中、敵の魔導士が次の魔法を準備する合間を繋ぐかのように、今度は幾本もの矢が降ってきた。


「お願いします」


 そう呟いたドクトルが、一際ガタイの良い兵士の背後へと身を隠した。


 魔導士の盾となった兵士たちは、直撃する矢を次々と槍で払い落としていく。もちろん、すべてを防げるわけではない。払い落とせなかった矢は身体に命中するも、兵士たちはお構いなしで動き続ける。なぜなら刺さった矢は自動的に抜け落ち、傷は即座に塞がり、さらには痛みすらも麻痺しているのだから。


 矢による迎撃が終わると今度は再び魔法が一団を襲う。その繰り返しの攻撃を受けながら、ドクトルたちはついに砦が佇む小高い丘の麓まで到達した。


 傾斜を登り始めるのと同時に、城壁の上から放たれていた攻撃がピタリと止んだ。続いて目の前にある砦の城門から敵が押し寄せてくるのかと思いきや……砦の中はしんと静まり返り、さらには城門の鉄格子すらも開け放たれたままだった。それはまるで、早く砦の中に入って来いと誘われているようでもあった。


「……魔人が白兵戦を仕掛けてこないのは予想通りですが、魔物も姿を現わしませんね。こちらが少数だからといって、油断しているのでしょうか?」


 魔王軍には獣のような為りをした魔物と、それを従える人型の魔人がいる。魔物は動物並に知能が低く、戦争の場合は使い捨ての特攻部隊、及び遊撃部隊として投入されることが多い。


 つまり魔物に被害が及ぶのを前提に、先ほどの魔法と矢の雨の中へと同時出撃させるのが定石のはずなのだが……奴らはそれをしなかった。


「もしかしたら、まだ魔物の補充もできていないのかもしれませんね」


 ドクトルの判断の元、一団は物音一つしない城門へと向かった。


 魔王軍側が占拠する砦に攻め込む戦いでは、魔人が屋外に出て迎撃してこない場合が多々ある。なぜなら人類軍と魔王軍では、量と質で大きな違いがあるからだ。


 人類軍は兵士の数が多いのに対し、魔王軍は一体一体の身体能力が高い。一体の魔人を相手するのに人間の兵士だと最低三人は必要であり、同じ装備をしていた場合、一対一では絶対に魔人に勝つことはできない。


 故に魔人は敵に囲まれるような広いフィールドで戦うことを嫌い、人間たちを屋内へと誘い込む。狭い通路内では背後を取られることが少なくなるし、一度に戦う相手を少数に抑えることができるからだ。


 特に今回は人類軍から奪った砦での籠城。多少の破壊も厭わず暴れてくるだろう。


「ならばそれを逆手に取るまでです」


 砦の城壁に手を当てたドクトルは、診断を開始した。


 砦を一つの大きな身体と見做し、『経路』の繋がっている人間を善玉菌、それ以外の生物を悪玉菌と仮定する。そして善玉菌には『強化』を、悪玉菌には『弱体化デバフ』を付与。これにより人間の身体能力が著しく向上し、逆に魔人は長時間全力で戦った後のような疲労困憊状態へと陥る。さらに飛行型の魔物は、すべて地に落ちた。


 そして次に、敵がどこにいるのかも『走査スキャン』する。


 小高い丘の上に建っているウェルリア東区の砦は、四基の塔を支点に城壁で囲まれている。どれくらいの大きさの生物がどこに配置され、どういう動きをしているのかを大雑把に兵士たちへと伝え、突撃時の編成は彼らの隊長へと一任した。


「敵性生物の数は四十三。西側と南側の通路で多く待機しています。また、城門を入ってすぐ両側にも六体の魔人が身を隠しているのでご注意を。……ああ、なるほど。魔人は屋内で迎え撃ち、追い詰められた我々を中庭で追い打ちするために魔物を待機させているわけですか。もっとも、その魔物たちも私の魔法でだいぶ弱っていますが」


 一気にまくし立てたドクトルが、一息ついた。


 そして再び大きく息を吸うと、堂々と宣言する。


「占拠されたばかりなのでトラップもありません。それでは、よろしくお願いします」


 今まで隠密を保っていた兵士たちが、ここで初めて雄叫びを上げた。ドクトルの護衛を三名だけ残して、彼らは城門から砦内へと一気に攻め込んでいく。


 彼らを見送ったドクトルは、安堵のため息を吐いた。


 ここまで来れば、勝ったも同然だ。敵方には立つことも困難なほどの『弱体化』が掛かっているし、味方は砦の内部にいる限り不死身なのだから。増援さえなければ、ものの十分程度で制圧が完了するだろう。


 砦の城壁に触れたまま、ドクトルはゆっくりと目を閉じた。


 責務をまっとうしても、達成感も解放感もなかった。あるのは虚無感のみ。だって戦いが終わって家に帰ったとしても……誰もいないのだから。


 もともと孤独だった生活が元に戻っただけだ。そう必死に自分に言い聞かせるも、満たしていたものを唐突に失った反動は大きい。彼女は過去にも同じ体験をしているため、その感覚は身に染みるほど知っていた。


 では、どうして彼を元の世界へ帰すことに承諾したのだ? 人質に取られていたとはいえ、交渉の主導権はドクトルの方にあったはず。何も元の世界に帰らせずとも、無事にこちらへ返せとでも言えばよかったのだ。


 ……否。そんなことは言えない、言えるはずがない。彼は被害者なのだ。このチャンスを逃してしまえば、次はいつ元の世界へ帰る機会が巡って来るかは分からない。自分の我が儘のために、彼の人生を潰してはならないのだ。


 すべては彼のため。彼の願いを叶えるためであり、ドクトルが望んでいたことでもある。


 でも、願わくば……もう一度だけ顔を見たかった。話がしたかった。


 そう思ってしまうほどには、この数日間は間違いなく楽しかった。


「……?」


 走馬燈のように駆け巡る記憶に浸り、護衛の兵士に隠れてついつい顔を緩めていたその時、ふと違和感に気づいた。


 どうやらまだ気は抜けないらしい。


「砦の中に、診断できない空間が一つあります。ついてきてください」


 ドクトルには今、砦の内部が隅から隅まで把握できている。それこそ城壁に手を当てるだけで正確な見取り図を描け、その中で活動する生物がどう動いているのかも、すべて。


 にもかかわらず、一部分だけ完全にブラックボックスと化している空間があるのだ。


 魔法で診ることができないのなら足を運んで確認するまで。護衛を引き連れたドクトルは、特に慌てる様子もなく砦の中へと入っていった。


 通路で息絶えている魔人たちには目もくれず、目的の部屋へと辿り着く。


 そこは小さな事務室だった。


「ヨウコソ。人類側にも素晴らしい魔導士がいるみたいだネ」


 扉を開けると、肘掛け椅子に座った血色の悪い魔人が称賛するように手を叩いていた。


 攻撃を警戒し、ドクトルは事務室の外から言葉を返す。


「へえ。こちら側の言葉を話せる魔人もいるんですね」


「そちらの資料が有用になることもあるからネ。文字と同時に言葉も覚えたのサ」


「それで? どうやらあなたが大将のようですけど、今の状況は理解していますか?」


「もちろんサ! 残念ながら、我々は負けたみたいダ」


 そうと言う割には、魔人の声には一切の焦りが感じられなかった。


 トラップが無いことを目視で確認したドクトルは、護衛の兵士に先に中に入るように指示する。その背中に続いて、彼女も事務室の中に足を踏み入れたのだが……突然、前を行く兵士が三人とも膝をついた。


「どうしたんですか?」


「おや? キミは何も感じないのかネ?」


「?」


 魔人の指摘を受け、ドクトルは意識を自分の中へと移した。


 そこで初めて違和感に気づく。


「なんか……身体の変なところから『宝氣』が抜けていく感覚があります」


「そう。今まさに、キミの体内から『宝氣』を奪っているのだヨ」


「『宝氣』を……奪う?」


 にわかには信じがたい話を聞き、ドクトルは訝しげに眉を顰めた。


 他人から『宝氣』を奪うこと自体は可能だ。だがそれは直接触れていたり、ドクトルから兵士たちに繋がっている魔力の紐のような何か『経路』が必要である。目に見えないどころか、何も触れている感覚すらないのに『宝氣』を奪うなど、理論上はまずあり得ない話だった。


 とそこで、ドクトルはこの事務室へ足を運んだ経緯を思い出した。『走査』による魔力診断が届かず、部屋自体がブラックボックス化していたことを。


「……なるほど。この部屋ですか」


「おお、ご名答。頭脳役の魔導士はキミだったわけカ」


 魔人は再びドクトルを称賛しながら、嬉しそうな笑い声を上げた。


 そして書斎机の下から、両手で抱えるほど大きな黄金色に輝く『宝氣石』を持ち上げる。


「部屋に侵入した者の『宝氣』を奪い取る『宝氣石』サ。これによりキミの前で膝をついている兵士たちは一瞬にして体内の『宝氣』を奪い取られ、一時的に意識が混濁しているのだヨ」


「へぇー。魔王軍側では、そんな特殊な『宝氣石』があるんですね」


 感心した声を漏らしながら、ドクトルは足元の兵士たちを見下ろした。


 たとえ体内の『宝氣』をすべて失ったとしても、決して死ぬことはない。異世界人と同じような身体になる、というだけの話だ。ただ生れてこの方ずっと体内にあったモノを一気に摘出されたことにより、兵士たちの身体は異常を発しているである。


 だがしかし、この場で最も異常なのはドクトル自身だった。


 今まさに『宝氣』を抜かれ続けているというのに平然と立っているドクトルを前にして、魔人は不審そうに顔を歪めた。


「それはそうと、キミは一体どれほどの『宝氣』を有しているんダイ。普通の人間なら、とっくに気絶していてもおかしくはないほどの『宝氣』量を失ってるはずなんだけド」


「その前にお聞きしたいのですが、奪い取った『宝氣』はどうなっているのですか? その『宝氣石』に溜め込むには、ちょっと足りない気がしますが。……まさかそのまま大気中に放出しているとか?」


「そんなもったいないことはしないさ。奪い取った『宝氣』はこの『宝氣石』の中に貯蓄し、許容量を超えた分はワタシの中に流れ込んでくるように設定してあるんだヨ」


「ああ、だからあなたは『宝氣』を奪い取られないんですね?」


 ドクトルは納得がいったように両手の平を合わせた。


 ただあまりにも危機感のない物言いが、魔人の癇に障ったようだ。丁寧だった物腰が憮然としたものへと変わる。


「何を呑気に分析しているのかナ? ワタシの中にはすでに、キミを一瞬で消し炭にできるほどの『宝氣』が溜まっているんだけド」


「……ごめんなさい。残念ですが、それはもうできそうにないんです」


「ナニ?」


「『宝氣』を直接あなたの中へ流し込むようにしたのが失策でしたね」


「――ッ!?」


 とその時、今の今まで普通に話していた魔人がいきなり大量の血を吐き出した。自らの血に濡れる手を驚きの眼で凝視した後、魔人はドクトルを睨みつける。


「な、何をしタ!?」


「私は何もしていませんよ?」


「だったら何故ワタシは血を吐いているんダ!?」


 自分の体内で起こっていることを把握できず、魔人は恐怖から混乱し始める。


 そんな彼を見て逆に冷静になったドクトルは、目を伏せてため息を吐いた。


「簡単なことですよ。どんな大きな樽だって、水を入れ続ければいつかは溢れ出てしまうし、蓋をしていれば破裂してしまいます」


「そんな……バカな……」


 ドクトルの例えと自らに起こっていることを照らし合わせ、魔人は戦慄した。


 たとえ一般的な魔導士百人分の『宝氣』を体内に注入したとしても、血を吐くなんてことはない。せいぜい気分が悪くなり、吐き気と眩暈を起こして立てなくなる程度だ。吐血に至るには、それこそ千人分二千人分の『宝氣』が必要だろう。


「千人、二千人ですか。全然足りませんね」


 全身の皮膚が裂け、至る所から血を吹いて悶え苦しむ魔人。もう彼の耳に声が届くかは分からないが、ドクトルは悲しげな笑みを浮かべながら、答えを放った。


「だって私の『宝氣』は無限ですから」

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