第17話 一難去ってまた一難
地団駄を踏むような力強い足取りでカーシャの館に戻ったドクトルは、玄関の扉を勢いよく開け放った。そして開口一番、ドスの効いた声で叫ぶ。
「カーシャさん! 今日という今日は許しません!」
普段の物静かなドクトルからは想像もできないほど凛々しい声が玄関ホールに響き渡った。だが名前を呼んでも館の主は一向に姿を現わさないため、彼女は勝手に上がり込む。その後ろをついて行く健人は怒りの矛先を向けられないよう、おっかなびっくり従っていた。
ドクトルが最初に向かった先は応接間だった。
しかし一目で誰もいないことが分かる。
「ってことは、たぶん書斎ですね」
勝手知ったる他人の家と言わんばかりに、今度は書斎の扉を開ける。
「どこに隠れているんですか!? カーシャさ……」
突然、ドクトルの声が途切れた。なんだなんだと、健人もまた書斎の中を覗く。
書斎机に座って「ドクトル、おかえり!」と手を挙げているククルゥ。その手前では、深々と丁寧に頭を下げたカーシャが仏壇に拝むように両手を合わせていた。
あまりに意外なカーシャの行動に唖然としたドクトルは、早々に牙を抜かれてしまった。訝しげに眉を寄せながら、奇妙なポーズをしているカーシャへと静かに問う。
「……カーシャさん。何をしているんですか?」
「本当に申し訳ないわ。ドクトル、そしてケント君。酸欠になるなんて予想外だったの!」
「やっぱり見てたんですね」
「それも含めてごめんなさい」
合わせる顔が無いと言いたげに、カーシャはいつまで経っても頭を上げようとしない。呆れたドクトルは勢いを失いはしたものの、もう一度文句を言ってやろうと口を開ける。だが彼女の怒りを鎮めるように、健人が後ろから肩を叩いた。
「まあ結果的に俺も無事だったんだし、カーシャさんも意図しない出来事だったって言ってるんだし、あまり責めても仕方ないよ」
「それはそうですけど……ケントさん、少し甘すぎませんか?」
「んまあ! ケント君は話の分かる子ねぇ」
頭を上げたカーシャが、上品な笑い声を上げた。
その変わり身の早さに、ドクトルが不満げに問う。
「酸欠が予想外だったって言うんなら、カーシャさんは何を予想していたんですか?」
「えーっと……」
何故か目を泳がせるカーシャ。しかも両手の人差し指を突っつき合わせ始める。
ドクトルの眼差しがあまりに怖かったのか、カーシャは唇を尖らせながら静々と白状した。
「なんて言うか……困難を乗り越えて仲を深めてほしかったというか……吊り橋効果を狙ったというか……ラブロマンスを見たかったというか……そういう意味なら途中までは目的を達成できたというか……」
「何ですって? 後半の方、全然聞こえないんですけど!?」
「カーシャの奴、ずっと水晶玉を見ながらニヤニヤしてたぞ!」
「ククルゥ、お黙り!」
楽しそうに暴露するククルゥに、カーシャは甲高い声を上げて叱責した。
「と、とにかく、お疲れ様! 疲れたでしょうから、ささ、座って座って」
素早い動作で二人の背後に回ったカーシャが、背中を押してソファに座るよう促した。素直に従うと、彼女は喫茶店で出すような蒸しタオルを差し出してくる。
「今回は完全に私の判断ミスよ。だから何か欲しいものがあれば、遠慮なく言ってね。ほら、ここにあるサラマンダーの『炎石』も少しは分けてあげるし」
「『炎石』あるんじゃん!」
「持ってるんじゃないですか!」
カーシャが手の平に乗るサイズの『炎石』を取り出すと、二人は即座にツッコミを入れた。その反応がちょっと意外だったかのように、カーシャは拗ねる。
「持ってるって……当たり前じゃない。貴方たちに貸しまで作って『炎石』を分けてあげたりはしないわよ」
まあ、それはその通りだ。
「『宝氣』の無いケント君には、なんか役立ちそうな呪符をプレゼントするわぁ」
「うわっ、いきなり何するんですか!」
書棚から何枚もの紙切れを取り出したカーシャが、それらを健人のポケットやズボンの中に無理やり押し込めてきた。
するとカーシャはまた急に移動し、ソファに座っている二人の正面へと立った。顎を擦りながら、目を細めて今の状況を揶揄してくる。
「おやおやぁ。お二人さん、さっきよりも距離が近くなってないかい?」
言われて気づいた。並んで座っているドクトルと、身体の側面がほとんど接触している現状に。特に腰や肩などはどう身じろぎしようと密着を解くことができず、彼女の体温を意識してしまった健人は少しだけ身体を硬直させた。
だがドクトルの方はまったく気にしてないようで、カーシャのからかい文句も呆れがちに受け流すだけだった。
「そりゃ応接間のソファよりも狭いですからね。接触するのは当たり前です」
「ま、仲良くなっちゃうのも仕方ないことよねぇ。あれだけ長い間、口づけを交わしていたんですもの」
「あ、あれは医療行為です!」
身を乗り出すほどに、慌てて抗議するドクトル。
耳の先まで真っ赤に染めて恥ずかしがっているということは、やはりこの世界でも男女の口づけとはそういう意味があるのだろう。ほとんど気を失っていて意識がぼんやりしていた健人だったが、自らの唇に触れながら顔を背けてしまった。
「ふふ、初々しくていいわね」
完全に場の主導権を握ったカーシャは、悪戯な笑みを見せた。
そして自分は書斎机へと戻る。
「何はともあれ、お疲れ様。私も悪いのだから、置いてきたランタンのことは不問にするわ」
「当たり前です」
「ドクトルは浴室で少し身体を流していらっしゃい。除去魔法で汚れを落とすだけじゃ、染みついた汗の不快感までは消えないでしょ」
「……じゃあ、お言葉に甘えてそうさせていただきます」
ちょっとだけ機嫌を直したドクトルが立ち上がった。
その背中を見て、カーシャが楽しそうに鼻を鳴らす。
「その間、私はドクトルとケント君の行く末でも占っていましょうかね」
「もう……」
すでに抗議も諦め、ドクトルは浴室へ向かおうと書斎の扉に手を掛ける。
だがしかし、部屋から出て行こうとする彼女の背中に、突然カーシャのヒステリックな叫び声が突き刺さった。
「待ちなさい、ドクトル! 今すぐ家へ戻りなさい!」
「はい? なんで急に……」
水晶玉から頭を上げたカーシャは、顔面蒼白になっていた。
「貴方の家から火が出ているわ」
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