第14話 万能の魔女2
案内された応接間は、意外と控えめな内装だった。
幾何学模様の絨毯の上には広めのテーブルがあり、ゆったりくつろげるソファがその周りを囲んでいる。壁際にあるチェストや食器棚のような調度品はアンティーク調の物が多く、暖炉は普段から使われている形跡がない。ソファとテーブル以外は、実用性よりも落ち着いた雰囲気を演出するのが目的となっており、どこかモデルハウスのような造り物の印象を受けた。
カーシャは健人たちにソファへ座るよう促した後、別の扉に手を掛ける。
「山道を歩くのは疲れたでしょう。お茶を用意するから、少し休んでいなさいな」
そう言って、カーシャは応接間から出て行った。
ドクトルがソファへと腰を下ろしたのに倣い、何をするにしても未だ躊躇いがちの健人もまた、おっかなびっくり彼女の横へと座った。
「本当に信用してもいいんだよな?」
「それは私を? それともカーシャさんを?」
「今さらドクトルさんを疑ったりはしないよ。でも俺はカーシャさんとは初対面だし、元の世界だと悪魔なんて種族にあまりいい印象はないからな。それにドクトルさんがカーシャさんに騙されてるって可能性もある」
「うーん? それだとちょっと意味が変わってきますよ?」
健人の瞳をじっと見つめるドクトルが、訝しげに眉を寄せた。
「私は今まで何度もカーシャさんに騙された、もといからかわれてきました。ただ終わってみれば、それらすべてが取るに足らないことでしたので今回もその類だと思ったのですが」
「ええ……」
つまりドクトルにとっては、騙されている前提で話が進んでいたわけだ。
だとしても、いくら仲の良い知人であろうと、いきなり崖から落とされたら問い詰めることくらいするだろう。ドクトルにとって、それくらいは毎度毎度のことなのだろうか?
問おうにも、お盆を手にしたカーシャが戻ってきたため健人は口を閉じた。
「今日は朝からクッキーを焼いていたの。よろしければ召し上がれ」
皿に盛られたクッキーの山を前にし、ドクトルとククルゥが目を輝かせた。しかし一緒に置かれたティーカップを覗き見て、ドクトルの顔が急に曇る。しかも威嚇せんばかりの目つきでカーシャを睨み始めた。
「カーシャさん。いくら親しい仲でも、客人に煮えた泥水を出すのはどうかと思いますが」
「いや、違う。ドクトルさん、これはコーヒーだ」
「こーひー?」
ティーカップからほんのり漂ってくる酸味のある香りを嗅ぎ、健人は今にも噛みついていきそうなドクトルを手で制した。
毒見の意味も込めて、健人はティーカップに少しだけ口を付ける。それを見たドクトルは普通に飲めるものだと勘違いしたのか、大きく一口含んだところで……危うく噴き出しそうになっていた。
「に、苦いです……」
「ごめん。ミルクと角砂糖も用意してくれてるから、それで味を調節するんだよ」
先に泥水でないことを証明しようとしたのが裏目に出たようだった。
初体験のコーヒーで右往左往しているドクトルを見て、正面に座ったカーシャが上品な笑い声を上げた。
「ふふふ。この世界のコーヒー豆は魔王軍側の領地でしか収穫できないから、ドクトルが知らないのも無理ないわ。本当は今の貴方が一番飲みたがっているコーラを用意したかったのだけれど、ごめんなさいね。この世界にコーラは存在しないの」
「コーラを知っているんですか?」
問うと、カーシャが健人の額辺りに人差し指を向けた。
「知っているというよりは、貴方の思考を見ただけよ。どんな飲み物か、どういう味がするのか、貴方の記憶から読み取っただけ」
「記憶から?」
相手の能力の規模が把握できず、健人は思わず狼狽してしまう。
ただそれがどういうものなのかは、事前に知識が与えられていた。
「その……本当に『万能』なんですか?」
「ふふ。そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。……と、普段ならはぐらかすんだけれど、せっかくドクトルが友人を紹介してくれたのだから素直に話しましょう。私は確かに万能だけれど、なんでもできるわけじゃない」
万能だけど、なんでもはできない。それは矛盾ではないか?
妖艶に微笑むカーシャの表情を見てしまっては、からかわれているんじゃないかと疑ってしまいたくもあった。
「そうね。貴方の世界の基準で言えば……テレビゲームで例えましょうか」
またも健人の思考を読んだのか、テレビという単語が出てきた。
「私はあらゆるキャラクターの、あらゆる魔法やスキルを保有しているわ。けれどそのほとんどがレベル1で、まったく使い物にならない……って言えばいいのかしらね?」
「そのレベル1ってのはどの程度の技術なんですか?」
「そうねぇ。参考になるかどうかは分からないけど……読心術だったら、こうやって目の前にいる相手なら大まかなことは把握できる程度。未来予知だったら一分くらい。千里眼はけっこう鍛えてるから、かなり遠くまで見通せるわよ。……ああ、かといって貴方の世界の座標を盗み見るのは不可能よ。いくら何でも遠すぎるわ」
内心を読まれ、健人はびくりと肩を揺らした。『万能の魔女』というくらいだから、城に保管されているであろう座標を、何とかして手に入れられるんじゃないかと思っていたからだ。
ちらりとドクトルの方を一瞥する。理解できない単語が飛び交っているせいか、彼女は早々に聞くのを諦めてクッキーに夢中だった。なるほど、カーシャは意味不明な言葉を口にするとドクトルが言っていたのは、この世界には存在しない単語が不意に飛び出すからなのかもしれなかった。
ドクトルの態度があからさまに飽きていたので、健人は今日この屋敷を訪れた目的へと話題を移した。
「心を読めるんなら俺たちがここへ来た理由はもう知ってると思いますけど、実はこの世界の住人じゃない人間が魔法を使う方法を訊ねに来たんです」
「ええ、それは無理よ」
いきなり出ばなを挫かれ、健人は肩を落とした。
「大方の話はドクトルから聞いているようね。魔法を使うには『宝氣』が必須だけれど、異世界人である貴方は一切『宝氣』を所持していないわ」
「生まれたての赤ん坊同然ってことなんですよね?」
「ノンノンノン。赤ん坊ですらも、母体からある程度の『宝氣』を受け継いだ状態で生まれてくるの。つまり貴方は赤ん坊以下なのよ」
例え話とはいえ、健人は少しショックを受けたようだった。
「じゃあ『宝氣』を手っ取り早く増やす方法はないんですか?」
「それも無理。貴方の身体には『宝氣』を蓄積するための機構が存在しないのよ。車で言ったらガソリンタンクが無いのと同じね」
「へえ。異世界人と私たちの身体って、けっこう違うんですね」
早々に慣れたコーヒーを啜りながら、ドクトルが感心したように呟いた。
ただ、健人としては割と堪える事実である。魔法があれば便利だし、身の安全を図ることもできると思っていたのだが……。
「……どう足掻いても魔法は使えないってことか」
「そうでもなくってよ。『
「『宝氣石』?」
健人が首を傾げると、横からドクトルが説明を加えてきた。
「私の家にもある、『太陽石』のことです。何の変哲もない鉱石が様々な系統の『宝氣』に晒され続けることで、『宝氣』が蓄積されて『宝氣石』になるんです」
「『太陽石』は太陽の『宝氣』に当てるだけだから比較的どこでも採れるわ。他にも『
街へ行った時、様々な色の宝石を売っている露店を思い出した。あれらはおそらく『宝氣石』を加工して、アクセサリにしたものだったのだろう。
「でも、天然の物を採集するのは難しいんじゃないですか? 『炎石』なんて火山口くらいにしかないでしょうし、『水石』はたぶんウンディーネさんの泉の底にあるとは思いますが、絶対に譲ってくれないと思いますよ」
「『炎石』ならサラマンダーに分けてもらえばいいんじゃないかしら? 『炎石』としてはこれ以上ないほどにレアな物よ」
「ああ、そういえば……」
ドクトルが、ふと思い出したように顔を上げた。
ウンディーネと同列のような聞き慣れない名前が出てきて、健人は問い返す。
「サラマンダー?」
「水の精霊であるウンディーネさんと同じく、炎の精霊ですよ。確かこの近くに寝床としている洞窟があったはずです。ウンディーネさんと違って話の分かる方ですので、頼み込めば『炎石』を分けてくれるかもしれません」
「『炎石』かぁ。自由に火が出せれば、料理とか暖炉も自分で用意できるしな」
「最高級『炎石』の使い道が料理とか暖炉なのね……」
それくらいなら店で買えよという言葉をぐっと飲み込み、カーシャは呆れたように呟いた。
「それで、どうするのかしら? 行くならランタンくらいは貸すわよ」
「ケントさん、どうします?」
判断を一任された健人は、腕を組んで天井を見上げた。洞窟探索が少しも好奇心をくすぐらないと言えば嘘になるが、得る物とリスクを天秤に掛けるとどうしても即決はできない。それこそカーシャが呑み込んだ言葉のように、そのうち露店で買えばいいだけの話である。
「危険じゃないなら行ってもいいと思うけど……」
「危険じゃないなんてことはあり得ないわ。天然の洞窟なのだから、不慮の事故だって起こり得る。まあサラマンダー本人は、こちらが粗相でもしなければ滅多に機嫌を損ねたりはしないわよ。精霊のくせに人格者ですもの」
サラマンダー自身は危険ではない。ドクトルとカーシャ、二人からのお墨付きであれば行ってみるのもアリかと、健人は決心した。
「そう。なら私はククルゥを借りるわ。ちょっとやってほしいことがあるの」
カーシャの後出しの交換条件に、ドクトルが不満そうに眉を寄せた。
「ククルゥさんがいなければ道に迷う危険性がありますので、おいそれと承諾できかねます」
「大丈夫よぉ。後で『宝氣』を辿れるアイテムを渡すから」
「それなら構いませんが……」
ククルゥは『宝氣』を辿る道しるべ程度の存在なんだな。と、未だクッキーに夢中でまったく話を聞いていないククルゥを一瞥しながら、健人は哀れに思ったのだった。
しばらく休んだ後、健人とドクトルはサラマンダーの洞窟に向けて出発した。
玄関ホールで二人を見送ったカーシャは、そそくさと館の奥へと足を向ける。
「カーシャ! ククルゥは何をすればいいんだ!?」
お手伝いがあるということで留守番を言い渡されたククルゥが、張り切ったように声を上げた。しかしカーシャは立ち止まることもせず、顔の側を飛ぶククルゥに向けてニヤニヤと嫌らしい笑みを向けるだけだった。
「ふふふ。ククルゥには『何もしない』をしてもらうわ」
「????」
要はお手伝いというのは嘘で、ククルゥをあの二人から引き離す口実に過ぎなかったというわけだ。だが頭の弱い妖精には今の言い回しは難しかったようで、ククルゥは言葉を失ったまましばらく混乱していた。
カーシャが向かった先は書斎だった。応接間に比べれば狭くて薄暗く、四方を囲む書棚には隙間なく本が並べられている。唯一ある天窓も今は閉め切られているため、少々黴臭かった。
だが部屋の主であるカーシャはそんなことはお構いなしに、大きな水晶玉が置かれている書斎机へと腰を下ろす。水晶玉には、森の中を歩く健人とドクトルの姿が映し出されていた。
「ねぇ、ククルゥ。今まで赤の他人だった無垢な少年少女が徐々に距離を詰めていく純愛ものって、素晴らしいとは思わない?」
「全然意味が分からないぞ!」
「……妖精に恋愛の話を振った私がバカだったわ」
自分を戒めるというよりは、完全にバカにするような目つきでカーシャはククルゥを睨みつける。
そして再び水晶玉へと視線を戻すと、彼女はだらしなく頬を緩ませた。
「さっきドクトルを崖から突き落とした時、あのササオカ・ケント君は彼女を助けるために躊躇いもなしに飛び降りた。いくら怪我を治せるからといっても、なかなかできることじゃないわぁ。今はまだ恩返しの割合が大きいみたいだけど、将来的に見込みはある。だからちょっとだけ後押ししたくて、サラマンダーの所へ行くよう提案してみたんだけど……」
食い入るように水晶玉を凝視するカーシャ。鼻息で水晶玉が曇ってしまうほど、彼女は興奮しているようだった。
「ああ、いい。いいわ! 困難を乗り越えて深まる愛情! 徐々に縮まっていく二人の距離! なんでこういう純愛ものって滾るのかしら!」
「カーシャの言ってることが本当に理解できない……」
後ろで一緒に水晶玉を覗き込むククルゥが、まるで珍獣とでも出会ったような目つきでカーシャを見つめたのだった。
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