第13話 万能の魔女1
背の高い木々に囲まれた西洋風の館を前にして、健人は妙な違和感を抱いた。
周りの植物が屋根や外壁を浸食している姿は、まるでこの館が周囲の木々を押し退けて、突然この場所に転移してきたような印象を受けたからだ。シックな白い壁に見たこともない植物が絡みついている様子は、森に溶け込むことを目的とした擬態のようである。
健人が抱いた違和感は、己の居場所を隠したいのにもかかわらず、自分たちを歓迎している矛盾から来るものだったのだろう。普段は訪問者を排除するための魔法が、今は解除されていることが実感させられた。
敷地を主張するような柵などは無く、それに代わる石の階段を上る。近づいてみたことで、その館があまり大きな建物ではないことが分かった。二階建てではあるが、丸一日もあれば全部屋を掃除できる程度の広さだろう。
健人が物珍しそうにあちこち見回している間にも、大きな樫の扉の前に立ったドクトルが呼び鈴を鳴らす。すると扉は音もなく勝手に開いた。扉を隔てた向こう側は、当然のように誰もいない。
「……魔法?」
「それ以外にありますか?」
呆気に取られた健人が訊ねると、ドクトルはさも当然だと言わんばかりに答えた。まあ元の世界の自動ドアを前にすれば、二人はまったく逆の反応を示すだろうが。
扉が開いたことを歓迎の意味で捉えた健人たちは、館の中へとお邪魔した。
玄関は吹き抜けの広いホールになっており、床一面には赤い絨毯が敷かれている。そして健人たちの正面には、館の主らしき女性が立っていた。
決して派手ではない紫色のドレスを着た、細身の貴婦人。来訪者に向けて穏やかな笑みを浮かべているその顔は、幸の薄い美人という印象。ただ年齢だけは想像もつかない。肉体的な若々しさで言えば二十代前半にも見えるし、落ち着いた佇まいは長く生きてきたことを感じさせるほどの貫禄がある。少なくとも、健人やドクトルより年上なのは間違いない、くらいしか言いようがなかった。
また一見して普通の女性だが、その額には明らかに人間とは異なる特徴があった。黒く長い前髪の下に、羊を思わせる二本の大きな角が生えているのだ。カーシャは悪魔だと言っていたドクトルの言葉が、一目で証明できる特徴だった。
「ようこそ、『万能の魔女』の館へ。……ドクトルとククルゥは久しぶりね」
「ええ、お久しぶりです」
「久しぶり!」
にっこりと微笑みながら客人を出迎えるカーシャに向けて、ドクトルは深々と頭を下げククルゥは馴れ馴れしく片手を挙げた。
健人もドクトルに倣って一礼する。
「えっと、俺は……」
「あらあら。貴方のことはよく知っているわ、ササオカ・ケント君」
『万能の魔女』。異質ともいえるその異名が、健人の頭を過った。
渋い表情を浮かべる健人に向けて、カーシャが上品に笑いかける。
「ふふ。そう警戒しなくても、取って食べたりはしないから大丈夫よ。ささ、こんな所で突っ立ってないで、早く奥へ行きましょう。もてなすわよ」
「カーシャさん。その前に一ついいですか?」
ホールの隣の部屋へ案内しようとするカーシャを、ドクトルが低い声で呼び止めた。
振り向いたカーシャは、どうして呼び止められたのか、いやそもそも、このタイミングで声を掛けられることは最初から知っていたかのように、まったく笑顔を崩さない。他人を安心させようとする笑みが、逆に不気味だった。
「何かしら?」
「私たちがここへ来る途中、カーシャさんは私たちに向けて何か魔法を使いましたか?」
「魔法? いいえ、使ってないわよ。……ああ、防犯のために地形を変えたのは間違いないけれど、それは毎度のことですものね」
「それ以外には何もしてないですよね?」
「ええ、何も。貴方たちが訪問することは知っていたけどね」
「…………」
疑うように目を細め、ドクトルはカーシャを睨みつける。
その疑いを掛けられているカーシャと言えば、特に狼狽える様子もなく、ドクトルとは違う意味で目を細めながら、口笛でも吹きそうに素知らぬ顔をしていた。
しばらく無言で視線を交わし合った後、ドクトルが諦めたように大きく息を吐いた。
「……分かりました。引き留めてすみません」
「いえいえ、いいのよ。私はドクトルの悩みなら、なんでも聞いてあげるんだから」
胡散臭い発言をした後、カーシャは隣の部屋へ行ってしまう。
彼女が完全に背を向けたところで、健人がドクトルに耳打ちした。
「今ので信用しちゃっていいのか?」
「いいんです。心を読めるカーシャさんなら、私たちがここへ来る前に遭った出来事はすでに知っているはず。にもかかわらず、話題にすら上げないということは……」
「犯人はカーシャさんで間違いないってことか?」
「十中八九そうですね。そして私たちがそれに気づいていることも、承知の上といったところでしょう。この会話だって聞かれてると思いますよ」
すでに隣の部屋へ入っていったカーシャの方へと、ドクトルは視線を移した。しかしその目の中に、敵意らしい敵意は含まれてはいなかった。
崖から突き落とされたのにそれを追求しないドクトルと、それを認めた上で話をはぐらかすカーシャ。二人の間で通じ合っている暗黙の了解に、健人は釈然としないまま首を傾げた。
その様子を見たドクトルが、安心させるように優しく微笑みかける。
「大丈夫ですよ。カーシャさんは決して悪い方ではありません。私が保証します。……まあ、何か企んでいることは間違いなさそうですが」
「それが一番怖いんだけど」
二人の関係性がいまいち掴めないのと、ドクトルの言葉からもカーシャを信用してよい人格なのかが未だ判断できず、健人はどうしても二の足を踏まずにはいられなかった。
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