第12話 ドクトルさんとピクニック
「ククルゥさーん! 出てきてくださーい!」
朝食を終えた健人が『万能の魔女』の家へ行く準備をして表へ出ると、バスケットを片手に引っ提げたドクトルが森の方へ呼びかけていた。
「ククルゥも連れて行くのか?」
「ええ。カーシャさんの家の周りは、防犯として迷いやすくなるような魔法がかけられているんです。なので『宝氣』を辿れるククルゥさんも連れて行こうかと」
保険で呼び出されるとは、ククルゥも苦労人なんだなぁと健人は思った。
再び森の方を向いたドクトルが、大きく息を吸う。
「ククルゥさーん! 先日のジャムの貸しを返してくださーい!」
その瞬間、ククルゥが森の奥から颯爽と飛んできた。
「おお! 借りは返すぞ! そしたらまたジャムくれるんだよな!?」
「ええ、そうですね」
小さな羽を羽ばたかせながら、ククルゥが空中で小躍りし始めた。
なるほど。一度に背負える借りは一つまで。また借りを作りたかったら、以前のものを返さなくてはいけない。妖精だとそういう認識になっているのかと、健人は感心した。
ただ、借りを返したら即座にまた別の貸しを作ってやるぞと言わんばかりににっこりと微笑むドクトルの横顔は、ちょっとだけ怖かったが。
ククルゥを先頭に、ドクトルと健人は森の中を行く。
まずはいつも水汲みを行っている沢の方面へ歩き、途中から沢に沿って上流を目指す。普段から歩き慣れた獣道でもないため、草木を掻き分けながらの進行は予想以上に時間がかかりそうだった。
ただ、ここら辺の地理に詳しいドクトルなら、これだけ歩きにくい道を行くことは分かっていたはずだ。水が入ったバケツほどの重量ではないにしろ、わざわざ持ってきたバスケットの中身が気になってしまった。
「ドクトルさん。そのバスケットには何が入ってるんだ?」
「お昼ご飯ですよ。おそらく到着は正午を越えると思いますので」
「うげっ、マジか」
少なくとも二時間はこの山道を歩く宣言をされ、健人は露骨に顔を歪ませた。
水の流れる音を聞きながら、一行は黙々と歩いていく。山奥へ進むのとともに時刻は昼へ向かっているはずなのに、辺りがだんだんと暗くなっていってるような気がした。
上を向けば、ドクトルの家周辺とは比べ物にならないほど葉っぱの密度が濃くなっていた。鬱蒼とした天井から差し込む木漏れ日が、はっきりと目に見えるほど。身体や脚に何か引っかからないよう、健人は薄暗い森の中で注意深く目を凝らす。
しかし慎重に歩を進めている健人とは対照的に、ドクトルは足元に気をつける様子もなく、何かを見つけたように早足で道を逸れていった。
「ここら辺に生ってる木の実って、けっこう美味しいんですよね」
そう言いながら、近場の木に生っている小さな木の実を手に取って食べ始めた。もちろん甘い物に目のないククルゥも、ドクトルに倣って木の実へ一直線だ。
「……女子の買い物かよ」
道草を食う前提だから時間がかかるのかと、健人は納得するとともに呆れてしまった。
またしばらく歩くと、森がさらに深くなってきた。おそらく太陽は真上にあるのだろうが、ほとんど空が見えない。
すると突然、茂みから抜け出したドクトルが沢の方へと降りていった。だいぶ幅の狭くなった沢の畔で、太陽の位置を確かめるように空を仰ぐ。
「もう少しで着くと思いますが、ここらでお昼にしましょう」
ウキウキ気分で振り返ったドクトルが、手ごろな岩へと腰を下ろした。
それを見ていた健人は、少々不満げに返す。
「疲れたんならともかく、もう少しなら昼飯は到着してからの方がいいんじゃないか?」
腹が減って動けないという様子でもなさそうだし、残りわずかの距離ならば、さっさと目的地を目指した方がいいだろう。挨拶がてらの訪問なのだから、カーシャも交えて昼食を取った方が会話もしやすいだろうし。
だから健人は、ここで昼食を取るのが嫌というわけではなく、あくまでも目的を優先とした意見をぶつけただけだったのだが……提案を却下されたドクトルは、しゅんと肩を落とした。
「ダメ、でしょうか。たまにはこうして外で食べるのも、楽しそうだと思ったのですが……」
「あっ……」
項垂れるドクトルを見て、健人は自分の失態に気づいた。同時に、彼女の今までの振る舞いを思い出す。
出掛ける前、普段よりも機嫌が良さそうだったこと。保険と称して、ククルゥを呼びつけたこと。そして陽気な晴れ間が覗く空の下で、弁当を広げる行為。ドクトル的にはカーシャへの挨拶は二の次で、今日は単なるピクニック気分だったのではないだろうか?
考えてもみれば、ドクトルはあの森の家でずっと一人で暮らしているのだ。世話になっているというカーシャの家は気軽に行ける距離ではないし、ククルゥも話し相手ではあっても日頃から顔を合わせる仲でもない。みんなで遠出するちょっとした非日常に、年甲斐もなく胸躍らせてしまうのも無理なからぬことだった。
しかし健人は目的を優先させるために、ドクトルの楽しみを潰した。
前言撤回だ。と、健人は心の中で自分を強く戒める。
「……そうだな。俺もちょうど腹が減ってきたところだし、少し休むか」
「本当ですか!? ありがとうございます!」
できるだけ演技臭くならないように気をつけながら、健人も沢の方へ降りていく。するとドクトルが、年端もいかない少女のように顔を明らめた。あまりの純粋な反応に、本当に年上かと疑ってしまうほど。
「わーい。飯だ、飯だ!」
この時ばかりはククルゥが居てくれて本当に良かったと、健人は素直に思った。もし二人きりだったら、照れ臭すぎてまともに顔を合わせることもできなかっただろうから。
パンや干し肉や果物など、いつもの食事と変り映えのしない弁当をピクニック気分で満喫した後、三人はカーシャの家へ向けて再度出発した。
もうすぐ到着するだろうという言葉通り、数分もしないうちに見覚えのある風景だと言ったドクトルが足を速める。道に迷うような魔法は解除されてるんだろうと判断した健人もまた、安堵しながら彼女の背中を追ったのだが……約三メートルほどの低い崖を前にして、ドクトルが呆然と佇んでいた。
「前って、こんな崖ありましたっけ? ククルゥさん、道を間違えていません?」
「間違えてない……はず!」
「まあ、沢に沿って歩いてきたわけですから、間違えようがありませんもんね。ってことはカーシャさん、また地形を変えたってことですか」
その『万能の魔女』は地形まで変えれるのかと、健人はもの恐ろしさから身震いした。
崖を登るか迂回するかを話し合ったところ、頑張って登ることに決定した。ククルゥが周辺を見て回ったのだが、どうやらだいぶ先まで同じような高さの崖が続いているらしいのだ。仮にカーシャが魔法で作った崖ならば、簡単に上がれる場所が存在しなくても不思議ではない。
「俺が先に上ってドクトルさんを引き上げるよ」
「え? ええ、……そうしてくれると助かります」
少しくらいは男らしいところを見せたいという下心があったとはいえ、ドクトルはちょっと意外そうに申し出を受け入れたのだった。
崖の上に手が届く高さではないが、ごつごつした岩肌には手や足を掛けられる場所が十分にある。加えて今は身体能力が元の世界の三倍。岩を覆うほどの苔で滑らないように気をつければ、難なくよじ登れるだろう……と考えている間にも、健人は軽々と崖の上へ到達した。
「まずはバスケットを」
空になったバスケットを渡し、今度はドクトルが崖に足を掛ける。
三メートル程度の高さなので、二歩三歩も登れば手が届くはず。地べたに這いつくばった健人は、すぐにでも引き上げられるように手を伸ばした。
だがしかし、健人がドクトルに触れることはなかった。
健人の手に掴まろうと手を伸ばしたその瞬間、ドクトルの身体がふわりと浮いたのだ。
「ドクトルさん!」
叫んだのも束の間、一瞬の躊躇いもなく健人は崖から飛び降りた。
事故の際に起きるスローモーションのように、ゆっくりと背中から落ちていくドクトルに向けて両手を伸ばす。分厚いローブに包まれた華奢な身体を引き寄せ、彼女を自分の胸に抱いた健人は、全身の筋繊維が引き千切れる勢いで腰を捻った。
だが高さが足りない。何とかドクトルの下に自分の身体を滑り込ませはしたものの、満足に受け身を取ることはできなかった。
足場となっていた大きな岩の上へと、強かに肩を打ち付ける。
「痛っ――」
声にならない声を上げ、健人は痛みに悶えた。
すると健人の胸から這い出たドクトルが、即座に負傷した肩へと手を当てる。
「大丈夫ですか!? すぐ治します!」
「ああ、頼む」
思ったよりもひどい怪我ではなかったのか、痛みはすぐに引いていった。
ただ一方で、怪我を治しているドクトルが沈痛な面持ちを浮かべる。
「本当にすみません。私が鈍臭いばかりに……」
「いや、大丈夫だよ。ドクトルさんに治してもらえる期待があったから、俺も迷いなく庇うことができたんだし。っていうか、今のは……」
健人が自ら抱いた違和感を話そうとすると、崖の上からククルゥがやって来た。ただ二人を心配しているというよりは、何かに怯えたように身体を震わせていた。
「ドクトルぅ。なんか今、不自然な魔力の流れがあったぞ……」
「不自然な魔力の流れ? 誰かが魔法を使ったってことでしょうか」
立ち上がったドクトルが、注意深く周囲を見回した。
当然ながら、見える範囲には誰もいない。ただ魔法の使えない健人ですらも、今の出来事を不自然と感じずにはいられなかった。
「ああ、今の落ち方は変だった。まるで誰かに突き落とされたみたいじゃなかったか?」
低い崖を登っている最中に手か足を滑らせた場合、普通は足からずり落ちるような感じになるだろう。しかしドクトルは背中から落ちていった。それはまるで、壁から生えた見えない手によって突き飛ばされたように。
「もしかして……カーシャさんの仕業ですかね」
「分からないけど……」
ドクトルとククルゥが神妙な顔をして考え込む。
もしカーシャの仕業だった場合、行く手を阻むように地形を変えたり、訪ねてきた知人を崖から落とすなど、どう考えても友好的とは捉えられない。まだ確定はしていないものの、健人としては身の安全を最優先する提案をせざるを得なかった。
「やっぱり『万能の魔女』に会うのは止めないか?」
「……いえ、むしろ会わなきゃならなくなりました。今のがカーシャさんの魔法なら、どのような意図があったのか問いたださねばなりません」
目を細め、ドクトルは崖の上を睨みつけた。
確かに、ここで引いてしまっては真相が分からなくなるだろう。知人への疑いを晴らしておきたいドクトルの気持ちも十分に理解できる。ただカーシャという人物の人格を一切知らない健人にとっては、丸腰で危険地帯へ飛び込むようなものだった。
先ほど同じように、警戒しながら再び崖を登る。そこからまた数分ほど歩くと、森の中に佇む西洋風の古い館が見えてきた。
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