第11話 本日の予定
朝。起床すると、すでに日が昇っていたのだ。
「……マジか」
朝日が差し込む窓を、健人は呆然と見つめた。
悪夢を見ていた昨夜までは、目覚まし時計なんかなくても、日の出前にきっちり起きることができていたのに。というか、昨日の日中もだいぶ寝ていたはずなのに。
「朝食は……まだなのかな?」
絶賛準備中なのか、それどもドクトルが気を遣って起こしに来なかっただけなのか。
どちらにせよ軽く日課を済ませようと思い立った健人は、大きく背伸びをしてからリビングへと向かった。だがドクトルの姿はない。
「……どこ行ったんだ? キッチンか?」
独り言ち、室内を見渡す。すると、玄関先から話し声が聞こえてきた。
窓から外を窺ってみる。玄関の前にはこちらに背を向けたドクトルと、甲冑を身に纏った兵士が四人。そしてそのリーダーと思しき金髪の騎士が、ドクトルと話をしていた。
予想外の来客に、健人は咄嗟に身を隠した。あの金髪の男は間違いない。自分たちを指揮していた兵士長だ。
なんでこんな所に? まさか……。
最悪の予想が脳裏を過った健人は、丸太の壁に耳を当てて会話を盗み聞こうとする。しかしただの音と化した声が届くだけで、内容までは聞き取れない。仕方なく、窓縁からゆっくりと顔を出したのだが……不意に金髪の兵士長がこちらに視線を向けた。
慌てて頭を引っ込める。これ以上はダメだ。覗いていたら確実に見つかってしまうと判断した健人は、窓の下に隠れて物音を立てずに息を潜ませた。
数分後、開いた玄関からはドクトルだけが戻って来た。
「あら、ケントさん。おはようございます。……何をしているんですか?」
「いや……兵士長と話しているのが見えたから……」
「ああ、あの方が健人さんたちを指揮していた人だったんですか」
そう言って、ドクトルが窓の外へと顔を向けた。
健人も恐る恐る覗いてみる。四人の兵士と金髪の兵士長は、こちらに背を向け離れていっているようだった。
「まさか俺を捜しに来たとか?」
「脱走兵のだの字も出ませんでしたよ。弟子がいることはお伝えしましたが、ケントさん個人のことは一切話していませんので、ご安心を」
「そうか。ありがとう」
悪い予感が外れ、健人はホッと胸を撫で下ろした。まあ関所の役人や街の人々にはドクトルに弟子がいることはすでに周知されているので、ここで隠す意味もない。脱走兵を捜すのが目的でなければ、健人が捕まることはないだろう。
「……って、じゃあ何しに来たんだ?」
「いつものことです。私に戦場に出てほしいと依頼しに来たんです。もちろん断りましたが」
「いつものこと?」
「定期的に来るんですよ。自分で言うのもなんですが、私がいれば百人力ですから」
話しながらも、ドクトルはうんざりしたように肩を落とした。
まあ、それについては健人もだいぶ実感していた。彼女がどれだけ戦えるかは知らないが、少なくとも戦死者や負傷者は大幅に減るだろう。自分が指揮する立場だとしても、ドクトルをこんな森の中に放置しておく手段はない。
「それで、すみません。急な来客があったため、今から朝食の準備をします。少し待っていてください」
「ああ、構わないよ。俺は今から日課をこなすから」
顔見知りの兵士長が訪れるというイベントに胸騒ぎがしつつも、健人にとってはいつもの一日が始まろうとしていた。
来客があったことなど記憶から抜け落ちてしまいそうなほど普段通りの朝食中、ふと思い立ったように健人がドクトルへと訊ねた。
「そういえば、兵士長たちって普通にこの森に入ってきてたよな」
「武装していましたからね。魔獣たちも無駄に怪我を負いたくはないでしょうし、彼らが何か変な行動でもしないかぎり襲い掛かることはないでしょう」
ということは、ドクトルと森の中で作業をしている時でも、不意に誰かと鉢合わせする可能性があるわけだ。特に兵士たちには顔を見られないように気をつけようと、健人は思った。
パンにジャムを塗りながら、健人がなんとなしにぼやく。
「こういう時に魔法を覚えてたら、撃退が楽なんだろうけどなぁ。兵士も魔獣も」
「魔法……ですかぁ」
ミルクを口にしていたドクトルが苦い顔を見せた。今の健人が魔法を習得するには、彼女がそんな表情をするくらいには困難だということだ。
「前にも言いましたが、魔法を使うには大前提として体内に『宝氣』が蓄積されてなければなりません。この世界に来てから日の浅いケントさんでは、魔法を発現できるまでの『宝氣』はまだ持っていないかと」
「短期間に『宝氣』の量を増やす方法とかはないのか?」
「あるにはありますが……」
ドクトルは言葉を濁すどころか、視線まで逸らした。
そんな言いにくい方法なのか? と思うも、聞くだけで何か不備が起こるわけでもないだろう。手を合わせた健人は、教えてくれとドクトルに懇願した。
分かりましたとため息を吐いた彼女は、咳払いをしてから話し出す。
「一つはウンディーネさんのような精霊に頼る方法です。精霊とは意思を持った『宝氣』のような存在で、死ぬ気で拷問でもされれば水系統の『宝氣』が増えるかもしれません」
「ウンディーネさんって、確か気難しい方とか言ってなかったっけ?」
「そうなんですよね。優しくないというか、性格に棘があるというか……」
そんな奴に拷問されたら普通に死にかねない。ドクトルの言い方からしても、『宝氣』を増やすためだけに頼るような相手ではないことは、ありありと伝わって来た。
「……一つ目があるなら、二つ目もあるんだよな?」
「ええ。二つ目はククルゥさんを……」
「あぁ、妖精は『宝氣』の流れに敏感って言ってたもんな」
「食べる」
「……却下で」
人の形をし、同じ言葉を話す生物を食べられるわけがなかった。
考えただけで胸やけを起こしそうになっている健人に対し、ドクトルは『仕方ないですね』とでも言わんばかりに肩を落とした。
「じゃあそうですね。あまり気ノリはしませんが、カーシャさんの所にでも行きましょうか」
「カーシャさん?」
「ここよりだいぶ山奥へ入って行ったところに魔女が住んでいるんですよ。彼女は『万能の魔女』という異名で呼ばれているため、もしかしたら『宝氣』を増やす方法も知っているかもしれません」
「『万能の魔女』、ねぇ」
頭の後ろで手を組んだ健人が、天井を仰いだ。
どんな輩なのか。などと思い描いている間にも、ふと思い出す。
「確か森の奥って、もっと危険だとか言ってたよな?」
「ええ、そうですね。まあでも移動だけなら私がいれば問題ありませんし、カーシャさんは悪魔なので心配いりませんよ」
「大いに心配する要素だろ、それ」
何が悲しくて悪魔の世話にならなければならないのか。不服そうに顔を歪めた健人は、ドクトルを睨みつけた。
しかし拒絶を露わにした健人の態度など素知らぬ顔で、ドクトルは話を進めてくる。
「大丈夫ですって。たまに理解できない単語を発することがあるので、私個人としてはちょっと敬遠しがちですが、そこさえ除けばカーシャさんは面倒見の良い方ですから」
「ますます会いたくなくなってきたんだが?」
「そもそもケントさんがこちらに居候をしていることも、すでに知っているかもしれません。なにせ『万能の魔女』ですので」
「……マジか」
「だからこちらから挨拶に出向いた方がいいですよ。後から何か言われたくなければ」
ドクトルのニュアンスとしては、長くこの家に住んでいれば、そのうち会う機会もあるということなのだろう。また、面倒見が良いというくらいなのだから、それだけお世話になっているとも読み取れる。確かに知らんぷりで通すのは後が怖い。
まんまと言いくるめられた健人は、降参したように両手を挙げた。
「分かったよ。行けばいいんだろ、行けば」
「じゃあ今日は準備ができ次第、カーシャさんの家へ訪問するってことでよろしいですね?」
「それはいいんだけどさ。なんでドクトルさんはそんなに楽しそうなんだ?」
「ふふっ、そんなことはありませんよ」
いや、どう見ても普段より機嫌が良さそうだ。
なんか良からぬことでも企んでいるのかなと思いつつも、健人は本日の予定を渋々了承したのだった。
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