第7話 ドクトルさんとお買い物2
平原のど真ん中を突っ切っていくと、途中で舗装された石畳の街道に出る。その上を辿って行き、ようやく街の入り口へと到着した。
高さ十メートルほどの石造りの城壁にアーチ状の穴が開いており、石畳の街道はそのまま街の中へと伸びている。城壁の内と外、二重の構造になる鉄製の格子が今は開け放たれているため、時折馬車が行き来していた。
入り口の両端には甲冑で身を包んだ兵士と、その傍らに関所らしき木造の小屋がある。ドクトルは門衛の兵士に軽く頭を下げた後、関所の窓口へと足を運んだ。
「こんにちは。ペペナ草を売りに来ました」
「おおー、ドクトルさんかい。久しぶりだね。許可証を発行するから、少し待ってておくれ」
恰幅の良い中年の役人が、まるで親戚の娘と会ったかのように顔を明らめた。
しかも完全に顔パスだ。特に審査や持ち物検査をすることもなく、ドクトルの顔を見ただけで許可証を発行しようと羊皮紙にペンを走らせる。定期的に訪れる彼女に対しての手慣れた作業なのだろうが、ただ残念なことに、今日だけは勝手が違っていた。
「すみません。本日は許可証を二名分出していただけませんか?」
「二名分?」
役人が、ドクトルの後ろに立っている健人の存在に気づいた。
じっと注目され、健人は慌ててフードの端を摘まむ。その仕草で余計に怪しまれてしまったのか、役人は訝しげに眉を寄せながら低く唸った。
「そちらの方は?」
「弟子です」
「弟子、ねぇ」
頬杖を付きながら、台帳の上でペンをトントンと叩き始めた。
役人の目つきが変わった。初めて見る人物を前にし、本業の勘を研ぎ澄ませながら健人を見定めている様子。歓迎していない渋い顔つきは、挙動不審な健人を疑っているのだろうが……むしろ、可愛がっていた姪が男を連れて来た時のような感じがしないでもなかった。
「もしかして、私以外の許可証は簡単には発行できませんか?」
「いやいや、ドクトルさんのお弟子さんなら大丈夫だよ。発行はするけど、いつの間に弟子なんか取ったんだと思ってね」
「つい二日前です」
「そりゃまた急な話だ」
そう言いつつ、役人は新たな許可証を作成するため黙り込んでしまった。
そしてある程度作り終えたのか、世間話の中身を変えてくる。
「二日前といえば、ウェルリア東区の砦で魔王軍と衝突したみたいだけど、ドクトルさんの所は大丈夫だったかい?」
ウェルリア東区と聞いて、健人はびくりと肩を震わせた。
城から砦への移動中、馬車内でそんな地名を聞いたような気がする。日付からしても、間違いなく健人が参加した戦闘だろう。
「ウェルリア東区からはだいぶ距離がありますので、魔法による爆発音すらも聞こえませんでしたよ。森の中は平和そのものでした」
「あそこを平和と言えるのは、ドクトルさんくらいだよ」
そう言って、役人は豪快に笑ってみせた。
するとドクトルが背後にいる健人を肩越しに盗み見た。何か本人がしなければいけない手続きでもあるのかと思ったが、どうやら違ったようだ。
すぐに首を戻したドクトルが、役人に問う。
「ウェルリア東区での戦いは、最終的にはどうなりましたか?」
「悲惨なものだったらしいよ」
まずは一言。落胆を露わにした役人が、大きく息を吐き出した。
「なんでも、つい最近召喚したばかりの兵を投入したけど、全然使い物にならなくてね。ほとんど全滅らしい。また異世界から兵力を増強して一から訓練し直さなきゃならないと、知り合いの兵士がぼやいてたよ」
使い捨ての駒みたいな言い草に、健人は自然と拳を握っていた。
こちらは望んで異世界に来たわけじゃない。平穏に暮らしていたところを無理やり連れて来られ、奴隷のように戦いを教え込まれて、挙句の果てには使い物にならない、だと? 勝手なことばかり言いやがって……。
血が上った頭は視界を狭め、目の前の理不尽を正すために一歩踏み出でる。
しかし二歩目はドクトルによって阻まれた。役人に見えないように手を背後へと回し、健人の凶行を事前に止める。
残っていた理性でその行動を認識した健人は、ハッと我に返った。もし彼女が止めなければ自分は何をしようとしていたのか。ドクトルの為にも、ここは気持ちを抑えなければ。
健人がゆっくり深呼吸している間にも、役人は二枚の羊皮紙をドクトルへと手渡した。
「はい、許可証」
「ありがとうございます」
「それはそうと、ドクトルさん。あの話は考えてくれたかね?」
あの話? と首を捻った健人は、ドクトルの背中へと視線を移す。
しかし彼女は訊かれることを予想していたかのように、やんわり断るだけだった。
「申し訳ありませんが、今はそのつもりはありません」
「そうか。残念だけど、ドクトルさんがそう言うのなら仕方がないね。まあ街のみんなも歓迎すると思うから、いつでもおいでよ」
「はい、ありがとうございます」
深々と頭を下げるドクトルに倣い、健人もまた軽く会釈をした。まあプライベートな話なんだろうと、健人は特に訊ねることもなくドクトルの背中を追った。
アーチ状のトンネルを潜り抜け、街へと入る。城壁の中では、まさに健人が思い描いていたようなファンタジー世界の街並みが広がっていた。
街の入り口からは幅の広い大通りが一直線に伸びており、左手にはレンガを主とした赤い三角屋根の家が建ち並んでいる。右手では、平原から流れて来ている川がそのまま人々の生活を支える用水路となっているようであり、対岸は新緑公園のように緑が生い茂っていた。
そして中でも目を惹いたのが、メインストリートに並ぶ多くの露店だ。
野菜や果物、ビン詰めの香辛料や、血抜きされた動物が丸々吊るされている店もある。また食べ物の他にも、食器や花、色とりどりの鉱石が加工されたアクセサリが並んでいる所もあった。
縁日ほどではないにしろ、多くの人が行き交う街並みを見渡し、健人は感動のあまり呆然と立ち竦んでしまう。
「言っちゃ悪いが、意外と賑わってるんだな」
見知らぬ土地の人通りの多い道。はぐれたら迷子になるだろうなと理解しつつも、露店に並ぶ商品についつい目を奪われてしまう。そんな物珍しそうに首を回す健人を見て、ドクトルも少しだけ歩調を緩めた。
「ドクトルさん。今日は何を買うつもりなんだ?」
「主に食糧です。塩に砂糖に小麦粉、粉ミルクに干し肉に野菜。ああそれと、卵も欲しいですね。割らないように気をつけて家に戻らなければいけませんので、行きよりも帰りの方が辛いかもしれませんよ」
そう言って、彼女は悪戯な笑みを浮かべた。
昨日から少しずつ気づいていたことだが、ドクトルにはどこか嗜虐的な一面があるなと健人は思った。水汲みの時に一人で先に行ってしまおうとする行為や、今の『あなたは卵を割らずに家へ帰れるかな?』とでも言わんばかりの態度もそう。からかっているというか、ちょっとした意地悪をする時に、彼女は表情を緩めるような気がする。
ドクトルが自覚しているかは分からないが、不意に垣間見えるあどけない振る舞いこそが、彼女の本来の姿なのかもしれない。
そんなことを考えているうちにも、まずは病院へと到着した。
他の建物よりかはちょっと大きいだけの、外壁だけではとても病院とは見分けのつかない普通の家。木製の扉を叩いてしばらく待っていると、中からドクトルと同じような白いローブを着た青年が出てきた。
「やあ、ドクトルさん」
「こんにちは」
ドクトルがその場で軽く頭を下げると、青年は爽やかな笑顔を返した。
すると彼は脇へ退け、ドクトルに家の中へ入るよう促してくる。だが彼女は、それをやんわりと辞退した。
「いえ、すみません。いつものように、ここでお願いします」
「そうか、残念だ」
断られた医者の青年は、露骨に肩を落とした。
それから玄関口で立ったまま、ペペナ草の売買が始まる。医者の青年がペペナ草に詰まった『宝氣』の量をじっくりと検分し、それに見合った通貨をドクトルへと手渡した。ドクトルもドクトルでだいたいの相場は理解しているのか、彼らのやり取りは思いのほか早く終わった。
「今回はこれくらいあれば十分かな。いつも悪いね」
「いえ。こちらこそいつも買っていただいて、ありがとうございます」
ドクトルがお礼を言って立ち去ろうとする。
その背中を、医者の青年は呼び止めた。
「ドクトルさん。例の件だけど……」
「すみません。今はまだ、お受けするつもりはありませんので」
「そっか……」
先ほどまでではないが、青年の声には落胆の色が含まれているようだった。
病院を後にした二人は、そのまま露店を巡ることになった。
元の世界では見慣れない商品に興味を魅かれつつも、ドクトルが指定した物だけを購入していく。余計な物には目もくれず、必需品だけを買い込んでいく一貫した彼女の姿勢には舌を巻くものがあった。
また道行く人々がドクトルに声を掛け、たまに道端でペペナ草を買っていくのが不思議だった。それだけペペナ草の効力がすごいのか、ドクトルが街のみんなから信頼されているのか。いずれにせよ、買い物を終える二十分の間にペペナ草が完売したことには、健人も驚きを隠せなかった。
そしてある程度必要な物を揃えたところで、ドクトルは最後に果物屋へと足を運んだ。
「ケントさんがククルゥさんに悪戯されたおかげで、金銭的に余裕ができました。ちょっとだけ贅沢しちゃいましょう」
振り返ったドクトルは、どことなく嬉しそうに顔を綻ばせていた。
要は、ククルゥを捕まえられたことで特殊なペペナ草を採集でき、医者からの収入が増えたということなのだろう。ウキウキ気分のドクトルを見るに、若い女性が甘いもの好きなのはどこの世界でも一緒だな、と健人は思った。
「……どういたしまして」
嗜虐的な面以外で向けられた笑顔が眩しく、健人は思わず顔を背けてしまった。
立ち寄った果物屋では、やはりドクトルと顔見知りらしいおばさんが元気よく出迎えてくれた。露店に並んでいる色とりどりの果物は、バナナやリンゴなど、健人の世界でも一般的なものが多い。そんな中、何を買おうと吟味しているのか、一つの露店で要した時間が一番長いような気がした。
そして財布や舌との相談の末、ようやく買い物を終える。するとお釣りを渡される際、果物屋のおばさんがドクトルの手をギュッと握ってきた。
「ドクトルちゃん、あの話はどうなったのかしら?」
「いえ、すみません。今のところはまだ考えていませんので……」
「そうかい。いつでも歓迎するから、早くおいでよ」
嬉々として迫るおばさんに気後れしながらも、ドクトルはやんわりと断った。
そのまま愛想笑いを浮かべて、果物屋を後にする。だがおばさんの姿が人ごみで見えなくなった辺りで、ドクトルが肩を落としたのを健人は見逃さなかった。
あの話、例の件。
いろんな人が共通認識で話しかける指示語には、さすがに気になってしまう。
「ドクトルさん。あの話って何なんだ?」
「……いろいろな人から、この街で住まないかって勧められているのですよ」
森へ帰るために街の入り口へと向かっている途中、ドクトルが歩きながら答えた。その顔には、果物を買う前にあった笑みは無かった。
「良い話じゃないか? 食糧を買うために森からここまで歩いてくる必要もないし、ドクトルさんの白魔法で街のみんなの怪我や病気もすぐに治せるし。誰も損しないどころか、お互いにとって好都合だと思うけど……どうしてドクトルさんは街に住もうとしないんだ?」
「それは……」
健人の純粋な疑問に、ドクトルは困ったように視線を逸らした。
と、その時だった。
「キャーー!!」
賑わいを見せる商い通りには似つかわしくない、女性の悲鳴が響き渡った。
耳を劈く甲高い声は人々の注意を引き寄せ、誰もが悲鳴の発生源へと振り返る。健人とドクトルも例外なく顔を向けると、人ごみの間から騒ぎの中心が見えた。
露店が並ぶ大通りのど真ん中。興奮したように前脚を上げる馬車馬と、それを宥める御者。そしてその足元では、年端も行かない少年が倒れていた。
状況から察するに、おそらく少年が馬車の前に飛び出したかして、馬に踏まれてしまったのだろう。出血はしていないようだが、あの幼い身体が馬の体重に耐えられるとは思えない。踏まれた場所によっては、間違いなく命に関わる。
「だ、誰か医者を呼べ! 早く!」
少年に駆け寄った男性が、大声で叫んだ。
元の世界でもそうそう近くで事故を目撃したことなどない健人は、あまりの唐突な出来事に放心してしまっていた。だが男性の叫び声により、ふと気づく。自分の隣には今、医者よりも優秀な白魔導士がいることに。すぐに駆け付ければ、あの少年も助けられるだろう。
健人は期待を込めた眼で、ドクトルの顔を覗き込んだ。
だが彼女は動こうとしなかった。それどころか地に伏した少年を見据えたまま、静かに震えているよう。
「ドクトル……さん?」
どうしたんだ? と声を掛けようとして、健人の背筋に悪寒が奔った。
何事かと思い、顔を上げる。事故の騒ぎに集まって来た人々のほとんどが、ドクトルを見つめていることに気づいた。あまりに統率の取れた反応に、視線を向けられているわけでもない健人ですらも身を竦ませてしまう。
「そ、そこにいるのはドクトルさんじゃないか! 悪いが、ちょっと来てくれ!」
少年の元へ駆けつけた男性に呼ばれ、ドクトルはハッと目が覚めたように顔を上げた。
「え、ええ……」
小さく返事をしたドクトルが、ゆっくりと歩き出した。
少年の側で屈み、容態を診る。
「……呼吸の乱れ具合からして、馬に踏まれた際に折れた肋骨が肺に刺さっていると思われます。このままでは、もう……」
「ドクトルさんなら治せるだろ?」
一緒に容態を診ている男性が、当たり前のように言い放った。
「えっ……?」
突然の要求に、ドクトルは息を引き攣らせる。
少し離れた場所で事の成り行きを見ていた健人には、周囲の雰囲気の変化が手に取るように分かった。誰も彼もが彼女に注目し、傷を治せ、少年を助けろと圧力をかけているよう。
ドクトルもまた一度だけ周りを見回し、観念したように頷いた。
「わ……分かりました」
少年の胸に手を当て、魔法を行使するドクトル。白い光とともに、少年の身体の内部が修復されていく。
一分もしないうちに少年の呼吸は正常へと戻り、彼は目を開けた。
起き上がった少年は、自分の胸……おそらく馬に踏まれたであろう場所に触れる。そして自分の怪我が完治していることを確認すると、ドクトルに向けて最高の笑みを披露した。
「お姉ちゃん! 治してくれて、ありがとう!」
「えぇ。ど、どういたしまして……」
純粋無垢な少年の笑顔を前に、ドクトルの声は何故か怯えたように震えていた。
すると次の瞬間、観衆が沸いた。
「すごい! 瀕死の少年を一瞬で救い上げた! ドクトルさんの白魔法は何者にも劣らない! 世界一の魔法だ!」
側にいた男性が声を上げるのと同時に、誰もがドクトルを褒め称えようと彼女の周りに集まってくる。さすがに胴上げまではしないものの、集った民衆は感謝の言葉を伝え、彼女に握手を求めていた。
それはまるで、神の奇跡を目の当たりにした信者のよう。
だがしかし、ただ一人だけ……健人だけは、この異常な光景に寒気を覚えていた。
人通りの多い場所とはいえ、馬車の速度は牛歩並み。少年を踏むまで、馬が興奮した様子もなかった。不注意で起こった事故だとしても……普通、胸など踏まれるか?
しかもあの少年、ドクトルに怪我を治してもらってから、即座に現状を把握していた。つい一瞬前まで生死の境を彷徨っていたにもかかわらず、だ。怪我が治ることは、あらかじめ決められたシナリオだったとでも言わんばかりの、素早い理解能力だった。
さらには民衆の視線。ドクトルもそれなりに有名人らしくはあるが、偶然通りかかったはずの通行人まで、事故が起きてからすぐにドクトルの位置を把握し視線を向けていた。
つまり民衆はドクトルが助けるのを見越して、わざと少年に事故を起こさせたのではないか?
疑えば疑うほど、目の前の出来事が仕組まれていたんじゃないかと思えてしまう。
すると褒め称えている民衆の隙間から、ドクトルの顔が見えた。
彼女は少年が助かったことを喜んでいるわけではなく、また誇らしげにしている様子でもなく、ただただ困惑したように、顔を青ざめさせながら下を向いていた。
その表情は、まるで取り返しのつかないことをしてしまったかのよう。
居たたまれなくなった健人は、ドクトルを取り囲んでいる人々を掻き分けながら騒ぎの中心へと向かう。そして今にも泣き出しそうに俯いている彼女の手を握った。
「行こう、ドクトルさん」
「ケ、ケントさん!?」
たった今作った民衆の隙間を縫うようにして、前へと突き進む。
「あっ、ちょっと待て!」
背中で、先ほどの男性の野太い声が突き刺さった。
制止を求める他の民衆の声も無視し、健人は人だかりの中から無理やりドクトルを引っ張り出す。彼女の手は、心にまで伝わってきそうなほどひどく震えていた。
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