第6話 ドクトルさんとお買い物1
「今日、街へ買い物に行きます」
妖精に誑かされた次の日。ドクトルと顔を突き合わせながら朝食を摂っていると、彼女は流れるような口調でそう宣言した。
危うく聞き逃しそうになった健人は一旦手を止め、言葉の意味を咀嚼する。
そして外出を見送る立場として、最適な回答を返した。
「分かった。いってらっしゃい」
「……? 何を言っているんですか? ケントさんも行くんですよ? 自分の荷物は自分で持ってください」
「えっ、俺も!?」
さすがに寝耳に水だった。
ただ、さも当然に言い放つドクトルは、もしかしたら忘れているのかもしれない。
「俺は脱走兵だから、あんまり人の多い場所へは行きたくないんだけど……」
「今日行く所は、ケントさんがいた城の城下町ではありません。最寄りの街です」
「でもなぁ……」
万が一を考えると、どうしても二の足を踏んでしまう。
「よく考えてみてください。どれだけの方がケントさんの顔を知っていますか?」
「……うん?」
食事の手を止め、ここ一ヶ月間で出会った人々の顔を思い出してみる。
健人たちを召喚した賢者や、訓練の指導に当たった兵士長以下の兵士が数名。それに調理担当の兵士くらいか。健人は四十人近いクラスメイトと一緒に召喚されたため、その他の人々は彼を大勢の中の一人くらいにしか見えていなかっただろう。顔を覚えられていない可能性の方が、はるかに大きかった。
「どうしても心配なら、部屋のタンスに入っているローブを着ていってください。あそこの中にある衣服は、自由に使ってくれて構いませんので」
「……じゃあ、そうさせてもらうよ」
腹をくくった健人は、街へ行くことを渋々了承したのだった。
朝食を終え、部屋へ戻るなりタンスの中を確認する。確かに、顔が完全に隠れるくらいフードの大きいローブが入っているのだが……どれもドクトルの体格には合わない、男物ばかり。つまり、以前はここに男性も住んでいたということなのだろうか?
いやいやいや。なんか変なことを考えてるなと、健人は首を振る。居候の身で余計な詮索をするのはマナー違反だ。
ローブを羽織って家の外へ出ると、ドクトルが売り物の用意をしていた。昨日採ったペペナ草が、『宝氣』を多く含んだ物と普通の物とに分けられてバスケットに収まっている。その片方を持った健人は、ドクトルとともに街へ向けて出発した。
獣道すら無い草木が生え渡った道程を掻き分けながら、ドクトルが街での用事を簡単に説明し始めた。
「まずは街の病院へ行って『宝氣』をたくさん含んだ方のペペナ草を売ります。医者は『宝氣』の価値をちゃんと理解していますので、一般の方に売るよりも高く買い取ってくれますから。次に露店などで普通のペペナ草を欲しがってる方に売ります。ここではお金か物々交換をします。その後は食糧などの必需品の購入です。ちゃんと荷物は持ってくださいね」
「分かってるよ」
やけに荷物持ちを強要してくるな。と、健人は思った。
「っていうか、白魔法があるのに病院や医者がいるんだな」
「当たり前です。白魔法はいろんな種類の『宝氣』の応用ですから、まともに使える人は少ないんですよ。医者と呼ばれる人も重傷を一度で完治させるのは非常に難しく、ある程度の治療の後は薬草などで補うことが多いんです。ちなみにペペナ草は薬草の中でも最高峰のものでして、この森にしか生えていません」
「なるほど。だから商売として成り立ってるわけか」
魔獣が蔓延るこの森を普通に闊歩できる人は少ないだろう。日常生活程度の魔法しか使えない一般人では命を落としかねない。
途中から川を下るようにして足を進めていると、周囲の木々が捌け、見通しの良い平原に出た。傾斜がだいぶ緩やかになったのか、水流は勢いを失い、川幅が広くなる。そして平原の先に立派な城壁が見えた。
「城下町ってわけでもないのに、随分と強固な城壁だな。まるで砦みたいだ」
「ここは魔王軍の支配する土地に比較的近い場所ですからね。仮に攻められたとして、住民が避難できる時間を稼ぐ程度の守りは必要なんですよ」
「ドクトルさんの住んでる森が人類軍と魔王軍の境にあるようなものなんだよな?」
「そうですね。どちらの勢力も手を出しにくい中立地帯ではありますが」
健人は頭の中で俯瞰図を思い浮かべた。
健人たちが派遣された砦に魔王軍の奇襲があったということは、そこは地理的に二つの勢力のほぼ境なのだろう。そこから人間が走って逃げられる距離しか移動していないため、大雑把に言えば、森のこちら側が人類軍、向こう側が魔王軍の領地だと解釈できる。
そして街の背にある山脈を見て思い出した。城から砦への移動中、確か馬車で峠を越えたはずだ。ということは、健人が召喚された城は山の向こう側なのだろう。
そんなことを考えながら、街へ向かってひたすら歩く。だがその途中で、健人はちょっとした違和感を抱いた。戦争の前線に近い土地であるはずなのに、あまりにも静かすぎるのだ。
「なんつーか……平和だな」
「今の世界情勢をどう聞いているかは知りませんが、人類軍と魔王軍の争いはここ数年で始まったわけではありませんよ。もう何百年も続いています。その間、領土を奪ったり奪い返されたり。あまりにも長期的で、お互いの勢力の疲弊もありますから、紛争が起こっている地帯以外では比較的平和なんです」
「へぇ。……いや、まあ、それもあるけど、モンスターとかいないのかとも思って」
当然、魔王軍に所属するような知性の有る魔物が人類軍側の領土内にいないことは想像できるものの、森の中で見た魔獣など、街や城の外ではもっとモンスターに遭遇するものだと思っていた。
だが大きく見渡してみても、平原にはそれらしき姿は見当たらない。羊のような毛むくじゃらの動物が遠くに見えるが、そのすぐ側に人間がいることから、おそらく放牧しているのだろう。それだけこの平原は安全だということだ。
そんな疑問を抱いていると、ドクトルがきょとんとしながら答えた。
「何を言ってるんですか? 森や山間部ならともかく、こんな餌もない平原に、人を襲ってくる魔獣なんて生息していませんよ」
「なるほどなぁ。それがこの世界の常識か」
異世界をゲームや漫画知識でしか知らない健人は、こういう世界もあるのかと、一人納得したのだった。
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