第2話 少女の名前はドクトルさん

 さすがに説明不足だと感じた健人は、少女の後を追うことにした。


 身体に変な痛みが無いことを確認してから立ち上がり、少女が消えていった扉を開く。その先は、一家族が過ごすには十分な広さのあるリビングだった。


 真ん中にファミリー用の大きなテーブルがあり、椅子の数は四つ。角には煉瓦に囲われた暖炉と、その正面にソファーやロッキングチェア。その他チェストや書棚の上には、灯されていないランタンがいくつか置いてあった。


 電化製品が存在しないため、どうしても殺風景に見えてしまう。ただそれを抜きにしても、絵画や花瓶などの装飾品すら見当たらないその内装は『ただ住むためだけの家』というような印象を受けた。


 健人がすぐに追いかけたためか、少女の背中は目の前にあった。


 扉が開いたことに気づいた彼女は、振り向きざまに訝しげな声を上げる。


「……なにか?」


「いや、だから、なにか? じゃなくて、もっと詳しく説明してください」


 健人が身振り手振りで力強く要求すると、少女は心底面倒くさそうなため息を吐いた。そして斜め下に視線を落としながら、健人の方へ人差し指を向けて指摘してくる。


「朝ごはんは食べましたか?」


「朝ごはん?」


 そういえばさっき、少女がパンとミルクをテーブルに置いたのを思い出した。


 当然だが、こんな短時間で食べられるはずはない。少女も分かっているはずだろうに、一寸のブレもない指先と何者にも屈しそうにない力強い眼差しは、健人の口から回答を強要しているようにも感じられた。


「いや……食べてないです」


「せっかく無償で提供して差し上げたのに、口にしないのは失礼ではありませんか?」


「…………」


 少女の不遜な物言いに多少なりとも苛立ちを覚えたが、言っていること自体は正論だ。しかも彼女は命の恩人。要求を蔑ろにするどころか、反論することなどできるはずはなかった。


 ただ一つ、健人にも譲れない部分がある。このままさっきの部屋に引き下がり、一人黙々とパンを口に運ぶのは……さすがに情けない。


「こっちで食べてもいいですか? 食べながら話を聞きたいです」


「ええ、構いませんよ」


 未だ無表情を崩さないものの、少女はすんなり了承してくれた。


 先ほどの部屋に戻った健人は、パンとミルクの載ったお盆を持って戻ってくる。少女は粉ミルクの入った木製のコップにお湯を注ぎ、自分のミルクを用意しているところだった。


 彼女がテーブルの一角に腰を下ろしたため、健人はその対面に座る。


「椅子が四つありますけど、他にも誰か住んでいるんですか?」


「いえ、私だけです。それらの椅子はお客様用なので」


 素っ気なく返すと、少女は話題を拒むかのようにミルクを口にした。


 あまり芳しくない反応に憮然とした健人も、ちぎったパンを口に放り込んでミルクで流す。パンはともかく、ミルクは匂いが酷い。表情を変えないよう精一杯我慢したものの、この一ヶ月、城で飲んでいた物とほとんど大差なかったので慣れたものだった。


 とはいえ、こちらから話しかけないと少女が何も語らないことは目に見えていたので、健人は食べながら問いただした。


「さっきの疑問の続きですが、あなたが俺を助けてくれたんですよね?」


「先ほどもそう答えました。疑っているのですか?」


「疑うも何も、俺はこの世界に来てからまだ一ヶ月しか経っていないんです。魔法なんて数えるくらいしか見たことないし、知識すら城の賢者に与えてもらったものだけで……」


「ああ、なるほど。異世界からの転移者でしたか。どうりで顔の作りが違うと思いました」


 顔が違うのは、おそらく健人が日本人だからだろう。少女の顔は殊の外整っているが、元の世界でもどこか別の国にいそうではあった。もちろん、健人はここまでの美人をテレビかネットの中でしか見たことがないのだが。


 健人が異世界人であると知ったためか、少女の口元が少しだけ緩んだような気がした。今までの不躾な態度にも納得がいった、とでも言っているようだった。


「この世界の白魔法をどのように聞いているか知りませんが、私の魔法は少し特殊なんです」


「特殊?」


「再生、回復、蘇生、復元、縫合、接合、除去、その他いろいろ、およそ『人体を治す』ことに限っていえば、なんでもできます」


「なんでもって……」


「なんでもはなんでもです」


 その言葉を耳にし、健人は思わず息を呑んでしまった。


 たった一晩で失った右腕を再生させ、ぐちゃぐちゃに掻き回された下腹部を完全修復させるほどの能力。しかも本人談では、蘇生もできるという。


 それはもう、神の領域に到達しているのではないか?


 いや、異世界だから――魔法だからそれが当たり前なのか? 少女は特殊と言ったが、もっと幅を狭めた専門家なら同じことが可能なのか? ……この世界に来てからたった一ヶ月、さらにほとんどの時間を戦争のための訓練に費やしてきた健人には、彼女の言葉を正確に分析することはできなかった。


「治療に関しては万能ってことですよね。なんでそんなことができるんですか?」


「できるからできる、としか言いようがありません」


 言いようがないというよりは、これ以上は語りたくないと言わんばかりに、少女は再びミルクに口をつけた。


 健人の話術では、その堅い口を緩ませるのは何百年かかっても無理そうだった。


 なので話題を変える。


「でも、そんなすごい魔法が使えるのなら、なんで戦場に行かないんですか? もちろん戦えと言ってるわけではありません。後方で救護するだけでも、いくつもの命が助かるはずです」


 話しながら、健人は次々に殺されていったクラスメイトを思い出していた。


 槍で胴体を貫かれる者、モンスターの爪で引き裂かれる者、攻撃魔法の爆発で四肢が吹っ飛ばされる者。確かに手遅れの奴もいただろう。しかし少女ほどの白魔導士がいたのなら、事態はもっと好転していたのではないだろうか?


 彼女がいれば、友人たちは死ななかったかもしれない。その理不尽な怒りが、健人の拳に力を入れさせた。


 だが彼とは対照的に、少女は落胆するように息を吐き出した。


 元の世界で例えるなら、その態度はまるで『勉強しなさい』という言葉を嫌というほど親から聞かされた少女のそれだった。


「では、どちらの陣営に付けばいいというのですか?」


「……えっ?」


 予想だにしなかった返答に、健人は間抜けな声を上げた。


「この世界では今、人類軍と魔王軍の二つの勢力が争っています。仮に私が戦争に参加するとして、どちらに加担すればいいと思いますか?」


「えっと……人間だから人類側じゃ?」


「魔王軍の中にも、少なからず人間はいますよ」


 それは知らなかった。もしかしたら、意図的に情報を与えなかったのかもしれない。


 とはいえ、魔王軍に加担する理由が無ければ人類側に加勢すべきだろう。それで救われる命があるのなら、少女は戦争に参加するべきだ。参加すべき……はずなのだ。


「…………」


 頭の奥で何か変な痛みが奔り、健人は表情を歪めた。


 それを見ていた少女が、再び大きなため息を漏らす。


「少しお休みになってからでも構いませんので、帰ってください」


「え?」


「もちろん、魔獣に襲われないよう安全な場所までは案内します」


「……そうじゃなくて」


 正直な話、まさか早々に帰れと言われるとは思っていなかった。


 いや、健人は怪我人ではないし、彼女は医者ではないし、ここは病院でもない。仮に同情の心があったとしても、健人の怪我はすでに完治しているのだ。自分の家から出て行けという少女の要求は、妥当も妥当だった。


 だが健人の方とて、帰れない理由がある。


 肩を竦めた健人は、罪を告白するように呟いた。


「俺は帰れません」


「何故ですか?」


「実は……戦争の途中で逃げ出してきたんです」


「なるほど、脱走兵でしたか。だから魔獣の対策も無く、この森を彷徨っていたのですね?」


 今までの疑問が解消したかのように、少女は頷いた。


 理解が感情を軽くしたのは分かったが、まったく責めている様子もない彼女の口調に、健人は違和感を覚えた。


「あの……軽蔑しないんですか?」


「軽蔑? 何故?」


「みんな戦ってるところを……俺は一人だけ逃げ出したから……」


「そんなことで軽蔑するわけありませんよ。誰だって死ぬのは怖い。しかも異世界人なら大義もありませんしね。だから……誰もあなたを責めたりはしません」


 あっ、と小さく声を上げるのとともに、喉の奥で何かが弾けた。


 もしかしたら自分は、誰かに許してほしかったのかもしれない。戦場から逃げ、クラスメイトを見捨て、自分だけ助かってしまったことを。心にのしかかっていたいろんな重荷が、少女のたった一言でとても軽くなったような気がした。


 それと同時に気づく。


 どうして今まで戦うことが当たり前だと思い込んでいたのだろうか。先ほど少女に迫った時もそうだ。最大級の白魔法が使えるのなら、戦争に参加するべきだと思ってしまった。彼女の事情など、一切考えもせずに。


 不意に『洗脳』という単語が脳裏を過った。


 そうだ、そうに違いない。この異世界に召喚されてから一ヶ月、城で戦争の訓練をさせられている最中、徐々に洗脳されていたのだ。反乱を起こさせぬよう、自分たちを物言わぬ奴隷として服従させるために。


 それを彼女は、軽く解いてみせた。


 心が緩んだのか、健人の目尻から涙がこぼれる。そして嗚咽が漏れそうになる声で、思いつける最大限の賛辞を口にした。


「あなたの白魔法は……本当にすごいですね」


「……? 何もしてませんよ?」


 少女が今までで一番の怪訝顔を披露した。


 健人がいきなり泣き出したことか、それとも脈絡もなく褒められたことを不思議に思っているのかは定かではない。ともあれ、今はただただ心の中で感謝を表すのみだ。


 瀕死のところを助けられたことも含め、できればお礼がしたい。


 健人はテーブルに額をぶつけるほど頭を深く下げた。


「お願いがあります。ほとぼりが冷めるまで、俺をここに住まわせてください」


 図々しい頼み事なのは百も承知。だが今の健人が選べる選択肢は、そう多くはないのだ。


 突然の要求に、少女はきょとんとする。そして五秒ほど健人の旋毛を見つめた後、再三のため息を吐き出した。


「はあ……本当に助けるんじゃなかった」


 あまり好意的ではないセリフに、健人はびくりと身体を震わせる。


 ただ彼女の口調には、拒絶よりも諦めが大部分を占めているように感じられた。


「……分かりました。いいですよ、寝床も余っていますし」


「本当ですか!?」


「ただし、条件が二つあります」


 頭を上げた健人の目の前に、少女は指を二本立てる。


「一つは家事。家のお手伝いをしてください」


「もちろんです。なんでもやります」


「もう一つは、私に対して敬語を使わないこと。年下から敬語を使われるのは苦手なもので」


「…………?」


 普通、逆じゃないのか? 年上から敬語で話されるのは、健人としてもむず痒いものがあるから理解できるのだが……と思っている途中に、ふと気づく。


 今、年下と言ったか?


「えっと、おいくつですか?」


「私は十八です」


 まさかの年上だった。十七歳の健人ですら、二つくらい年下かなと思ってしまうほど彼女は童顔だったからだ。


「あとはお互いの名前ですが……申し訳ありません。あまり本名を名乗りたくはありませんので、私のことはドクトルとお呼びください」


「分かりました。……分かった。俺は笹岡健人。健人って呼んでください……呼んでくれ」


「ケントさんですね。よろしくお願いします」


「ああ、こちらこそよろしく」


 年上に対してタメ口慣れしていないためか、しどろもどろな自己紹介になる。その気恥ずかしさを隠すため、健人は握手を求めたのだが……この世界には握手する習慣が無いのか、少女は健人の手に気づかずミルクを飲み干したのだった。

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