第3話 ドクトルさんのお手伝い

「この家、本当に森のど真ん中にあるんだな……」


 正午。ドクトルの手伝いをするため外に出た健人が、周囲を見回しながらぼやいた。


 ログハウスの屋根よりも背の高い木々が四方を囲んでおり、外界へと繋がる道らしい道も見当たらない。太陽は真上にあれど、枝葉の傘が日差しを遮断してしまっているため、二十メートル先もはっきり見えないほど視認性も悪い。


 そんな鬱蒼と茂る森の中をドクトルは躊躇いもなく足を踏み入れるので、健人は慌てて彼女の背中を追った。


「えっと、森の中って危険じゃないのか? ほら、魔獣とか」


 魔獣に殺されかけてから、まだ一日も経っていない。健人にとっては、再び地獄へと足を踏み入れるようなものだろう。今まさに茂みの奥から魔獣が現れるんじゃないかと警戒してしまい、出発してからずっと及び腰だった。


 だが肩越しに振り返ったドクトルの顔は、なんら心配してないように飄々としていた。


「大丈夫ですよ。魔獣は私を襲ってきたりはしませんので」


「なんで?」


「逆らってはいけない人間であると、判っているのでしょうね」


 つまり襲えば返り討ちに遭うと本能で理解、もしくは経験で知っているのだろう。


 昨晩、彼女が近づいてきただけで魔獣たちがそそくさと逃げて行ったのを思い出した。束になっても敵わないと思わせるほどの力関係が、すでに出来上がっているのかもしれない。


「白魔法だけじゃなくて、攻撃的な魔法も得意なのか」


「黒魔法も使えますが、苦手ではありますね」


 とはいえ、物理的に追い払えそうな体つきでもない。


 どんな理由で魔獣に恐れられているのか不思議に思っていると、彼女は珍しく無表情を崩して得意げに言った。


「治せるということは、その逆もまたできるということです」


 不敵に笑うその顔は、ちょっとだけ怖かった。


 まあ、あまり詳しくは聞かないでおこう。白魔法で治療するのをプラスとすると、マイナス方面へ作用させることもできる。魔法を使って、水を氷に、氷を水へと自由に変えられるようなものだと解釈しておいた。


「ともあれ、この森には魔獣だけでなく、人間にとってあまり好ましくない生物も多少はいます。なので散策する際は、必ず私と一緒に行動してください」


「好ましくない生物って?」


「妖精とか、悪魔とか」


 この世界では、そんな物騒な生物が当たり前のように生息しているのか。身震いするのと同時に、健人は絶対に一人で家から出ないことを誓ったのだった。


「それで、今日の作業は水汲みとペペナ草って薬草の採集ってことだけど……」


 そう言って、健人は両手に持っている空の麻袋と水汲み用の木のバケツに視線を落とした。


「水汲みはともかく、薬草の採集って必要なのか? 白魔法でなんでも治せるんなら、薬草なんて要らないんじゃ?」


「薬草は街で売ったり、食糧や雑貨品と交換するためですよ」


「ああ、なるほどな」


 確かにパンや家具などは、収入を得ないと手に入らない物だろう。


 方向感覚さえ狂いそうな森の中をずんずん進みながら、彼女は説明を続けた。


「この世界の住人は、基本的にありとあらゆる魔法を使うことができます。ただ当然のことながら、人によって得手不得手があります。私も白魔法なら誰にも負けないという自負がありますが、その他の魔法は各専門家に大きく劣りますからね。薬草などの傷薬は、白魔法が苦手な人に処方されるんです」


「誰でもなんでも使えるって……すごいな」


「そんなに意外なことですかね?」


 驚いたドクトルが、歩を緩めてまで健人の顔を見上げてくる。この世界の人々にとっての魔法は、それだけ当たり前のものということなのだろう。


「俺の世界には魔法が無いから、魔導士しか使えないって認識になってるんだよ」


「ああ、そういうことでしたか」


 納得したドクトルが、再び元の速度で歩き出した。


「この世界に存在するすべての物には『宝氣マナ』と呼ばれるエネルギーが含まれています。『宝氣』は普通に生活しているだけで自然と取り入れることができ、徐々に体内へ蓄積されていきます。体内に蓄積された『宝氣』を魔力へと昇華させ、魔法を使えるようになるのです。また長年触れ続けた『宝氣』の種類によって、魔力の系統が偏ることもあります。例えば水辺に住む人は水系の魔法が、鍛冶屋の職人は炎系の魔法が得意になるとかですね」


「じゃあ俺もいずれは魔法を使えるようになるってことかな?」


「たぶん使えますよ。ただこの世界に来て日が浅いということなので、大きな魔法は難しいとは思いますが」


 ならば試してみる価値はある。今度魔法の使い方を聞いてみようと健人は思った。

 そこで、ふと気づいた。


「どんな魔法でも使えるのなら、ドクトルさんも召喚魔法を使えるとか?」


「必要がないのでやったことはありませんが、おそらく使えると思います」


 その事実は、健人にとって一筋の光明だった。


「ならドクトルさんの召喚魔法で、俺を元の世界に帰してくれれば……!?」


「あー……期待させて申し訳ありません。それは現段階ではまず不可能です」


 気まずそうに視線を逸らすドクトルの態度は、本当に無理であることを物語っていた。


 希望から落とされた落差があまりにも激しく、健人もついつい敬語に戻ってしまう。


「えっと……どうしてですか?」


「まず、私は召喚魔法に慣れていません。まあこれは練習すれば何とかなるとは思いますが……そもそもケントさんの世界の座標を知りませんので」


「座標?」


「世界の位置情報みたいなものです。異世界から召喚する分には必要ありませんが、元の世界に送り返す場合は、送り返し先がどこかを認識しなければなりません。座標無しで送り返そうとすると、ほぼ間違いなくまったく見知らぬ別の異世界へ飛ぶことになるでしょうね」


 住所みたいなものだなと解釈するのと同時に、そりゃ当たり前かと納得した。


「その座標ってのは、どこに?」


「ケントさんを召喚した人物が知っている、もしくはどこかに書き留めて保管していると思いますよ。忘れていたり、紛失している可能性もありますが」


 いや、魔王軍との戦争が終わったら帰してくれると約束したのだから、どこかに保管してあるはずだ。もちろん、その約束が嘘でなければの話だが。


「元の世界に帰るためには、もう一度城に戻る必要があるってわけか……」


 戦場から逃げ出した脱走兵である健人には、無理難題も甚だしかった。


 話している間にも、二人は採集地点へと到着した。その場で屈んだドクトルが、手の平大の草を手に取って見せてくる。


「これがペペナ草です。できるだけ多く採集して、この麻袋に詰めてください。仮に間違った雑草を入れても、後で私が検分するので大丈夫ですよ。ああそれと、あまり私から離れないでくださいね」


 最後の言葉だけは十分に肝へと銘じ、薬草の採集を開始した。


 作業中は特に会話もなく、黙々と進んでいく。お互い背を向けることはあっても、茂みを隔てたりはせず、振り向けば常に視界に入る場所で薬草を集めていった。


 すぐ側にドクトルがいる。その安心感が、油断を招いた。


 突然、耳元で声がしたのだ。


「貴方のお名前は?」


 息が吹きかけられるような囁きに背中を震わせるも、不思議と驚くことはなかった。この場には自分とドクトルしかいないのだ。悪戯か何かかと思いつつ、健人は振り向きざまに素直に答えた。


「さっきも名乗ったけど、俺の名前は笹岡健人……」


 しかし言葉は続かなかった。なぜなら彼女は数歩離れた場所で薬草の採集に勤しんでおり、しかもこちらに背中を向けていたからだ。とてもじゃないが囁きが届く距離ではないし、あそこまで移動できる時間的余裕などなかったはず。


「…………」


 幻聴か? と思いつつ、健人はドクトルの背中をじっと見つめる。


 彼の視線による圧力を感じ取ったのか、ドクトルが振り返った。


「……? ケントさん、どうかしましたか?」


「いや……」


 盗み見ていたことに後ろめたさを抱いた健人は、すぐに口を閉じてしまった。まあ、本当に気のせいだったのだろう。そう思い込むことにして、健人は再び薬草の採集に集中し始めたのだった。


 麻袋が一杯になったところで、二人は沢へと移動した。


 近づいていくと徐々に水の流れる音が聞こえ始め、空気に湿気が混じっていく。茂みをかき分けた先は、目的の沢。ごつごつした大きな岩が多いものの、急な斜面ではないので流れは非常に穏やかだった。


 良い感じに水しぶきを孕んだ空気が顔へと触れ、薬草採集の疲れを癒してくれるよう。だが何より健人が驚いたのは、その水質だった。


「水の透き通り具合が半端ないな」


 流水だから水があると判断できるが、水たまりだったら触れてみるまでは分からないと思ってしまうほどだった。


「山の湧水がそのまま流れて来ていますからね。ケントさんの世界では違うのですか?」


「いや、俺の世界でも同じだよ。場所によっては、これくらい綺麗な水が流れてる沢もあるんだろうけど……俺は直に見たことはないな」


 言いながらも、バケツを置いた健人は沢の水を手で掬って口にした。


 失った水分を補うかのように、心地の良い冷たさが全身に染み渡る。あぁ、この感覚は真夏の運動後に水道水を口にした時と似ているな。と、懐かしい思い出のように、つい一ヶ月前を懐古していた健人だったが……その行為を見ていたドクトルが、大きく目を見開いて驚きの声を上げた。


「ケ、ケントさん! 何やってるんですか!? そのまま飲むとお腹壊しますよ!」


「えぇ!? 飲み水を汲みに来たんじゃないの!?」


「それは除去魔法で消毒してからです」


 勇み足だった自分に、ちょっとだけ恥ずかしくなった。


 それから両手のバケツ一杯に水を汲み、来た道を辿って家へと戻る。量的にも、あと何往復かするらしい。今は召喚時に身体能力三倍の効果が付与されているとはいえ、水の入ったバケツを持って森の中をひたすら歩くのは、なかなかしんどいものがあった。


 というか、身体能力三倍はあくまでも被召喚者の健人だけである。この世界の人間は、健人の住んでいた世界の人間とさほど身体能力の差が無いはずなのだが。


「ドクトルさんって、一人でこれをやってたんだよね?」


「私一人なら雨水の貯水だけで十分でしたので」


「ああ、そうか。魔法で消毒するなら、雨水も沢の水も関係ないか」


「それに私が運ぶ時は反重力魔法で重さを軽減しますので、腕力はあまり関係ありません」


「なんと。それなら俺のバケツにも魔法をかけてくれればいいのに」


「反重力魔法は、常に自分で持っていないと効果が出ないんですよ。それに得意でもない魔法を使うと、それだけ私も疲れるんです。自分の飲み水なんですから、ケントさんは頑張って運んでください」


 なるほど、体力を魔力で補っているのか。などと感心している間にも、「ふふっ」と悪戯な笑みを見せたドクトルが早足で行ってしまった。


 不意に見せた年相応の笑顔、かつ人形のような無機質な表情とのギャップに目を剥いた健人は、立ち止まってしまうほど彼女に見惚れていた……かったのだが、この状況はマズいということに気づく。ドクトルと離れてしまっては、いつ魔獣に襲われるか分かったもんじゃない。


 反重力魔法とやらもそうだが、魔獣を追い払えるくらいの魔法は早く覚えた方がいいなと思った健人は、慌てて彼女の背中を追ったのだった。

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