参 『依頼』





 3.



 屯所に着くと、待ちかまえていたカシムが商談部屋へふたりを通した。

 簡素な応接間では既にひとりの男が椅子に座っていて、遅れて入室してきた慈雨たちを切迫した様子もなく振り返った。


「お待たせしました。彼らが当互助会ギルド一押しの便利屋、廻慈雨と邪堂院ルツの二人組です。はっきり申し上げて、腕利きですよ。あなたが御指名になられたのはこのふたりで間違いありませんね?」

「はい。お噂は存じ上げています。おふたりの評判はこちらのオアシスでも上々ですから。ああ、挨拶が遅くなって申し訳ありません。私は倚水いすい留一、千葉電脳砦の陽風化成……弊社の名前くらいは知っているでしょう? その応用科学部の主幹研究員を務めています」


 知っているもなにも陽風化成は北関東オアシス経済の要である軍需産業を中心とした一大企業。いささかここには場違いな社名を聞いて慈雨とルツは顔を見合わせた。

 差し出された名刺は穿孔パンチカードになっており、カシムがそれを解析機関に読み込ませる。白い壁面に倚水の基本情報が投影された。経歴は問題なし。この男は驚くほどに潔白かつ優等だった。


「へー、すごい。陽風化成っていえば一流企業じゃない。慈雨だって装備いくつか持ってるもんねぇ? で、そのお偉いさんがボクらになんの用なのさ?」


 ルツがいつもの軽薄な調子で振る舞い、挑発的な笑みを浮かべて先を促す。


「まずはおまえらも座りな。本題はそれからだろうが」


 カシムが促し、慈雨たちも男の向かい側の長椅子に腰掛けた。

 慈雨は改めて相手の男――倚水をそっと観察する。

 すっきりとしたシャツに涼しげな砂漠仕様背広のズボン。こういう恰好の人間はドーム周辺地帯ではなく、オアシスの中にいるものだろう。僅かに日焼けした顔つきはあっさりとして理知的であり、ルツより年上でカシムより年下――中年というにはまだ若いくらいだ。柔和な輪郭をしているものの、瞳は老弧のように鋭く、なんだか煮ても焼いても食えぬといった印象だ。


「……ルツの言う通り、わたしも依頼の内容をまずはお伺いしたい」

「慈雨さん、とお呼びしてもよろしいですか?」


 慈雨が頷くと、倚水は「では」と前置きし、すうっと目を細めた。


「あなた方は世界中で起こっている赤い風の原因をご存知でしょうか?」


 赤い風――数百年前に前文明を崩壊させた赤い砂嵐。特殊な磁場を発生させ、電気製品やコンピュータの類を全て稼働不能にしてしまう微粒子を含む風である。ただし、赤い風そのものについての正体は殆ど明らかにされていない。


「……きっかけは隕石衝突によるものだったとしか。隕石が南極大陸に落下したその時から赤い風が吹き始め、人類が築いた電子機器に依る超文明を退化させた、と」

「そも、ボクら一般人が知ることができる情報のレベルなんかたかが知れてるしぃ?」

「大丈夫、概ねはそれですべてですよ。赤い風の原因となる隕石落下――約三〇〇年前の天体衝突はユーフロリア彗星のダストトレイルが地球の公転軌道と交差した際に起きたといわれています。そしてあの赤い風それ自体がなんなのかは、未だに解明できていないのですから」

「へえ。それじゃ、その彗星についてはどうなんだい? 赤い風のこと分からないとキミは今言ったけどさ。隕石については何かつかんでいるんじゃないの?」


 ルツが意地悪く微笑んで言葉を突きつけても、倚水の表情は変わらなかった。


「さすがですね。ご指摘の通り、我々は大陸に衝突した隕石、というか彗星それ自体についての情報を少しだけ掴んでいるのです。今回の依頼はこの件に関わることです」

「!」

「前文明――暗黒時代には、天体に含まれる有機分子の探索が行われていました。彗星や隕石が地球へ生命の前駆物質……あるいは生命それ自体さえも運んできたのではないかと推測されていたからです」

「――巨いなる沸き立つ尾より振るえては、あまたの珠玉に潤いを甦らせる。その長き楕円の風の吹くところ、傾く太陽に新たな燃料を与える。星界を照らすがため天空の火を養う」


 謡うようにルツの唇から節句が紡がれる。慈雨が向ける視線に気が付いているのか、ルツは「ジェームズ・トムソンの四季。大昔の詩さ」とだけ答える。倚水はよろしい、というように頷いた。


「それでは、前文明の物理学者フリーマン・ダイソン氏のことはご存知かな」

「……ダイソン・ツリー、か。ダイソン博士は彗星上で成長可能な遺伝子組み換え植物で星を覆い、宇宙空間でも太陽エネルギーと彗星の資源を利用して呼吸に適した大気を生産することを提案していた。それにより、外部太陽系に人類の植民地を供給できるとした仮説を唱えていたんだよね。環境悪化が深刻化していたかつての暗黒時代、宇宙開発事業は人類にとって最後の砦となるはずだったというけれど、それが実現されることはなく前文明は滅び、退化してしまった」

 ルツはやや遠くを観る目をして、なんでもない世間話をするように語った。

「でも、それがなんなの? まさか……」

「そうさ。地球に衝突し、赤い風を巻き起こした隕石。それはおそらくダイソン博士の提案を元に当時の企業が進めていた秘密の天体実験場の一部だった……ちがう?」


 ルツと慈雨が視線で促すが、倚水は肯定も否定もしないまま、口を開いた。


「つい最近、三多摩オアシス連合領域の地下――第四竜骨都市第三五番地下都市遺跡二○五坑道で新たな発見がありました。どうやら暗黒時代の研究施設らしき区域が残されており、そこに遺伝子組み換え植物のサンプルが残されているかもしれない。あるいは、なんらかの実験成果が保存されている可能性が高いというのです。遭難するうち偶然そこに辿りついたという探索者は、残念ながら成果を持ち帰ることができなかったのですがね……。今回はその証拠を貴女方に採取してきていただきたいのです」

「そんなこと、が……?」


 明らかにされた依頼内容の全貌に、慈雨は呼吸も忘れて茫然とした。ただし、たった数秒のことであったが。

 大昔の実験植物のサンプルを採取する?

 ……果たしてそんなことが可能なのだろうか。

 問題は二つ。にわかに実在を信じられないということと、倚水の口から語られた場所だ。

 第四竜骨都市第三五番地下都市遺跡。

 慈雨たちが暮らす積層都市を含め、広域多摩オアシスの下には前文明の遺物である地下迷宮が広がっている。

 複雑怪奇な形に張り巡らされたダンジョンである地下都市遺跡や地下道は数多の遺産が眠る場所であり、多くの探索者がサルベージに挑んでいる。しかし件の場所はこの近辺ではもっとも複雑で危険とされている箇所なのだ。落盤落石、地下生物に汚染物質。常に未知の危険が付き纏う魔窟と呼ぶにふさわしい未踏地帯。


「なるほどね。キミらが自分で目的を果たせないのは、場所のせいか。まさか対立する都市の真下に堂々と兵士を派遣するなんて大それた侵略行為はできないからねぇ。だから金で動く便利屋であるボクらに内緒でその肩代わりさせようって魂胆だ」


 ルツの指摘に倚水はただ肩を竦めて見せるだけだった。

 概ねはルツの言う通りで間違いない。陽風化成――あるいは千葉砦の者たちは途方もないことをしようとしているのかもしれない。だが、サンプルひとつで明らかになる真実も技術も沢山あるのだろう。

 それに――どの道答えはもう決まっている。


「もちろん、報酬は弾みますよ。それに――」

「わかっている。わたしは報酬の他にもうひとつ、見返りがほしい」


 慈雨はここぞというときを見計らい、よく通る声で倚水の言葉を遮った。


「陽風化成は医療部門の研究も盛んだと聞く。わたしはあなた方の持つ砂塵肺に関するあらゆるデータが欲しい。この条件が可能なら、依頼を受諾します」

「……いいでしょう。あくまで個人のツテですが、医薬部門の同僚が何人かはいます。砂塵肺に関する有効な治療法はいまだ研究中ですが、できるだけの手は回します。もちろん契約条項の記録符に残してお約束しますよ」


 慈雨は頷き、差し出された記録符に手を伸ばす。


「待って!」


ルツが声を荒げて遮ったのはその時だった。


「ふざけないでよ、慈雨。こんな依頼、キミが受ける必要などない。なにがどうあれ、大昔の植物の遺伝子サンプルだなんてありっこないさ。地下迷宮の目的地だって難攻不落の危険エリアだ。こんな話、でっちあげもいいところだよ」

「ルツ、わたしは決めた。依頼は受ける。ルツが口を出す権限はない」

「慈雨――!」

「依頼書をこちらに」


 慈雨は契約内容が記された記録符を受け取り、そのまま躊躇うことなく所定の箇所に親指の腹を押しつけた。超微細な針が皮膚を傷つけ、溢れ出た血の一滴が記録符に刻まれた紋様を描き出す。かくして慈雨と倚水の契約は成立した。

 カシムが冷や汗を垂らして溜息をつく。


「慈雨ちゃんもまた肝が据わってるつーか、こんなバカでけえ依頼をポンと引き受けちまうたァ……見ているこっちが怖くなるね」

「仲介料あてにしてたくせによく言うよ」

「それを言われちゃあかなわないねェ」


 ルツはもう何も言ってこない。

 仕方ない。こうなることはわかっていたんだ。慈雨は手のひらを膝の上できゅっと握った。爪が食いこんで痛かった。

 それを知ってか知らずか、倚水はどこか底知れぬ微笑みを浮かべて席を立った。


「では、準備を整え次第探索に出ていただくということで。よろしくお願いしますよ、廻慈雨さん」




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