弐 『abnormality』
2.
西多摩オアシスドーム周辺バラック街。
資源の残された地域を囲うように城壁が聳え、都市の中枢は赤い風から厳重に遮蔽されている。オアシスにはあらゆる物資や情報、そして人間が集まる。したがってその周辺部も自ずと賑わい、砦を囲む同心円状に市が立つようになっていた。
鏢局の詰め所や
「新規の依頼ってどんなだろうねぇ?」
「どうせろくな話じゃないことはたしか。わたしもお昼にしようと思うけど、ルツは何が食べたい? 買って来るからカラッパで待ってて――」
「慈雨~、今日はなんだかボクも街で飲みたい気分なんだよねぇ」
「それはつまり……ついてきたいの?」
「うん。もちろんキミがいいならだけどね。慈雨が嫌なら強制しないし、させたくないから」
「え、と……い、いやじゃない……けど、ああ……あの恰好になるのか……」
がっくりうなだれる慈雨と、対して無邪気なにこにこ笑顔のルツ。
慈雨は陰鬱な面持ちで竜骨市骸区への入来制限に合わせて装備条件を整え始めた。めいめいが準備を終えると、二人は城壁周辺の雑踏に足を踏み入れた。
§
すれ違う人々が次々振り返り、二人に視線を注いで足を止める。女性のうっとりとした溜息や熱い眼差し、男性の好色な視線やざわめきを慈雨もはっきりと感じ取っていた。
視るものの魂を蕩かしかねない婀娜な美貌のルツと、無垢なる天使をこの世に降臨させたかのような天真爛漫な容貌の慈雨。ふたりの容姿はそれぞれに人目を引くが、一緒に歩くと別の理由もあいまってより多くの注目を浴びた。
なぜなら――、
「うぅ、恥ずかしい……ほらっ、もっときりきり歩け! ルツのばかっ!」
「あんっ! 女王さまァ、もっとォォ!」
「うッひゃっ!? や、やめてストップ! お願いだからそれ以上ノリよくふざけないで! SM館の女王様とド変態犬畜生だと思われちゃうじゃない!」
「え? ……や、それはもうだいぶ手遅れじゃないかなァ? ボクらいっつもこれでオアシス歩かなきゃならないんだし」
――聖女のような慈雨がぴっちりとした砂漠用合成特殊繊維服姿で鋼鉄製の
「それじゃルツは気配をなるべく殺して歩いてよ! どうせなら息を止めて、永遠に」
「あーひどいんだァ。でもそういうツンデレな慈雨がボクは心底愛しいよ」
「今のわたしの言動のどこにデレ要素があると思えるの?」
二人の姿はある種みせものめいており、鏢局のならず者たちや同業者、街ゆく一般人にとっての猥雑な出し物と化している。もっともルツは大悦びで自分の置かれた状況を愉しんでいるのだが。
「ああああ、みないでみないでみないでぇ」
「もう諦めて一緒に楽しもうよ、慈雨。これがキミの選んだ日常なんだからさ」
「そんなこと絶対に認めない! 認めたくないっ!」
好奇、羨望、色欲。けして居心地のよくない類の衆目に晒されて街を歩く。こんなものが自分の日常であると慈雨は断じて信じたくなかった。だから諦める気などない。ルツとの負の現状が日常でありつづけるなどとは。
東京大都市圏地下迷宮での殺人八十二件、獄中殺人三十四件、看守を五人も殺害した上、その他の証明されていない余罪は多数。ルツは通常なら
「邪堂院ルツ」
「……あれが迷宮殺人鬼だと」
「オレのオジキもあいつに!」
「あんな顔して連続殺人だなんて、ぞっとするねぇ」
「目を合わすと孕むって」
「あいつァ人間じゃねえ」
「悪魔だ」
「淫魔の間違いだろうが」
これみよがしに囁かれる悪口雑言。慈雨は口元を引き結んだままで歩き続けた。
……ルツを見せものにしているのはこのわたしだ。
慈雨は自分自身が彼を率先して見せびらかしているようで嫌だった。いいようにルツとルツの罪を利用し、まるで本物の奴隷のように扱っている気がして。
特A級ランクの便利屋である慈雨は、西多摩オアシスから認められた特権として、業務の遂行に必要な場合には相棒を任命することを許可されていた。それがたとえどのような身分の者であっても、だ。
慈雨はその特権をフル活用し、当時〈永劫炉〉に幽閉されていた悪名高き迷宮連続殺人犯――探索者にして
ふたりは通りの中ほどにある古い建物の自在扉をくぐると、目移りすることなくカウンター隅の空席に並んで座った。開口一番、ルツが「とりあえずナマ!」と朗らかな声で注文し、慈雨が「それといつもの」と付け足した。
「あいよ」
すぐにグラスがふたつ差し出され、新鮮な天然水・
生水BAR〈
「ぷっはぁ――ッ! くううぅッ、仕事のあとの一杯がたまんないんだよねぇ」
「無意味に無駄にうるさいよ。あとルツは主に頭使っただけでしょ」
「ふふ、ツンツンしながらお水を飲む慈雨はいつにもまして可愛いよ」
「……ルツは何をしていてもいつも通り気色わるい」
手枷をじゃらじゃら鳴らし、これ見よがしに寛ぐルツを目にするや、何人かが乱暴に席を立つ。
「人殺し」
「民間刑務所のクソ虫野郎が」
「囚人なんざ連れ込みやがって」
「けっ、飯がまずくならあ!」
慈雨は殺気の籠った目で男どもを睨めつけた。向こうは途端に目を逸らして急ぎ足で店から出て行く。慈雨と関わり合いになりたくないのは一目瞭然。当たり前だ。こちらは腕利きの便利屋である。暴力では勝ち目がないとみたのだろう。慈雨が鼻を鳴らすと、隣に座ったルツが淡く微笑む。
裏腹に、バラック街の宿で春を
……でも、そんなことをすればルツは自分から離れて行ってしまうのではないか。そう思うと、慈雨はどうしても身動きが取れなくなってしまうのだ。誰だって、こんな強情娘より美しくて愛想のよい女の子のほうが好みだろう。変態犬畜生のルツだって、きっとそうに違いない。
「はいよ、いつものね!」
「慈雨、ゴハンきたよ。どうしたの?」
「……なんでもない。いただきます」
結局、そっけなく答えることしかできない。
慈雨はそのまま運ばれてきた料理に手を付けた。ルツもそれにならって、というか元から腹が減っていたのだろう――ふたりはしばらく無言で遅めの昼食にありついた。
いつもの。海の向こうの緋酒に、店主秘伝のタレで煮込まれた砂肝。これはルツのお気に入り。ライムを添えたソーダ水、蜂蜜と芥子を混ぜた特製ソースに鶏肉を漬け込み、こんがりとソテーした一品。付け合わせのライ麦パン。こっちが慈雨にとっての定番だ。
都市と都市が分断された物資の乏しい環境において、これらの飯にありつける慈雨たちはどう考えたって恵まれているのだろう。それも自分たちの腕っ節で勝ち取ったものではあるのだが。
「よう、お二人さん。邪魔するよ」
投げかけられた声に振り向けば、背後の席に一人の男が座ったところだった。淀んだ瞳に無精ひげ、耐熱日傘に襤褸を纏った中年男。見るからに怪しく、胡散臭い男だ。だが、この男こそ便利屋互助会で慈雨に依頼を斡旋する世話役、洗堰カシムである。先に昼食を済ませていたカシムはわざわざ二人に話をするため店を訪れたのだ。ここは慈雨たちの行きつけだから、すぐに見当がついたのだろう。
「おつかれさまだな、慈雨ちゃん。今朝はまた大活躍だったそうじゃねえか」
「べつに。風向きがよかっただけだ。それよりもカシムが自分から話しに来るなんて、よっぽどだいじな依頼がきているってことね」
慈雨の指摘に、カシムはにやりと口元を歪めた。互助会にとっても美味しい話なのだろう。大きな依頼は仲介料もたんまり入る。ただし、それだけにリスクも大きい。ここは用心して話を聞くべきだ。慈雨はいつものように唇をきゅっと引き結んだ。
「……それで? わたしたちに持ち込まれた依頼とは?」
「それが残念ながらここじゃ話せねえつーか、細かいことは依頼主が直接話すっつうのさ。もちろん、依頼は慈雨ちゃんたちを名指しで入ったもんだ」
「じゃあ、その依頼主は?」
慈雨が問うと、カシムはくつくつと不気味に笑声をもらした。おいしい話をもってきたと本人が思っているときの癖だ。
「依頼主は大企業の要人だとさ。それも多摩地区じゃねえ。千葉電脳砦の野郎だってんで、おれらもびっくり仰天しているところだよ」
「それは……つまり違う
「その通りさ」
慈雨も僅かに目を瞠る。カシムの話が本当であれば、これは相当重要な案件ということになる。内容次第では慈雨が所属するこの西多摩オアシスへの離反行為とみなされるだろう。
「ほんと、いつもながらカシムの持ってくる依頼って胡散臭いうえに厄介だよねぇ」
ルツまでが振り返り、横槍をいれてくる。ルツはその官能的な美貌を砂肝の秘伝ソースで汚していたが気にかけてすらない。慈雨はルツの存在自体を気にしないようにしながら、
「……だけど、単なる護送なら鏢局を雇えば事足りる。むしろそちらのほうが手堅く確実だ。ということはなにか探し物があるってことね?」
「慈雨ちゃんには敵わねえなァ。概ねはそれで正解さ。ただし、見つけた荷を届けるまでが仕事になるだろう。どちらにしろ受けるかどうかは先方の話を聞いてから決めてくれ。さて、昼飯はそのくらいでいいだろ? 依頼主さまが事務所で慈雨ちゃんたちを待っている頃合いだよ」
用件を伝えるとカシムは先に屯所へ行くと言って店から出ていった。カシムだってカシムなりに忙しい身分なのだ。それでも出向いてきたからには、やはりこれは相当な重要案件なのだろう。慈雨も会計を済ませ、ルツと共に来た道を引き返す。
「慈雨。さっきの依頼、どうする気?」
「わからない。というより、決めていない」
「へえ、迷ってるんだ? めずらしいねぇ」
「……そういうルツも、なんだか乗り気じゃなさそうね」
「だって、カシムの持ってくる依頼はさ、なんだかんだで荒事ばっかじゃん? まあ、ボクはそれだって楽しいけどね? でもね、慈雨。ボクはいつでもキミのことが一番気掛かりなんだよ」
手錠や帯で身体を拘束されていてもルツの足取りは軽い。彼はいつもどこかふわふわとして夢見心地だ。軽薄なその態度が気に入らず、慈雨はぐいと鎖を引っ張るが、ルツはさして気にする様子もみせない。
……今のはちょっと意地悪すぎたかもしれない。
慈雨はそっとルツの服に繋がれた拘束具を緩めてやった。ルツが気がついたかどうかは知らない。
「……ばか。なんなの、いきなり……」
「そりゃあ、ボクは慈雨にとっては一生で出会う五万といる男どものうちの一匹かもしんないけどさ? ボクには慈雨、キミしかいない。ボクの命は文字通りキミのものさ。キミでなきゃありえないんだよ。ね、この意味、わかるでしょう? 慈雨」
淡く微笑んでいても、ルツの眼差しは真剣そのもの。
大きな青い瞳。かつて人類が見ていた空の色でさえ、きっとこんなに澄んではいなかったに違いない。雨上がりの空のように温かく、遠い昔に一度見たきりの海のように穏やかな青。思わず飛び込んで、全て委ねたくなる。ぜんぶ奪ってしまいたくなる色だ。
――……最悪だ。ルツのくせに、ずるい。結局、わたしはいつだってこの瞳に絆されてしまうんだ。
「っておまえはどこを触っていきゃわぁっ!? ちょっと胸を鷲掴みにしないでよっ! ふぬぅうううぅぅ! なんで縛られた手でそういう動きができるの!」
「愛の・力だよォォッ!」
「とてもきもちわるい!」
「だって慈雨あきらかに食前よりおっぱいのかさが増えてるでしょう? 食後の運動が必要かと思って! いや必要だ、必要にきまってる! ボクに任せてくれたら二キログラムはしっかり減らしてあげるよっ! もちろん胸以外をこう、バッチリね!」
「に、二キロも!? ……って意味のわからない判定をしないでよっ! こらっいい加減離せ、これ以上遅れたらカシムが不審がるだろうがっ」
「ぐ、ぐっ、ぐざり、首の鎖を思い切り引っ張りながら言ばれでもぉ……ッ」
言葉と体でぐいぐい押し合いながら、ふたりは依頼人が待つという互助会屯所へ道を急いだ。昼食で膨れた腹は、こうしたいつものやりとりによって良い具合にこなされたのだった。
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