辰砂のミーティア
津島修嗣
壱 『便利屋・廻商会』
1.
赤い砂漠に
不毛の荒野にたなびく砂埃は赤銅色。前文明の白き遺骸を血煙が引き裂いていくような光景はどこまでも冒涜的だ。
晴天。夜が明けた後の灼熱地獄。
先頭を行くのは禍々しい鋼鉄のビッグフット4WDモンスタートラック。続くのは強奪した給水タンクを繋げた武装型特殊牽引自動車。最後尾には轢殺仕様改造型装甲ジープが二台張り付いている。どれも鋼鉄の破城槌を車両化したような、雄々しく獰猛な形の車であった。そのはるか後方では商隊のトレーラーが大破、炎上している。
混沌、狂気、破壊。
まるで世紀末さながらの光景だが、まさに世は黄昏――退廃の日々の只中にあった。
数百年前。
南極大陸 に巨大な隕石が落下した時期を境に、〈赤い風〉とよばれる現象が世界中で起こり始めた。
赤い風に含まれる特殊な微粒子はあらゆる電子機器に影響を及ぼし、その動作をことごとく妨害した。
しかし、中には諦めることすら諦めた往生際の悪い者たちもいる。そしてそれが時として性質の悪さを発揮するのだ。
「ひゃァははははっ!」
「最高に気持ちがいいぜ!」
「見たかよ、あのけちな装甲」
「撃ち抜いたのは俺だぞ? 見てたろオマエ!」
赤い風を切って進む賊どもの下卑た哄笑が響く。
前文明の墓標が連なる異形の
ただし――異形は彼らだけではなかった。日陰を選んで走っているせいで、男どもは影の中に隠されたもうひとつの異形、その輪郭に気づくことができなかった。
「……なんだ?」
それでも、しんがりのジープに乗っていた男の一人が辺りを見回す。彼だけは何かの気配、あるいは予兆を感じ取ったのかもしれない。しかし、もう遅い。
――――がぎんっ!
小型戦車並の大きさはあろうかという大蟹――トラフカラッパが突如彼らの頭上から降ってきた。
尻を蹴飛ばし体を浮かせる衝撃に男どもがうろたえる。
「なんだァッ!? なにが起きやがったっ!?」
恐ろしい速さで四対八脚の歩脚が駆動し、あっという間にしんがりのジープを間合いに捉えた。ここでようやく事態を把握した先導車から悲鳴が上がる。
「あれは……」
「追手かよ!」
「ふりきれぇ!」
「だめだぁぁ! 逃げろ、スピードを上げるんだっ!」
しかし、混沌と狂気の砂漠においては力が全て。
改造車両の棘付き装甲を物ともせずにカラッパが圧し掛かり、無数の脚で車体をくしゃりと握り潰す。さらに一対の大鋏をふるい、缶切りの要領で車の天井を捲り上げる。車内の賊二人は幸か不幸か無事である。
「大蟹のバケモンだぁ! ぎゃぁああ、喰われるぁっ!」
「ばかっ、こりゃあ甲冑だろうがっ!?」
そう、この大蟹は生き物ではない。
ストームカラッパ。
二人乗りの
カラッパは無慈悲に男どもを放りだすと、車体を蹴飛ばし転がした。背後で爆発。
そのまま砂上をジグザグ走行し、真ん中を走行していたトレーラーに肉薄。コミカルな動きで両手を振るい、右鋏で牽引部を断ち切った。我に返った賊どもによって機銃が掃射されてもびくともしない。着弾した銃弾がちゅいん!と音をたてて砂色の甲殻に弾き返される。ジョイントが外され、大きく傾いたコンテナを両の鋏が器用に支えた。
「くそっ、ロケットランチャーだ! 早く!」
「早くったって――」
ぎ、ぎぎ、ぎぎぎ、ぎちちちち。
不気味な音をたててカラッパ大顎に取り付けられた砲身が頭をもたげ、照準を合わせた。
『いまだ! てェッ!』
凛とした合図とともに発射された砲弾が最前方のモンスタートラックを撃ち抜く。
爆轟。炎上。
残るは身ぐるみ剥がされたトレーラーとジープが一台。
『――外に出るわ! 積み荷は任せる』
『了解。ご武運を、ってのはキミには余計だね』
甲殻部中央のハッチが開くと、ヘルメットに
そいつは当たり前のように銃弾を躱し――否、元より当たらぬことを予期した動きで走り抜け、ふわりとタンクの上に着地。荒くれどもの成果物の上を転がり、ジープへ近づく。
「もうカタはついた。これ以上かわいい愛車を潰されたくないなら止まりな!」
ヘルメット越しにも良く響く舌足らずなボーイソプラノ。
「うるせぇっ、止まれと言われてだぁれが止まるか!」
「あっそ。ならば――」
一方でストームカラッパも動き続けている。大蟹は両手の鋏でコンテナを抱えると、退避行動に移る。その動きはおそろしく迅速だった。
一瞬の隙をつくと、カラッパの女はライフルでジープの車輪を撃ち抜いた。自らのエンジンの負荷に耐えられず、車両は大きくバランスを崩して走行不能に陥った。
女はそこへ向かって一気に走り込んでゆく。赤い砂を巻き上げ、脚を取られもせずに。ともすれば無謀だが、洗練された獰猛な動きだった。一拍遅れてトラックから飛び降りた男が襲いかかる――が、体格差をものともせずに抑え込み、銃をつきつける。
彼らの背後にはいつの間にやらストームカラッパが回りこんでいる。
「……さて、どうする?」
かくて、たったひとりの女と大蟹の活躍により、盗賊団・蛭間一家は半刻とかからず制圧されたのだった。
§
「よし。手配書通り、全員いるな」
合わせて九人。砂上の大岩を囲むように窃盗団の賊どもが並んで座らされている。
彼らの手足はがっちりと拘束帯で引き結ばれており、逃走は元より身動きさえろくに取れない恰好にされていた。ちなみに、怪我人はいるが重傷者は出ていない。
小銃を構えた
「これで終わりだ。あんたらのことはじきに三多摩オアシス連合軍が回収にくる。運が良ければね」
「わ、悪ければ……?」
迂闊な下っ端が愚問を発するのを誰も止められはしなかった。
慈雨が眉根を寄せ、口の端を歪めて全員を睥睨すると、賊たちは皆一様に沈黙した。ヘルメットを被っていては表情もなにも分からぬ筈だが、外に漏れ出る慈雨の殺気を感じ取ったらしい。
「ほぼ間違いなくおまえらはここでカラカラに干からびて死ぬ。ちなみにここらの地下都市遺跡は掘り尽くされているから、めったに人や車は通らない」
「ひ、ひぃぃいぃっ!」
「ばかっ妙なこと聞くんじゃねえ!」
「かあちゃん」
「鬼、悪魔ァ!」
「うう……」
「くそったれがぁ!」
「おまえら血も涙もないのかよぉっ!?」
悲鳴と怒号が飛び交う。慈雨はことごとく無視して踵を返すと、探索用ヘルメットを脱ぎ、白金の髪を熱風に靡かせた。露になったのは聖女のように可憐な相貌。
年端もいかぬ少女の凛とした美貌に、しかし賊どもはさらに震えあがった。慈雨の桃色の眼が不機嫌そうにつり上がる。唇はもとからへの字に引き結ばれていた。
「どでかい蟹に凶暴な白髪の小娘……っ! オマエ廻とかいう便利屋かっ!? くっそ、やられた……こいつら最初から商隊を囮にしておれらをつけてやがったんだ」
「ふうん。キミら、自分の首級の価値をわかってやってたんだ。案外タチわるーい、そのくせ脇が甘いなんてさらに頭が悪ぅい♪」
ストームカラッパの開口部から人間に化けた淫魔のような美貌がのぞいて、暴言を吐いた。卑猥なまでに形の整った色艶の良い唇が毒気たっぷりに弧を描く。
そいつが熱探・望遠用のゴーグルを外すと、男どもが揃いもそろって「おぉ……」と低くどよめき生唾を飲んだ。
黒いノースリーブ丈簡易
「泥棒ひげ、まぬけづら、見かけ倒しの巨漢。もうちょっと意外性のある盗賊っていないわけぇ?」
「うわぁ! 出た、
「ひとのこと指さして淫魔だなんて失礼だなァ。っていうか慈雨、ボクら変な認識のされ方してるような気がするんだけどぉ?」
「主にルツのせいだから、存分に気にして」
うっかりものの下っ端が「どっちでもいいから抱かれてェ……」と漏らしたのを横で縛られている男が小突いて黙らせる。
「……総じて手配書よりむさ苦しくて臭そう。うん、よし。慈雨、決まりだよ。やっぱ全員ここに置いて帰ろう」
「それには同意」
廻慈雨と邪堂院ルツのコンビは砂漠の厄介事を引き受ける便利屋だ。かつてはカントウ地方と呼ばれていたこの旧東京大砂漠においてもそこそこ有名な二人組である。
そんな彼らが今回引き受けた依頼は、多摩砂漠を拠点に輸送隊やオアシスの給水車を狙う蛭間一家を拿捕してほしいというものだった。そのためわざと装備を手薄にした囮を放ったところ、まんまと標的が喰いついたという経緯だ。
このような荒事を引き受ける業者は彼らのほかにも少なからず存在している。
商隊の護衛から保険業務までを引き受ける
文明の衰退しかかった終末世界だからこそ、本来無頼漢である彼らが頼れる存在となっていた。
「ルツ、積み荷の照合は済んだ?」
「概ね無事かな。二次被害は最小限に抑えられたよ。コンテナはこのまま給水所まで牽引輸送していける」
「そうか」
慈雨はよかったとはいわない。自分たちに依頼が来るような出来事など、そもそも起きないほうがいいのだから。
コンテナをカラッパに繋ぐと、慈雨はコックピットにちょこんと飛び乗る。この大蟹は彼女が師から受け継いだ大切な甲冑であり、家族同然の存在である。
ルツはすでに後部座席へと移動していた。出発の準備はとっくに整っている。
「出して。帰りの操縦は任せる」
「それじゃ、紳士の皆様。ボクらが地獄に行くまで、しばしのお別れだねぇ?」
ルツはうやうやしく右手を胸に下ろして舞台風の気取った挨拶をした。怒号と悲鳴が半分半分。容赦なくハッチが閉まる。
ちゅみーん、と音をたててカラッパと連結された熱探・望遠ゴーグルが起動する。
「ん、帰りもボクが操縦するの? 残念だなァ。せっかくの特等席なのに、最高の眺めを堪能できないなんて」
「……眺め? ひたすら砂と空しか見えないのに?」
「もちろん、後ろの席からだと慈雨が立ち漕ぎしたときの小ぶりなお尻やカラッパが走るたびにばいんばいんになるおっぱいとかが見えぼぶしっ!」
慈雨の上半身を抱きしめようと身を乗り出したルツの顎を、即座につま先立ちで応戦した少女の後頭部が直撃する。ルツが舌を噛んだ感触を自らの石頭で確認しても、慈雨の怒りは収まらない。それでもルツは自らの変態性を恥じることなく、ぎゅ、と慈雨の体を背後から包み込んだ。
「はーいい匂い……充電、充電っと」
ルツはわざと唇や鼻先で慈雨の首筋をくすぐりながら深く息を吸う。慈雨は呼吸の気配につい笑い出しそうになるのを堪えた。
心地よくなんかないし、楽しくない。今のわたしは怒っているんだから。ルツの都合のいいように毎回絆されていては困るのだ。
慈雨は口元をきゅっと引き締め、懸命にいつもの仏頂面を保とうとした。
「い、今嗅いでも汗臭いだけだしっ! ばかじゃないの。ほら、はやく出発する。昼にはオアシスに戻りたいから」
「はーい。いいもん、帰ってからゆっくりじっくりたっぷり触らしてもらうんだから」
「先代の使っていた木人を貸してあげるから我慢しろ。それなら煮るなり焼くなり挿れたり出したりしていいから」
「木人って実際物理的に出し挿れできそうなのがセクシーだよね!」
「それって無機物に欲情してるの? ……きもちわるい」
軽口の応酬をしながらもルツはストームカラッパを起動し、発進させている。
水力/ディーゼル
ギアをオートに入れると、カラッパは自動歩行モードに切り替わり、西多摩郡骨喰都市遺跡の只中を渡っていく。ここら一体は数百年前に荒廃したきり、その都市構造が白骨化した砂上の墓標地帯である。
「暇だな。なんか音楽を掛けよう」
赤い風は電子機器を全ておじゃんにしてしまう。それに、ラジオ局の電波もここまでは届かない。だから慈雨は先代が積み込んだ電池式カセットデッキを愛用していた。
「ゴキゲンなのを頼むよ」
ルツの言うゴキゲンナンバーはかなり古い時代のものだ。だが、それが幸いしてか誰が編集したものかも分からぬカセットテープが役に立つ。
一曲目はDuran Duran “The Reflex”――慈雨もルツもそれがいつの音楽なのかを知らない。おそらく知る者は誰も生きてはいない。砂漠に堆積する赤い砂の深くに彼らは去ってしまったから。
だが、遅かれ早かれ行く先は皆同じ。文明は退廃の一途を辿り、今日も確実に人類は滅んでいる。しかしそれでも日々は続く。だからこそ、慈雨たちもこうして金を稼ぎ、一日一日を生きている。
「ねえ、ルツ――」
慈雨が他愛もないことを話し掛けようとしたその時だった。突如ルツが体を折って激しく咳き込んだ。
「ルツ!」
慌てて後部座席に上がろうとする慈雨をルツが強い視線で押しとどめた。そのまま口元を押さえ、ルツは何度も咳をした。
砂漠の劣悪な環境に長く晒されたためだろう。ルツは
「けほっ――は、ほんとやんなるよねぇ。慈雨の前なのに、かっこわる」
「かっこの問題じゃないでしょ! 渡した薬、ちゃんと打っていないのはわかってるんだから」
「あんなのたいして役にたちっこないさ。慈雨だって気づいてるでしょ」
「そんなこと……」
原因こそ赤い風だと特定されてはいるものの、赤い嵐それ自体の正体が不明であるため、砂塵肺はいまだ有効な治療法の確立されていない不治の病だ。
「……だいじょぶ、すぐ収まるし」
ようやく顔を上げたルツの口元も掌も赤く染まっていた。ただし、それは血によってではない。ルツの手指から、さらさらと赤い砂が零れた。それを誤魔化すようにルツは口元の砂も拭って、手から払い落した。
砂塵肺の主症状は人体の砂化である。病魔に侵されたルツの身体はその内外から少しずつ砂塵化し続けているのだ。
「早く戻ろう。お腹すいちゃったし、なによりはやく慈雨とエッチなことしてイチャラブしたいんだよ、ボクは」
「ルツ……いっそ肺と主に前頭葉の切除手術を受けた方が手っ取り早く色々なことが解決するんじゃないか? そうだ。そうしよう」
「あーあ、ひど~い。ちぇ、慈雨は病人にも厳しいんだもんなァ」
ルツはいつも大切なことをはぐらかしてばかりいる。そういうところが大嫌いなんだ。なによりその優しさに甘えて踏み込めない自分が憎い。
背後でルツの呼吸音が徐々に穏やかになってゆくのを感じながら、慈雨は思いを巡らせた。
慈雨だって本当はルツの病を治す方法をずっと探しているし、それが見つからなくて焦ってもいる。ルツにはいつだって馬鹿で元気でいて欲しかった。でも、そんな本音など告げられるわけがなかった。慈雨は強情で意地っ張りな自分の感情を持て余してもいた。
「……ルツ、あの」
「ん、なあに? 慈雨」
「なんでも、ない」
だから慈雨が言いたかった言葉もまた風の音と音楽に掻き消されてしまった。
その後、二人は取り返した荷を運び、輸送本体と合流して彼らを護衛。給水所まで無事辿りつくと報酬を受け取り、西多摩オアシスへと帰還した。
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