数寄者、陥落す

束白心吏

数寄者、陥落す

 ある日の帰り道のこと。

 特に何も考えず、北風の寒さに耐えながら一直線に家に向かっていた僕は、その道中の脇道で同じ高校の制服を着た存在を目ざとく見つけ、まるで引き付けられるように足を止めた。


「あれ、野枝のえ様?」

「んにゅ? あ、まこと君だ。やっほー」


 ギュッと黒い何かを抱えて、クラスメイトにして現人神もかくやと思わせる、蓬莱ほうらい野枝のえ様は笑顔で器用に右手を振る。


「野枝様は今帰り?」

「そだよー。誠君も?」

「そうだけど――「にゃ~」」


 僕が言い切る前に、野枝様の腕の中にいた黒い物体が顔を出して鳴いた。

 お、猫か。この辺りで見るのは珍しい。


「あぁ……」

「おー、こっちきた」


 興味を持ったのか、黒猫は野枝様の腕から飛び降りて僕の足にすり寄って来る。

 かがんで優しく撫でてやると、気持ちいいのか足を止めて地面に座り込み、もっと撫でろと催促するように尻尾で僕の足を叩いてきた。


「人なれしてるなぁ、家猫か?」

「……」


 答えの代わりと言わんばかりに気持ちよさげな唸り声を返した黒猫を更に撫でていると、細めていた目を開いてこちらに顔を向けてきた。

 おや珍しい……オッドアイの御猫様だったのか。右目が金色で左目が蒼。写真では見たことあるけど実物は初めて見た。たっといなぁ。我が家の子にしたいくらい。

 僕はその御顔を左右からふにふにとモフる。黒猫様も嫌ではないのかされるがままにモフられている。

 はー、癒される。これでオッドアイとか反則じゃないだろうか。まあ我が家では飼えないんだけど……っと、そうだ。野枝様もいたんだ。

 モフる手を止めずに視線を上げる。あれ、野枝様が少し不機嫌そうに頬を膨らませて紫色の瞳を僕に向けている。ヤバい。世にも珍しい瞳に僕が写ってると思うだけで心臓が爆発しそうなくらい興奮してきた。


「誠君も猫が好きなの?」

「え? ああ、うん。好きだよ」


 ただまあ、普段はここまで構うことはない。犬派猫派なら断然猫派な僕だけど、まずここまですると大抵の猫は逃げるから構えないのだ。それに身内に猫アレルギーがいるからこうして構ったら些か面倒というのも理由だったりする。まあ今回は御猫様から近寄ってきたわけだし僕は悪くない。うん。

 それにしても可愛いなぁとモフっていると急に猫が逃げていった。気分屋だから仕方ないところはあるかもしれないけど……嗚呼、記念写真も撮っておけばよかった。辺りが暗いからよく映んないかもだけど。

 黒猫はすぐに子どもでも入れないような狭い道に入ってしまい追うことも出来なかった。そういえばあの猫は野枝様と戯れていたんだっけ。オッドアイの黒猫に紫目を持つ地に舞い降りし大天女……もとい野枝様なら非常に絵になる光景だっただろ――じゃなくて、野枝様も部類の猫好きで有名だ。不快とまではいかないがもしかしたら傷つけたかもしれない。謝らないと。

 そう考えて振り返ろうとする直前に後ろから肩を叩かれた。十中八九野枝様だろうけど……怒ってるのかな? でもきっと怒ってる時の紫色の瞳も美しいんだろうなぁ――


「ま、誠君、私も構ってほしいにゃ~」

「――」


 ――振り向いた先は天国だったとしか形容できない景色が広がっていた。

 両手を招き猫のように顔の横で握って上目遣いでこちらを見やる野枝様の何と尊いことか。特に野枝様の野枝様たる所以である紫目はうるうると潤いに溢れていて僕の性癖ど真ん中をロンギヌスの槍で串刺しにしてきた。


「な、なーんて! じゃ、私帰るねー!」


 我に返ったかのように心なしか頬を赤くした野枝様は若干早口でそう謝って走り去っていった。

 僕はその後ろ姿を呆然と見つめながら、本当に爆発するんじゃないかと錯覚するくらいに早鐘を打つ心の臓を制服の上から強く握りしめる。


「……やっば」


 先の光景が脳内で何度も反芻される。

 尊いと形容するのは些か憚られる衝動に頭を混乱させかけながら、僕はフラフラと、北風の寒さすら忘れて帰路についた。

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数寄者、陥落す 束白心吏 @ShiYu050766

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