お世話になりました。

寄鍋一人

合同プロジェクト

『定時過ぎてるのに申し訳ない! これもお願いしてもいい?』


『了解です! 対応します!』


 上司から飛んできた。添付資料を確認して、はぁ、と一息つく。

 時計を見るとたしかに、定時はとっくに超えていた。


 入社して二年、なんとなく今の仕事に慣れ始めてきたかな、という私は、知らず知らず残業時間を着実に伸ばしていた。

 本当は定時で退勤したいんだ。でもその願いはなかなか届いてくれない。


 私の上司はどうやら仕事ができる人で、社内でも評価が高いらしい。そのうえ断れない性格なのかいつも忙しそうにしている。

 申し訳なさそうに仕事を投げられたら、断ろうにも断れないんだよね。でも辛い、大変、と思うこともあるわけでして。

 このご時世、うちの会社でも在宅勤務が当たり前になってきて、私も当然在宅勤務している。

 最近は上司やチームの数人しか声を聞いてない。徐々に増えてきた社会人としての重圧を、家で一人寂しく耐えている毎日なのです。



 誰か、私に癒しをください……。



 そんな悩みを抱えながらも業務をしていたある日、上司からお誘いがかかった。


『このプロジェクトに一緒に参加してほしいんだけど、どう?』


 一緒に送られてきた概要資料を見ると、どうやら別部署と合同でやるプロジェクトらしかった。内容もちょっと気になる。


『そろそろ仕事にも慣れてきただろうしいい機会かなって。あと、在宅勤務で息苦しかったら気分転換にもなりそうだよ!』


 私の悩みに気づいてくれてたんだ。そこまで気にかけてくれるなら無下にするわけにもいかないよね。三年目でいい機会なのはたしかにそうだし、それに他の部署と関わりが持てるのも楽しみ。

 ついでに癒しもあったら万々歳だ。


『楽しそうです! ぜひ参加させてください!』


『ありがとう! グループチャットに招待するね!』


 入ったチャットで自己紹介を済ませて本題に入ると、私の上司がメインで話している印象。

 最初は、あ、この人また仕事押し付けられちゃったのかな、とか思ったけど、今回は自分からやってる仕事みたいで少し安心した。


 キックオフミーティングの会議通知が送られてくる。

 まだ名前しかしらない別部署の人たちはどんな人たちなんだろう、というベタな期待とともに、癒される何かがないかという不純な期待にも胸を膨らませた。



 そして会議当日、全員カメラはオン。

 見た感じ、みなさんベテランの方たちばかり。改めて自己紹介を聞いてもやっぱり私より入社年が早く、役職を持ってる方ばかりだ。

 その中でもひと際、ご年配の方がいた。

 その人は吉野と名乗った。


「みなさんよろしくお願いしますねー」


「参加していただいてありがとうございます、吉野さん!」

「吉野さんがいたら心強いですね!」


 周りの人たちが矢継ぎ早に褒め称える。

 吉野さんは入社三十年を超える大ベテランだった。

 部署が違う私でも名前だけちらっと聞いたことがある。たしかレジェンドって呼ばれてるんだっけ。三十年も勤務してたらそう呼ばれてても不思議じゃない。

 私の上司が進行となり、ときどきレジェンド吉野さんから助言をいただきつつ話し合いが進んだ。

 一番下っ端の私には大々的な発言の機会はないから、ひたすら聞いて稀に話を振られて、そうですね、◯◯だと思いました、と答える程度。


 そうやって聞きに徹した結果分かったことがある。

 役職持ちのやる気バリバリのみなさんは、


「◯◯がいいんじゃないですか?」「◯◯ですね!」「賛成です!」


 といった感じでパッパッとテンポよく喋るのに対し、吉野さんだけ、


「うーん、そうだねぇ、僕は◯◯だと思うよー」


 と、間延びしてゆったりと話す。


 吉野さんのときだけテンポが崩れるけど、不思議とそれを誰も不快に思ってない様子で、逆に雰囲気が和やかになる。もちろんやる気がなさそうなわけでもない。

 勤続年数? 仕事や人生そのものの経験? とにかく精神的に安定していて余裕や貫禄を感じる。

 他の人もそれは分かっていて、おじいちゃんのように扱いながらも自分たちでは勝てないんだという尊敬と畏怖の塊みたいだった。


 ぼんやりとかっこいい、私もこうなりたいと思ったのと同時に、この人がいる空間、そしてこの人自身も癒されるなぁと、失礼ながら思ってしまった。



 私は、業務の中に癒しを見出した。



 せっかく同じプロジェクトになったんだし、吉野さんともっと仲良くなりたい。あわよくばもっと癒されたい。

 しかし人生そう上手くいかないもので、初めのうちはオンライン会議で顔を合わせるのみ。依然話す頻度は少なく、もちろん吉野さん個人に対しても話す機会はなかった。



 しばらくして、吉野さんに個人チャットで伝えるようにと指示が飛んできた。

 願ってもなかったチャンス、これを逃すわけにはいかない!

 改めて名前を伝えると要件をそこそこに、失礼にならない程度の質問を投げかけた。

吉野さんは一つ一つに丁寧に回答してくれるし、逆に私にも質問をしてくれた。


「三年目じゃまだまだ大変でしょー? 分からないことあったら聞いてね?」


 と、しっかり気遣ってくれる。


 優しい人……。癒される……。


 吉野さんのお手伝いがしたい。

 そんな願いが届いたのか二人で作業する場面が増え、合間に雑談をするくらいに仲良くなった。

 たまに愚痴を言っても吉野さんは嫌な顔ひとつせず、親身になって聞いてくれる。ときには、それはよくないねー、と変わらない口調で諭されることもあった。


 その全部が楽しくて、嬉しくて、私を癒してくれた! この調子でプロジェクトを最後まで駆け抜けよう! 

 そう意気込んで、一層作業に集中できた。



 プロジェクトも佳境に入ると、出社しての作業にシフトする。

 つまり、生の吉野さんを拝めるということ。足がとても軽い。いつぶりの出社か数えることも忘れて意気揚々と扉をくぐると、画面越しで癒されていた顔がそこにあった。


「お疲れ様ー。実際に会うのは初めてだよねー」


 吉野さんだ!

 余裕綽々なオーラと時間の流れが遅くなる感じ、生で見ても変わらない。


 初めは緊張すらしたが、いつもチャットで話しているのと同じ調子で喋ればいいんだ、何を怖がってるんだと鞭を打つ。

 対面の雰囲気に慣れてきて周りに目を向けると、吉野さんは相変わらず社員から好かれ、もてはやされていた。

 改めてすごい人だと感じて癒されるも、私が仲良くしていい人なんだろうかと我に返ってしまった。

 かなり上の役職だったりしたらどうしようかと作業の合間に聞いてみると、吉野さんは一瞬ためらったのち、名刺を取り出した。


「ないんだよねー、それが」


 役職がない?

 受け取った名刺にはたしかに役職らしき単語がない。大ベテランに何も肩書がないのは予想外だった。

 どうしてなんだろうと考え、ふと、まだ質問していないことがあったのに気づく。


「……ちなみに、おいくつか聞いてもいいですか……?」


 嫌な予感がよぎる。でも気づいたからには、聞いておきたい。

 大ベテランは再びためらい、悠長な口調はそのままに、普段のふわつきは鳴りを潜め冷めた。


「五十九。来年で定年退職なんだー。仕事もこのプロジェクトで最後だよー」


 ずぐり、と胸に鈍い音がした。




 恋、ではなかったと思う。

 在宅勤務で気が滅入っていて、ただ癒しを求めていただけだ。

 多くの社員が好く大ベテラン、レジェンド。職を全うして辞めていく可能性はあまりに大きい。まさに伝説だ。

 吉野さんとの仕事が楽しかった。まったく苦じゃなかった。

 もっと色々教わりたかった。もっとお話したかった。



 私の推しは、来年でいなくなる。



 翌年、プロジェクトは無事成功し、私も上司から高評価をもらった。会社からの評判も上々で、みなさん嬉しそうだ。

 ひと盛り上がりすると、では、と誰からともなく静かになった。


「このプロジェクトをもって我らがレジェンド、吉野さんが勇退されます。最後にこのプロジェクトに参加していただいてありがとうございました!」


 拍手と喝采が飛んでいたんだろうけど、私には聞こえない。目だけが吉野さんを捉えている。

 一通り挨拶をしてビルのエントランスに向かう吉野さんを、私が一番下っ端ですから! と、思い返せば強引な理由をつけて追いかける。


 エントランスまで、違和感ないように努めて話した。

 やっぱり、この縁を切りたくない。でも、このドアを抜けたら、もう終わる。

 言いたいことはたくさんあるけど、穏やかな吉野さんのことは笑って見送りたい。


「お世話になりました。ありがとうございました!」


 腰から深く、長く一礼。

 吉野さんから返事はない。どうしたんだろうと頭を上げると、困りながら微笑んでいた。

 初めて見る顔、初めて聞く、尾を引かない声だった。


「君は優秀だ。一緒に仕事をしてそう感じた。それにまだ若い。まだまだ先があるんだ。先の分からない、年だけ食っただけのおっさんに構ってないで、優秀な君に釣り合う人と巡り合いなさい」


 バレていたんだ。

 私が吉野さんとまだ一緒に仕事をしたいということに。


 ずるい。最後の最後に、そんな言葉をくれるなんて。もらった言葉を噛み締めて、頷く。

 沈黙のあと、吉野さんは頭を掻きながら、


「それでもこんなおっさんと話したいなら……」


 そう言って名刺をくれた。書いてある連絡先は会社支給の携帯。

 退職して携帯を返した今はもう意味ないんじゃ……。


「あるんだよねー、それが」


 吉野さんは手のひらをくるくると回す。裏……?

 言われるまま名刺を裏返すと、そこには別の番号が書いてあった。





 その後も私と吉野さんの交流は続いた。

 仕事や人生の相談を聞いてもらったり、たまに喫茶店でお茶をしたりもした。





 あのときもらった二枚の名刺を握りしめ、多くの社員に愛されたまま旅立つ大ベテランに、最期にもう一度、お世話になりました、ありがとうございました、と、頭を下げ続けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

お世話になりました。 寄鍋一人 @nabeu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説