第2話

 泣き止んだななみは、潤んだ瞳をりんこに向けた。

 抱きしめられたまま、まっすぐに見つめる。


「ねぇりんちゃん、やっぱり、先生に言いに行こう?」

「先生に?」


 きょとんとしたりんこに、ななみは続ける。


「うん。先生に言って、さとしくんにちゃんと謝ってもらおうよ」


 けれどりんこは、また優しく首をふった。


「いい。わたし、謝ってもらわなくても平気だよ」


 かたくななりんこ。ななみは強く唇を噛んだ。

 痛い。でも、きっと今、りんこの心はもっと痛い。この笑顔は、そういう顔だ。


 ――言い返すのは、だめかもしれない。でも、謝らないのだってだめだ。


 ひいおばあちゃんの言葉は、もっともだ。でもそれは、りんこを苦しめるための言葉じゃない。りんこが生きる世界が、優しい世界であるように。言われた言葉。


「違うよ。さとしくんのためだよ」

「さとしくんの? でも、わたしが先生に言ったら、さとしくん怒られちゃうよ」

「うん。でもいいんだよ。さとしくん、悪いことしたんだもん」


 りんこの瞳が、ゆらりと揺れた。


「それは悪いことだよって教えてあげるのも、優しさでしょ?」


 戸惑ったようなりんこに、ななみはさらに言う。


「りんちゃんが嫌だったって言わなきゃ、さとしくんまた同じことしちゃうよ」


 それは、さとしがやりたいことだけをわがままにやることにつながってしまう。りんこやひいおばあちゃんの優しさが、途切れてしまう。


 揺れていたりんこの大きな瞳が、ふいに潤んだ。

 ぽろぽろと泣きながら、あえぐように話す。


「でもわたし、怖いよ……」

「怖い?」

「だってさとしくん、大きいし力持ちなんだもん……。先生に言って、いじめられたらどうしよう」


 ――あぁ。


 ななみは納得する。りんこがいつになく頑固だったのは、そのせいだったのだ。


 やり返されるのが怖くて、傷つけられてもがまんしていた。自分の気持ちを、伝えることもなく。


「大丈夫だよ」


 ななみは、りんこの体を強く抱きしめた。


「りんちゃんは間違ってないもん。死ねって言われても言い返さなかった。正しいことをしてるんだよ」


「ななちゃん……」


「わがままは、たしかによくないけど、嫌だったって伝えるのは、わがままじゃない」


 体を離すと、りんこはもう泣き止んでいた。

 ななみは赤くなった目もとをそっと撫でて、いたずらっぽく笑う。


「それにね、さとしくんって、見た目は怖いけど案外優しいんだよ。話してみればわかるよ」

「そうなんだ! 知らなかったなぁ」


 ななみとりんこは言い合って、くふふ、とふたりで笑った。



 楽しそうに手を取り合って教室を出ていくふたり。


 ふたりの純粋な優しさに包まれ、地球儀の色は心なしか濃くなったのだった。




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優しい世界へ 涼坂 十歌 @white-black-rabbit

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