優しい世界へ
涼坂 十歌
第1話
「今日ね、さとしくんに、死ねって言われたの」
りんこが、小さな指を地球儀に走らせた。細長い日本が、くるくるとまわる。
「ひどい! それでりんちゃん、どうしたの?」
気色ばんだななみは、身を乗り出す。
りんこは、おさげを揺らして優しく笑った。
「いやだ! って」
「それだけ? 言い返してやればよかったのに」
自分のことのように頬を膨らませたななみに、りんこは言った。
「だめだよ。わたし、自分がされて嫌なことはひとにはしないの」
優しいりんこに、ななみは思う。
――りんちゃん、ほんとは悲しかったんだな。
「ひいおばあちゃんが言ってたの。みんながやりたいことだけしてたら、世界は大変なことになっちゃうって」
「でも、りんちゃんばっかりがまんするのは変だよ」
「いいよ。それでみんなが仲良くできるなら」
痛みをこらえたりんこの笑顔が、ななみは不思議でならない。
亡くなったひいおばあちゃんの言葉に忠実なりんこは、どうしてかひとのためにがまんしすぎる。
「……なんで、死ねなんて言われたの?」
「図工の時間に、折り紙が配られたでしょ?さとしくん、青が好きなのに、わたしが青をとっちゃったの」
「でもあれ、早いもの順だったじゃん!」
ななみは思わず大きな声を出した。
ななみも、大好きなピンクの折り紙をとった。あこちゃんややよいちゃんも、ピンクが好きなのに。
けれどりんこは、静かに首を横にふった。
「……ひいおばあちゃん、どうしてそんなこと言ったんだろうね」
なんだか胸が痛くて、呟いたななみ。
りんこは、ぽつりと答えた。
「戦争が、あったんだって」
「戦争?」
戦争。ちょうど今日、社会の授業で習ったばかりだ。
校庭で遊ぶ男の子の声が、夕暮れの教室に届く。
「ひいおばあちゃんが、若いころに。大きな戦争があって、たくさんの人が死んじゃったんだって」
ななみは、首をかしげる。
先月十歳になったななみは、もうそんなこと知っている。教科書で何度も見たし、おばあちゃんからも聞いたことがある。
それと、りんこががまんすることに、どんな関係があるんだろう。
「その戦争はね、大きな二つの国が、おたがいにやりたいことしかしなかったから起きたんだって」
りんこが、話ながら地球儀をまわす。くるくる、くるくる。たくさんの国が、りんこの手をくぐる。
「もっと相手のことを考えて、尊重していれば、起きなかったかもしれない……。だからひいおばあちゃんは、わたしに言ったんだと思うの。自分がされて嫌なことはひとにはしない、いつも相手の気持ちを考えなさいって」
りんこやひいおばあちゃんが、言いたいことはわかる。けれどななみは、納得いかない。
「でも、戦争って大人とか、国とかがすることじゃん。りんちゃんが嫌なことがまんするのはおかしいよ」
りんこが何かをがまんしたり、ひとりで傷ついたりすることが、どうして戦争を防ぐことになるんだろうか。
わからない。わからないけれど、わからないからこそ、ななみはなんだか泣きたくなってきた。
同い年の子どもなのに、ななみは好きにピンクの折り紙を選んで、りんこは青が欲しかっただけで死ね、なんて言われて。
そしてりんこが、笑っている。
りんこの笑顔が、ななみの涙を後押しする。
しくしくと泣き出したななみに、りんこは優しく笑いかけた。
「ななちゃんは優しいね」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます