ゆっくりと、軟らかく

 時計の秒針が規則正しく動く空間だった。私は落ち着きを取り戻し、紙上に鉛筆が滑る感触を確かめている。願わくば、教室という空間にもう一度戻り、私の勉学における才覚を同級生一人一人に認めてもらいたい。すべては父の無知せいだ。復讐したくても、上京後は彼の目にかかる機会に恵まれなかった。あんな人間がいたからこそ、私は惨めな世界で人形にならなくてはいけなかったのだ。


 マネージャーの山田は、気遣いが細やかで、私が不安そうにしていたら、何が心を暗くさせているのかすぐに問いかける、痒いところにいつも手が届く男だった。ああいう人が父だったらよかった。上京してからの本当の父はパパと呼ぶことを強要した社長ではなく、山田だった。


 名古屋にいた頃、中学校の修学旅行は東京の予定だったのに、その一カ月前に私は知らない街に連れてこられ、やがてそこが東京だと知った。一地方都市の人間に過ぎなかった私を、山田は恵比寿だの渋谷だの六本木だのに連れ回し、さっぱりとした服を買い与え、話し方を矯正し、食事のマナーを身に着けさせた。


 初めてセックスをしたのも山田とである。父とセックスしたようなものである。なにせ彼の要望に、うら若き私は従わざるをえなかった。暴力を振るうような男ではなかったのに、山田の元を離れては生きられないゆえ、ひな鳥の私は親鳥の秘部に口を寄せたのである。巣立ちの時は一向に来なかった。山田は一物とともに仕事と与え、衣食住のすべての面で最低限の環境を維持してくれた。


 その下半身は、初めのうちこそ官能的な喜びをもたらす鞭の先端であった。だが私は成長した。私自身が刺激をもたらす鞭と化し、男の触覚を震えさせるまでになった。


 巣立ち。あるいは卒業。強いて言うなら、かんちゃんが楽屋に入ってきて、銀座での寿司デートを提案したあの日がそうだったのだろう。土下座する山田は世の中の全ての男性のなかで最も卑屈な人間に映って、逆にどきどきした。その場で顔を踏みつけたら、山田の沙蚕は喚起の慟哭で暴れ、その痕跡を股上に残したに違いない。


 かんちゃんは業界人らしい威勢のよさを保ったまま、主導権を握る立場に最初は甘んじて、甘えびを口に入れていたけれども、化けの皮は寿司デートの日の、ごく序盤に過ぎなかった段階で、脱皮の指令を天から受けたかのように、ものの見事に剥がれ、ああこの人も素の自分をこの人はという女性に見て欲しかったんだと分かった。


 寿司屋で二人きりになり三十分経ち、カウンターでその横顔を眺めると、もう目は泳いでいて、すぐにでも肉体的な苦痛を渇望しているようだった。当時はどれだけの量を飲んでも、酔い潰れることがなかった私は、かんちゃんのグラスに、ラブホテルの浴槽一杯分ぐらいのビールを注いだ。寿司屋の大将には申し訳なかったけれども、プレーが始まったのである。


 ビールに飽きたと赤子のようになって主張するかんちゃんには、能登直送のどぶろくでもう少し「おいた」をし、かんちゃんのツケで店を出た後は、流しのタクシーの後部座席にその肉塊を押し込み、私は、次はどんなおいたしてほしいのかんちゃん、もっと激しいのにしてほしいって、困ったちゃんね、じゃあそれまでおあずけ、バイバイ、と言って手を振り、その場を立ち去って、日劇のレイトショーに向かった

 なにが、ばらしたりしないからさあ、だ。かんちゃんのばーか。すでに方々の人間に、それとなくばらしていているんでしょう。そりゃ暴露系の月刊誌の記者崩れが醜聞として取り上げようとしたとしても、まだ商品価値がある自分を、社長は何とかかばおうとし、出版元の言論の自由を奪うための工作をしてくれる。商品価値がまだ自分にあればこそ、なんだけどね。売れなくなったら、今度はそういう趣向の持ち主だということを武器にして、商品価値を高めてくれ、と社長に言われるのをいつか想像したこともあった。するとね、別に嫌ではなかった。所詮は塑像なのよ。


 嗜虐の主対象が山田からかんちゃんに変わってからは、さらに多忙を極めるようになった。自らの境遇に対する呪いを、仕事とプレーで昇華させようとした。仕事で得た金銭の何割かは、実家の借金返済にあてがわれていたようで、私を育てた父は直接会って感謝の言葉を伝えたそうだったらしい。


 しかし私にはもう別の父と、セックスまでしてしまったので、本物の育ての父は本当にアカの他人に成り下がっていて、そういう人と会おうとする動機はなく、ピンハネされてもあまりあるキャッシュの積み上がり方に快感を覚え、与えられた業務を心から感謝し向き合っていた。


 人生のピークって何だろうと考えた時、おそらくこの二、三年の間だったと感じる。ただでさえ高かったラジオ番組の聴取率は一段と、それもウナギ登りのように上昇し、性的な話題であっても品位を崩さない(と受け止められていた)私は、思春期の男達に夜の修道女と呼ばれた。全国各地のコンサートホールでライブを行おうものなら、販売開始数時間でチケットは完売する。ダフ屋さんは定価の十倍でチケットを売っていたのに、それでも売れるのだから、驚くばかりだった。


 私は世界を手にした気がした。一日二時間しか睡眠をとれなくても全然平気で、手帳のスケジュール表がコンマ一秒単位で埋め尽くされる日々が続き、いつの間にか二十九歳になり、体脂肪率の上昇が新たな問題として立ちはだかった。そう、いくらランニングをしても、エアロビクスをしても、顎の下が弛み始め、腹部の膨張も隠しにくくなった。


 顔を踏みつけられたかんちゃんの股間は、かつてほどの張力を失っていた。中年男性としての肉体的な衰えだとはじめは思っていたが違った。少しずつ、どこか余所余所しい所作が増えてきて、やがて私を遠ざけるように、電話をしても居留守を使うようになったのだ。


 それからのことは記憶があやふやだ。事務所は不動産会社を営む男と私を引き合わせて、まあ私も若い女の子には勝てないと思って男のことを好きになって結婚することにし、郊外の戸建てにペットと住むようになって仕事をしながら子どもができたら、子育てに専念しようと考えていたのになかなかできず、三年か四年ぐらいしてあなたは子どもが産めない身体のようですねと言われてふうんと思って、仕事が少しずつ少なくなっていったから、旦那のカネでガーデニングを始めることにして、ガーデニングに詳しい元アイドルとして仕事を獲得することを狙ったのに、二十代のキャピキャピした農業高校出の現役グラビアアイドルにはとうてい、勝ち目がなくって。そうこうしているうちに旦那の帰りが遅くなり、どこかで愛人を作っているのだと悟ったのだけれども証拠を掴むのに相当な時間が掛かって、四十代後半になってようやく、愛想が尽きたから別れてほしいと向こうから言われ、離婚できたのだけれども。


 ──あれ、私は今、なんの話をしているのだろう。


 「もっと、いいですよ。それでどうなりましたか?」


 右手にHBの鉛筆はなかった。簡易ベッドのシーツの、さらりとした感触が頬から伝ってくる。目を開くと、現れたのは調査票を渡した先程の女性ではない。白髪の、それでも背筋に真っ直ぐの芯が通ったような、決して弱々しそうには見えない、色黒の男性が白衣を纏う輪郭が次第に鮮明になった。柔和そうな態度から、このクリニックの院長ぐらいの立場にいる人間であることが段々と分かっていった。白衣を脱げば、きっとサーフィンでもやっているのだろう。五十はゆうに超えているようだが、所々解れたジーンズと、鮮やかな黄緑色のランニングシューズが不釣り合いだった。


 彼は膝を床に付けて、濁りの少ない瞳を、左頬を病床に置く私の両目と同じ高さに合わせてからそう言うと、口角をにっと上げた。私は腹が立ったが、嫌ではなかった。

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