戦隊モノのブリーフとはいえ


 玉砂利の敷かれた参道から外れ、息子の手を引き脇の林の中に連れて行く。敷地の角にある、住宅と区切られた塀の前まで進み、木々の根で所々隆起する黒土の上で、私は衣服を脱ぐように命じた。


 私たちの姿は参道からは見えない。玉砂利がザクザクと歩み分けられる音が聞こえる。歩き方からして、背の低い女性のようだ。すごく、ちょうどいい。


 「……ここで?」


 私は黙って、首を縦に振った。胸が高鳴った。息子はジャケットを脱ぎ、目の前にある低木の枝の付け根に掛けた。靴を脱ぐと、伸びきった靴下が露わになる。ベルトを緩め、スラックスを脱ぐと、空色の布地に右手の拳を高く上げて宙を飛び回る四体が描かれたブリーフが、股間に山を形成して現れた。赤字で『パーマン』と記されている。戦隊モノとは言えない。


 「言うこと聞かなかったのね」


 男は目を丸くした。


 「なんで? ちゃんと言いつけを守ったよ」

 「パーマンがどうして戦隊モノになるの? ちゃんとグーグルで調べたの?」


 私は枝から垂れさがるジャケットの内ポケットに手を入れ、息子のスマートフォンを取り出した。ブリーフ姿の彼に画面ロックを解除させ、「戦隊モノ wiki」とフリック入力をして、検索した。「スーパー戦隊シリーズ」の記事の作品一覧の項目のうち、古いものから新しいものまで順に確認しても、パーマンという固有名詞は出てこない。定義はどうであれ、やはりタイトルに「戦隊」の二文字が含まれない限りは、戦隊モノとは言えないのだと強く訴え、息子のネクタイを掴んで地面に引き倒し、その顔をミュールで踏みつけた。


 声を押し殺しながらごめんなさいごめんなさいと言う息子の股間の山は膨張していた。


 私は自分のバッグの中からビニル紐と結束バンドを取り出した。息子の体躯を起こし、低木の幹に押し付け、ワイシャツが隠す腹部と幹をビニル紐で何重にも巻き付けて縛って固定した。さらに結束バンドを用いて、右手と左手の人差し指を後背部で結合させ、抵抗できないようにしてからブリーフを地面まで下した。


 「十分間のお仕置き」


 息子はうなだれている。


 私は息子のスマートフォンを持って木々をくぐりぬけ、参道に戻った。下腹部の熱が増すのを感じながら、拝殿での二礼二拍一礼を済ませた女性に軽く会釈をする。ゴスロリ系のファッションに身を包んだ女性は拝殿を背に、鳥居の先の階段をスキップするように降りていき、姿を消した。


 息子と私以外、誰もいない境内で、手にしたスマートフォンからリチウムイオン電池とSIMカードを抜き出し、機能を失った薄っぺらな筐体を拝殿の前の賽銭箱に投げ入れた。電池とSIMカードは手水場近くの小池に放り投げた。器物損壊罪を成立させると、一段と強く興奮した。


 残りはまだ七分もある。木々の向こうに下半身を露わにした息子は後手を縛られたまま、頸を斜めに垂れ提げたままだ。


 このまま家に歩いて帰ろうか。神社から自宅までは徒歩で三十分ほどの距離だったと思う。息子は連絡する手段をもはや持たない。生き別れの母子。あの子はだって中学受験で進学校に入り、内部推薦で六大学の一つに入り、OBのいる上場企業に入社するような、眩しい人生を歩んでいるのですもの。きっと大丈夫。逞しく生きていくはず。


 翻って私はM高校の入学すら許されなかった。軽く眩暈がした。鳥居をくぐり、石段を下りて川べりの幹線道路にたどりつく。ちょうどバス停が目にとまった。ここから自宅に行くにはバスを一度乗り換えなければならないけれども、ズキズキとした偏頭痛が強まっていたこともあって、私はバスに乗りたかった。


 紅色のベンツが私の前を横切っていく。後部座席の窓に、手のひらを押し付けて何かを叫んでいる、セーラー服姿の私がいた。


 そう。ヤクザ様は私を決して乱暴には扱うことがなく、むしろ傷モノにして商品価値を落としてなるまいとしていた。泣き叫ぶ私をそのまま放置し、泣きつかれるまで無視をし、運転をしていた。どこを通り、どこに向かっているのか怖くて聞けず、知る手立てはなかった。いつの間にか私は眠り、目が覚めたらまだ後部座席で、車内にはAMの深夜番組が演歌を流していた。


 自分が育った街よりも、ビルや車が多く、日の当たらない面積がより広そうな街に連れていかれた私は、ヤクザ様の知り合いを紹介され、その人のもとで働く身となったのである。


 この時、空は寒々としていて、鉛色の雲からは細雪が舞い降りていた。新生活を祝福する聖霊であるはずもなく、私にとっては血の通わない人間が跋扈する冷たい社会の象徴でもあった。


 ヤクザ様の知人が芸能プロダクションの経営者だということは、すぐに分かった。初対面で彼はパパと呼べと要求してきたので、私はその日以来、仕方なくパパと言うことにしているのだけれども、パパは私の体躯をその舌で愛撫するように上から下まで凝視し、マーケティング戦略を練っていた。


 当時まだ乳房が発達途中であった。だが、その乳房がそこまで大きくはならないということを見抜いていたらしい。貧乳好きも、一定数は存在しており、貧乳好きの股間をクリティカルに膨らますキラーガールになってもらいたいという、訳の分からない指示が与えられ、十分ほどの面会のあと、扉から男が現れ、パパはこいつがマネージャーねと言った。口臭が胃薬臭い神経質そうな男の名は山田だった。


 「なにか美味しいものでも食べに行こう」


 一言も話さない私に山田が発した初めての言葉がこれだった。


 自分の身に降りかかったことがまだ現実としてまだ受け入れられず、食欲はない。なのに、栄養をつけないと、体力を回復させないと、などとやたら繰り返す山田は、焼肉の煙が漂う街に私を連れていき、雑居ビルの五階の奥まったところにある高級和牛料理専門店で、分厚いシャトーブリアンを給餌するように与えた。初めて口に入れるシャトーブリアンに私は骨抜きにされ、こんなに美味しいものがずっと食べられる世界も悪くはないという錯覚が芽生えていった。


 その夜、家具付きのワンルームマンションに案内された。備え付けの勉強机には、高校の教科書が山積みになっていた。山田は言う。


 「売れなかったら、中卒のままじゃ困るだろう。だいいち教養がなければどんな世界だって生きるのは大変だから、通信制の高校に入ってもらう。今度書類持ってくるから記入しておいてね。君のおかげで家族は救われるのだから、親孝行をしているのだと精進すること。最初はレッスンに通ってもらうよ。焦らないように。一階に管理人がいるからね。外出が必要な時は管理人に言えば、私か私の代理が駆け付けるようになっている」


 かつて、この部屋で女が錯乱状態になり、鉄道に身を投げて死んだというのを知ったのは、後になってからだった。山田は、じゃあ、と言って部屋を後にした。


 すぐに胃が収縮し始めた。脂汗が額ににじむ。


 慣れない肉料理を大量に摂取したのが祟ったのだろう。清掃を済ませたばかりの室内のフローリングのうえに吐瀉物が広がった。私が三年ほど世話になったその部屋は、絶えず胃液の臭いがしているような気がしてならなかった。


 しかしなぜだろう。今も強烈な、黄酸っぱい刺激臭が鼻を突いている──。


 「……お客さん、大丈夫ですか?」

 《きったねえ、ばばあ。ちゃんと自分で始末しろよな》


 下校途中の高校生らの、蔑むような視線に気付く。


 「私は目を開けて、運転手さんの顔をまじまじとみているのに、大丈夫でなかったら、救急車でも呼ぶのですか?」


 運転手は一瞬、困惑した表情を浮かべた。落ち着こうと自分に言い聞かせたのか、一段低めの声で言った。


 「大丈夫なのですね。もうすぐ終点ですから。私の方で片付けますので、何かありましたらまたおっしゃってください」


 運転手は想像以上に大人であった。首元のスカーフがひどく汚れているのに気付いたのはバスを降りてからだ。私は確かに、バスを乗り継いで自宅に帰ったはずだ。とにかくシャワーを浴びてからベッドで横になりたいとの一心だった。気温や天気、通り過ぎた人の表情がどうだったのかなんて、全く記憶にとどまっていない。

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