第03話 摩訶不思議が闊歩する

 アルバイト店員は、検察側の証言者として法廷に立つ予定だった。その青年は傷害事件を起こし逮捕され、逮捕されたことで弁護団に突っ込まれるからと、証言者として立つことはなくなった。この証言者に22年経った頃、損害賠償請求の訴状が届いた。森益美からだった。彼がマスゴミに答えた目撃証言は虚偽であるとするものだった。京都地方裁判所は、森益美の請求を棄却した。本来なら検察の筋書きを覆す証言にだ。ということは、タオルを巻いていた事を本人が否定したことになるのではないか。ならば、タオルを取りに帰ったのが事実なのか、闇というスパイスは、本来の味を変えてしまうのか、隠し事をカムフラージュする隠し味となるのか。証言や記憶は時間や多くの人と接して変化する恐ろしさが垣間見える。初動捜査の大事さが伺える出来事だった。

 元夫の進次郎は自ら進んでヒ素を飲んだ。体調不良と引き換えに保険金を得るために。検察は、夫を利用し、殺害も視野に入れていたと決めつけた。これに異議を申し立てたのは進次郎だった。進次郎は自らの行為を認め法の裁きを受けた。自分に対する取り調べは、カレー事件を裁くものだと感じていた。当初は共犯者、不都合になると被害者という扱いを受けていた。また、元妻を逮捕した理由を幾度となく検察に投げ掛けるも物的証拠がないという焦りしか感じられないでいた。

 この事件は、逮捕後にシナリオが作られ、それに沿って捜査が進められている。よって、メッキが剥がれるように事実とされるものが砂上の法廷を顕にしていた。

 進次郎がヒ素を飲み始めたのは、益美の母の死亡保険を使い込んだことから口論となり、自らの体を張って補えばいいと考えたからだった。それが思いのほか上手くいき味を占め、深みに嵌った結果だと進次郎は述べていた。


 事件当時カレー鍋は4つ用意され、その中のひとつに150gにも及ぶヒ素が入っていた。ヒ素の毒性は耳かき一杯程度で大人が昏倒してしまう程。進次郎はその毒性を自らの体で証明して見せていた。どの程度の量でどうのような症状になるかを。進次郎は、益美は無関係だがその毒性は、認知していたはず。使用する得がないとの疑問に警察側は、悪口を言われたことに激高したとすれば無差別な方法で住民を困らせてやろうとして考えても可笑しくないと進次郎の疑問を撥ねつけた。

 事件当時、進次郎がシロアリ駆除で使うヒ素が自宅にあったこと、見張り番であり不審な行動を取っていたこと、保険金詐欺に関わっていたとされていたこと、ヒ素を運んだとする紙コップに付着していたヒ素と、自宅にあったヒ素が同じだとされたことから森益美に死刑判決が下された。

 世間が騒ぎ注目されたこの事件解決に躍起になっていた警察は、決定的な証拠を掴めないまま、森益美をヒ素を使った保険金詐欺とカレー事件を結び付け逮捕するシナリオに沿って捜査が進めれた。立件しやすい保険金詐欺で逮捕し、被告人は、人の命を奪う事に対する罪悪感、抵抗感が鈍磨していた、としてカレー事件の有罪判決の根拠にしていた。保険金詐欺の実際は、被害者とされる人は借金苦から逃れるためのものであり、夫・健治は自らが実行犯であり、益美は保険金摂取の方法を教えただけだったことが判明する。しかし、裁判官は、妻を庇う者だと健治の言い分・告白に耳を貸さないでいた。寧ろ、証言させないように進行させていたのが事実だ。自分の子供も夏祭りに参加しヒ素の入ったカレーを食べる危険性があった。事件当日、益美は晩御飯を作っていない。カレーで済ませる予定だったと思われる。動機にも疑問が持たれていた。保険金詐欺で実績がある中、得にもならない犯行を犯すかという点だ。

 更に京都大学大学院の再鑑定によって、カレーに混入されたヒ素と自宅にあったヒ素は同一ではないことが証明されている。物的証拠がないまま逮捕したことによって1分刻みで当時の時系列を作成し、犯人を特定していた。ところが裏付けの取れた証言は少なく、最大で50分程度の時間の開きが出てしまっていた。業を煮やしている時、アルバイト店員の証言を得る。この際、警察に都合のいい紙コップを持っていた証言を採用し、タオルの件は不都合だからと採用しない不平等な判断を捻じ込んだ。

 無理が通れば道理は引っ込むのように警察のシナリオは破綻を如実に顕にしていく。しかし、面子・国民からの信頼を保つために突き進むことになる。アルバイト店員のした益美の当時の服は、黒のシャツ、黒いズボン、黒に黄色のプーさんのロゴの入ったエプロンをしていたと反論。一緒にいた主婦も黒っぽい服を着ていたと証言するもマスゴミにまで発表した手間え、受け入れないでいた。更にアルバイト店員の見た紙コップの色は外側からピンク、青、黄色の順で入っていたと証言。ゴミ箱から見つかったヒ素が入っていたとされる紙コップは青だった。20mも離れた場所から色分けが確認できたとういう信憑性にも疑いの目が向けられたの当然のことだった。それでも1998年10月4日に森益美は、逮捕される。

 その日から84人の捜査員による三日間28時間の家宅捜索が始まったが何も発見されなかった。重要な証拠として台所のシンク下からプラスチックの容器が発見されたのは、四日目だった。容器に付着していたヒ素の成分が一致。では、なぜ、その容器を捨てないで持っていたのか?三日間、見つからなかった容器が四日目に見つかったのか、それも容易に見つけられる場所から。その容器には、「重」と書いてあり、これは元夫のヒ素の呼び名だった。その容器には、土や植物が付着しており、森一家は誰も知らず、指紋も出てこなかった。後の鑑定でヒ素濃度が異なり、容器と紙コップのヒ素も別物であることが判明する。犯行現場で使用された紙コップは、実は白であったことも明らかになる。全てが辻褄が合わない摩訶不思議なことが罷り通っていた。

 なぜ、「嘘」が罷り通ていたのか。

 一審・二審で弁護人が見たものは、白黒の画像だった。後に証拠捏造が騒がれるとカレー事件の4通の鑑定書作成に関わった和歌山県警科捜研の研究員が2010年に発生した6つの事件の内、7つの鑑定で証拠を捏造したとして、有罪判決を受ける事態が明らかになった。

 剥がれ始める「嘘」

 カレーに入れられたヒ素はミルク缶に保管されていたとされていた。濃度は49%。自宅で発見された容器から紙コップ、カレーの順にヒ素が運ばれた。だが、紙コップに移した途端、濃度は75%に。誰の目にも別物だと分かるものだった。

 裁判所は、一旦走り出した路線を変更することはなく、この矛盾は無視された。おそロシア。

 他にも、益美は事件当日、当番を終えた後、元夫とカラオケに出かけている。その時に4つあった鍋の内、ヒ素が含まれていたとされる鍋だけが奇麗に洗われていたのだ。この鍋を洗った時間、人物は特定されていない。しかし、カラオケ店に益美が言っていたとすれば防犯ビデオ、目撃証言から容疑者から除外、または共犯説が浮上しても可笑しくない事実も無視されていた。

 森益美に確固たる動機がない。確定した証拠がない。証拠として提出されたものに何ら確証がない。犯行に使用された紙コップのヒ素とそれが入っていた容器のヒ素濃度が一致しない。他の事件とは言え、科捜研の捜査員の捏造発覚。その上位の科学捜査班の事実隠蔽が発覚している他、虚偽の論文を出して正当化しようとする動きも確認されている。

 ここまで疑わしいことが明らかになっても、森益美への風当たりは変わらなかった。それは、森益美という人物像にあった。近隣トラブルや気の強さが災いし、擁護する声を憚っていたのも事実だ。当時、新住民と旧住民とのトラブルがあり、その親交を目的に夏祭りが開かれていた。気の強い新住民の益美に対し、旧住民の感情は推して図るまでもなかった。そこには、森家の半径100mから150mほどで10年間で3回も殺人事件が発生していた背景も対立関係に拍車を掛けていたのも拭えない。保険金で裕福な生活をしている森益美に疑惑の目が向くのも必然だった。

 何度も棄却された再審請求の錆び付いた重き扉がこじ開けられようとするのは、事件発生から20年以上もの年月を経た2015年5月31日に受理された。

 動機も自白も証拠もない状況で極刑を言い渡されている恐ろしい事実だけがそこにはあった。

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