第13話

「ですが、カザール様」

「姫の決めたこと。お前たちは黙れ」

 見張りが声をかけたが、カザールは冷たい声で跳ねのけ、黒く、鋭い眼光がサザノメに向けられた。もし視線だけで他人を支配し、心を脅かすとすれば、こんな瞳だろう。

「入られよ」

 サザノメは一瞬だけ迷い、頷いた。

 カザールがテントの幕を開けて待っているのに、中へと足を踏み込む。とたんに、むっとした鼻につく香の匂いが鼻腔を強く刺激した。薄暗いテントの中は、蝋燭が一つ立てられて、仄暗い。サザノメは目を眇めて部屋の中を見回した。

 中央に置かれた椅子に一人の娘が座っていた。娘、いや、それはもう年頃の女性だ。だが、その見た目は子供のようだ。

 人間の中の精霊。

 不意に、その言葉がサザノメの頭に浮かんだ。

 サザノメの認知では――この世界でも通用するとは不明だが、精霊はある一定の年齢に達するとその見た目は変わらない。彼らは大概が若い姿を好む。

 椅子に腰掛けている彼女は目を伏せていたが、不意に目を開けた。

 暗闇でようやく見て取れた、金色の髪に、栗色の瞳は、人間のもののようであり、違う。永久にその姿を変えぬ、精霊の無感動な瞳だ。

「汝の心、偽りあり」

「……偽りとは」

「心が揺れている」

 少女の声は、低く、獣が唸るような響きを持って室内を満たした。

「お前は、許されない罪を背負った穢れ」

 サザノメはこの娘に圧倒されている自分に気がついた。ただの人間の娘だというのに、その眼力には何かあらがいがたいものがある。これが、この世界の精霊という存在なのか。

「不変など、ありはしない」

「知った口をたたくな。女、殺すぞ!」

 耐え切れなくてサザノメがついぞ声を荒らげると首元に冷たい刃がかかった。眼球だけ動かして後ろを見る。

 カザールが気配もなく三日月型の剣を抜き、サザノメの首にかけていたのだ。他人の首を切り落とすことが目的として作られた刀は冷ややかに、今はサザノメの首を撥ね切ろうとしている。

 この男は、サウラに何かある場合は、躊躇いもなくサザノメを殺すだろう。それが彼の義務なのだ。

「代金はいくらだい?」

「信託に価値はない。それを動かす者に意味がある」

 サウラは無感動に言ったのにカザールが剣を引いた。サザノメはようやく息苦しい支配から逃れることが許され、ひらりと身を翻してテントから外へと出た。まるでテントの中だけが違う空間であったかのように、涼しい風が頬をなで、ほっと息が零れた。

 サウラというのが、本物なのか、はたまたはったりなのか。

信託といってもただ心を見透かされただけのようなものだ。

 愚かなことをしたのだと自分自身をサザノメは罵る。あんなものに縋ったところで、何かがわかるわけではないのだ。

 忌々しい気持ちに陥り、憔悴しきって人ごみを抜けて先ほどの店に行くとエレツが律儀にも待っていてくれた。その姿を見て、サザノメはほっとしたと同時に胸がちくりと痛んだ。 「見てきたのか」

「うん。姫さま、美人だったよ」

「お前は」

 エレツが呆れたといいたげに視線を投げてきたのにサザノメは笑った。

「宿に帰る?」

「そうだな。その前に仕事を見ておく」

 サザノメには気になることの一つだった。

 今までどのように路銀を貯めているのか知らない。仕事があるのであれば、それを知っておきたかった。

 エレツはサザノメを連れて街の門のほうに歩いた。門の近くにある掲示板に目を向けるといくつか張り紙がなされていた。

「これ、なに」

「掲示依頼請負だ。大勢の人間が雇われる場合はギルドが声をかけたりする。……手ごろなものはないようだな」

「へぇ。じゃあ、あとで俺がもう一度見に行こうか」

「頼む」

 エレツとサザノメは二人そろって宿に戻った。サザノメは欠伸を噛み締めて、犬の姿になると、床に寝転んだ。

 個室は広いが、二人の男が過ごすには狭い。

「そういえばさ、精霊だけど、ここでは、まるで神みたいな扱いだな」

「カミ?」

 エレツが聞き返してきたのにサザノメは驚いた。

「神族のことだよ。まさか、いないのか?」

「聞いたことはない。それは、どういうものなんだ」

 逆に尋ねられて、サザノメは困惑としてしまった。神が何かといわれて、明白に回答するのは、至難の業だ。

 あまりにも当たり前のことだと考えていたので、知らないということのほうが驚きだ。いや、この世界に来てから精霊のことは聞いたが、神については一言も触れていなかった。

「ええっと、すごいやつ、みたいな。俺らにとって敵だけども」

 エレツは首を傾げる。

「んー、精霊みたいなものかな、たぶん」

「ほぉ」

「まさか、いないとは思わなかった」

「世界が違うからな」

「そうだね。神様については、これで終わり。何かと言われても、ちゃんと応えられそうにない。ただ人があがめている生き物とだけ知っておけばいい」

 ざっくばらんなサザノメの説明にエレツもそれ以上深くつっこんでは、聞こうとはしなかった。


 闇が一段と色を濃くし始めたが、喧騒はまだ収まることはない。サザノメはそろそろと宿の部屋から犬の姿で外へと出た。エレツと辿った道を思い出しながら掲示板があったところまでいき、その中からエレツが好みそうな仕事を見繕い、口にくわえて持って帰った。

 部屋に帰ると、エレツは壁にもたれかかる様にして目を伏せていた。寝ているのかと気になって近づくと、エレツがゆっくりと目を開けた。

 サザノメはそっとエレツの膝の上にもって来た紙を置いてやった。エレツはサザノメの頭を優しく撫でると、依頼書を手にとって視線を向けた。それにサザノメはエレツの膝の上に身を乗せた。

「……なんだ、いきなり、寒いのか?」

 エレツが膝の上にいるサザノメの頭に手をのせて言う。視線は依頼書に向いているのをサザノメは確認して、そっとエレツの膝にある革袋の蓋を口で齧り開けると、中にある酒を失敬した。

「もっと危険度の高いものでもよかったんだがな」

「それが依頼のなかだと一番危険だと思うけども、たぶん」

 独り言のようにエレツが囁くのにサザノメは非難するように顔をあげて言い返した。あまり力をこめて言い切ることもできない事情がサザノメにはあった。

 この世界の言葉とサザノメの生きる世界の言葉はかなり違う。日常会話程度の話し言葉はほとんど言葉をマスターしているが、読むとなると話は別だ。声に出すものは聞いていけばそのニュアンスはだんだんとマスターできるが、文字はそうもいかない。この世界の簡単な単語だけならば読める。だから今回選んだ仕事は、その僅かな単語とほとんどカンが選んだものばかりだ。

「死ぬような依頼がほしいわけか、お前は」

「死を伴ったものでも構わんさ……そんな依頼もそうそうないだろうがな」

「ほんと、生きることが好きなやつだな」

 サザノメは酒を飲んだあと、そっと革袋の蓋を閉めた。エレツは気がついているかどうかは不明であるが、お咎めなしなので気にすることなく飲んだ。

「今夜は、その姿のままでいてくれ。暖かそうだ」

 エレツの手が優しくサザノメの頬を撫でる。

 昼間はあれほどに暑かったというのに、夜になると急激に温度が落ちて寒いとすら感じてしまう。サザノメはエレツの膝の上に身を乗せて甘えるように顔を近づけた。エレツが片手にもっていた紙を床に置き、サザノメを見つめる。

 黒い瞳を見つめていると、不意にあの女の言葉がサザノメの脳裏に蘇った。

 あの言葉の意味がわからないわけではない。なぜならば、自分は今、大切なものを裏切ろうとしている。裏切りが甘美であるほどに、欲してしまう自分が許せないと思いながらも、止めることができない。

 この心には、偽りがある。

 サザノメは顔をエレツの胸の中に押し付けた。自分は彼に不変を見せてほしいと言った。彼はそれを承諾してくれた。

 何よりも不変でありたいのは誰でもない自分自身だ。言葉に出して、それで自らを戒めて、なんとか周りを見ないようにと心がけてきた。

 ここに来て、自分の心の揺らぎが手にとるようにわかる。わかるからこそ、認めたくないのだ。

「どうした?」

「別に。今日はこれで終わりか?」

「いや、この依頼がある」

「今夜なのか?」

「そのようだ」

 サザノメは顔をあげて、小さく唸った。

「お前が無理に付き合うことはないが」

「行くよ。行きますよ。エレツを一人きりにさせられない。そうそうわんわんは働き者なんだよー」

 サザノメはエレツから離れて伸びをした。

 サウラは、サザノメの心を見事に言い当てた。

 自分は、エレツに惹かれている。それも、たぶん、自分でも驚くほどに、深く、もう彼のことが好きなのだ。

 そうした気持ちから目を背けるためにも、サザノメは急ぎ足で宿の部屋から外へと出た。


★ ★ ★


 その屋敷は、街から離れた南東に存在していた。

 泥をこねて作られた建物は塀で囲まれ、その塀の中だけ灼熱と火炎の国<フルマル>とは思えないほどに豊かな緑に溢れている。この屋敷の主である商人が世界各国から取り寄せた植物を育てていると噂され、ここの前を通ると風に乗って甘い香りがするのだ。

 塀の周りには数名の兵士が立っていた。見たところは、私兵のようだが、訓練は積んでいるようでどの顔も厳しい。

 彼らは夜の寒さを耐えるために篝火を塀の周辺に配置している最中であった。そんな中で不意に一匹の黒い犬が彼らの前に来た。その犬は立派な見た目に反して愛想よく尻尾をふって兵士たちに近づいていく。

「なんだ、この犬」

「よせよ。犬にしてはでかくないか、これ」

 犬を面白がる若い兵士を年配の兵士が窘めた。

「魔憑きかもしれん」

 そう言われて若い兵士は慌てて差し出した手をひっこめた。

 魔が憑いた獣は凶暴で、人の手の一本くらい容易く噛み千切ってしまうほどに力がある。

 黒い犬は怯える若い兵士の腰に擦り寄った。人懐っこく、あたたかな舌を出して兵士の手を執拗に舐めてくる。そういえば先ほどまで干し肉を食べていたが、それの脂が残っていたのか。

「なんだ、腹が減っているのか、お前」

 犬がわんと吼えた。

「なぁ、俺のパンやってもいいかな」

「……好きにしろ」

 年配の兵士がつっけんどんに言うのに若い兵士は嬉々として自分の夕飯のパンをちぎって犬に差し出した。犬はぺろりと食べて行儀よくお座りをした。

「いいな。こういう犬」

「誰かの持ち物じゃないのか、それ」

「人懐っこいですからね」

 若い兵が相槌を打ったあと、驚いたように絶句した。

「火がっ!」

「ん、あっ」

 塀の中から灰色の煙が出ているのに二人の見張りは慌てて、駆け出した。その場に残された黒い犬は周りをきょろりと見て誰もいないのを確認すると、前足が浮かせて、その姿を人へと変える。

 黒い犬であったサザノメはにやりと笑ったあと、地面を蹴って塀に飛びつき、両手で塀の上を掴んで軽々と越える。

 塀を跨ぐ形で腰かけて、自分が先ほどまでいたところへとサザノメが視線を向けると、そこにはエレツが立っていた。

サザノメは安全だと手招くとエレツも塀を飛び越え入ってきた。

「うまくいったな」

「そうだな」

 サザノメが兵士たちの気を逸らしている間にエレツがなかに火を投げ込んだのだ。油を染み込ませた衣の切れ端は、すぐにでも見つけ出され処理されるだろうが、その隙に自分たちは中へとまんまとはいってしまう――という作戦だ。

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