第12話

「殺してやる。だから、お前のすべてを見せてくれ」

 サザノメの言葉にエレツは黙りこくった。

「どうした?」

「しばらく時間がほしい」

 サザノメは手にしていたコップを赤い地面に置き、エレツの肉体にのしかかるように身を乗り出した。

「そんなものでなにができる……苦しいなら、すがればいいじゃないか」

「お前にすがってかまわないと?」

 エレツのあまりにも素直な言葉にサザノメは笑ってしまいそうになった。その率直さがなぜか嬉しくてたまらなかった。

「いいんじゃない? 利用してしまえば」

「俺の気が向いたらな」

「エレツは怖がりだな」

 ぎりぎりのところで、触れては逃げることがわかっていたサザノメは表向き笑い飛ばしながらも逃がさないようにエレツの片手をとって握り締めた。

「人に弱さを握られたくないんだ。おそらく」

 まるで罪悪を吐き出すようなエレツの告白は、生きている人間であれば当たり前のものだ。自分も、そうだとサザノメは言ってやりたくなった。たぶん、自分の弱さから逃れるために今エレツに言葉を向けているのだ。

「そんなもの今見てる。エレツの弱さも強さも……生きたいくせに」

「それでも殺されたい」

「お前を殺しても何も変わらないのに」

「わかっている」

 サザノメは重ねあった手を強く握り締めた。こうして手を繋ぎあうだけで、相手の深いところに触れれているという錯覚に陥ることができた。


 朝から休みなく歩き続けて、ようやく街までたどり着いたときにはサザノメは疲労困憊で足元がふらふらになっていた。

 砂漠は不慣れな者が旅するにはあまりにも過酷だ。それも黒い毛は太陽の光を集めてしまうのだ。

 黒い犬は、街の門をくぐったときにはその毛に砂をつけて、茶色の犬になってしまっていた。

 砂漠で無理はよくないと、エレツは何度も言ったのだが、サザノメは断固としてエレツを乗せて運ぶと言って聞かなかった。

 ふらふらなサザノメを労わるようにエレツは、すぐさまに近くの宿にはいり、部屋をとった。

 エレツは、宿を取る際にはいつも大部屋をとる。他の旅の者たちと一緒に雑魚寝して過ごすもので、雨露凌ぐだけのものだ。安いので路銀の節約にもなるからだ、今日は個室をとった。

 サザノメのような大型の獣は大部屋では他の客が怯えて一緒にできないと店主に言われたし、サザノメは人の姿をとりたがることも考えれば大部屋よりも個室のほうがいいと判断してのことだ。

 木製の質素な部屋は値段に見合うだけのベッドが備え付けられた。

「昼までに辿りつたようでなによりだ」

 エレツが街の防壁に入るときに、ちらりと漏らした言葉がサザノメには疑問だった。すぐさまにエレツの言葉の意味を知ることになった。

 太陽がすさまじい輝きを放ち、砂に足を追いただけで焼けどしてしまいそうなほどに熱い。昼間の温度は人をその暑さだけで殺せるだの力があった。

 殺人的な日差しにサザノメは慌てて宿に帰り、部屋の中ではエレツが隅に腰掛けていたのにサザノメは近づいた。

「なぁ、ここ風呂はある?」

「風呂なら、言えば用意してくれるだろうが」

「風呂にはいりたい」

「風呂にか……」

「当たり前だ。毛に砂埃がついちまった。夕食の前にはきれいにしておきたい」

「わかったよ」

 エレツは頷いて立ち上がると旅籠の娘を呼び寄せ、風呂の支度をさせた。サザノメは喜びさかんに人の姿になって出ていったが数分後には、不機嫌な顔で戻ってきた。

「あんなの風呂じゃない」

「なにが気に入らなかった?」

「すごくぬるかった」

 サザノメの文句にエレツはきょとんとした顔をした。

 風呂とはぬるま湯が当たり前のため、サザノメの言う文句がいまいち理解できないのだ。

「この世界って熱い湯の風呂はないの?」

「……歓楽と泡沫の流れの国<ウィザルン>、放浪の子と導師の都<ウ・ザノン>では一般的だそうだ。俺はあまりいなかったかだ」

 聞き慣れない言葉にサザノメは目をぱちぱちと瞬かせる。

「それ、どこ?」

 今度はエレツが奇妙な顔をする番だった。だがそこですぐにサザノメがこの世界の者ではないということを思い出したらしい。

「知らないんだな」

「うん。この世界の地図とか欲しかったけど、まだ手に入れてないんだよね。エレツは持ってる?」

「ああ。袋の中に入っている。古いものだが」

「見たい」

「古いぞ」

「いいよ」

 エレツは断りを入れてから旅に必要な荷物をまとめてある麻袋から羊皮紙を取り出して見せてくれた。そこには黒いインクで大陸と海が書かれていた。中央の小さな島を囲むようにして、上に大きな大陸、その左右、下に書かれてある。上にある大陸には真ん中で線が書かれている。

「俺たちがいるのがここだ」

 上にある大陸の区切られた右側をエレツは指差した。

「灼熱と火炎の国<フルマル>」

「うん。この真ん中の線は?」

「隣国との境界線だ。これは精霊の剣といわれる山がある。切り立ったところで登ることは出来ない。船でしか移動できない」

「ほぉ。じゃあ、この左手にある国も? 区切られてるよね?」

 サザノメの問いにエレツは一瞬だけ顔を顰めたがすぐに答えた。

「これは、ただの国境だ。山などはない、森だ」

 隣国は大地と自然豊かな、芳醇なる大地の国<ストラ>で地の精霊の加護を受けている。右側の長細い大陸が、白銀の天上国<セザンネ>と言われて光の精霊の加護が強く、精霊持ち以外の入国を堅く禁じている。その下にあるのが風の精霊の加護を受け、最も貿易が盛んな、放浪の子と導師の都<ウ・ザノン>、その横に小さくある島々は南諸小島といってひとつひとつが独立している。

 水の精霊の加護が強くある左側に位置する歓楽と泡沫の流れの国<ウィザルン>、その上に位置するのが闇の精霊の加護を持つ漆黒と天底の国<ロベンゼ>。

 精霊とはこの世に存在する力ある<よき隣人>で、定期的に人と契約を交わしたがるそうだ。そうすることが精霊の本能だという。

「じゃあさ、この中央の国は?」

「ここは国じゃない。島だ。再来と常世の島<ソルト・レラ>だ」

 サザノメは、ほー、ふーんと地図を見ながら今の説明を自分なりにまとめはじめている。元々好奇心が強いサザノメはこの手の話題が大好きだ。

「気になっていたけど、お金は?」

「金と銅は統一されているが、それ以外は基本的に港にある役場で変えてもらう。……こではこれがシリン、サル、銅、金とある」

 シリンは細長い石で、真ん中に刻みあとがある。これで林檎一つ買える。

サルは丸い石に穴があいているものだ。これが十個あると銅の役目を果たす――そんな基礎的なことを学んでサザノメは満足して頷いた。

「よし、金の使い方を学ぶためにも飯食べよう。飯! 俺らずっと野宿でそういう基本もしてないし……ほら、外に行こう」

「外に食べにいくつもりか」

「ここまで来たらおいしいもの食べたいじゃん。お金を使う練習、練習」

「……わかった」

 エレツは苦笑いと共に頷いた。

 それが、ここまで文句を言いながらも自分のことを運んでくれたサザノメにたいするせめてもの彼の唯一できる礼であった。

 エレツは宿主にこの周辺でのおススメの食べ物屋を聞きだし、二人は外へと出た。

 昼間は猛暑だが、夜となると急激に温度が冷めていく。まるでその時間帯を見計らったように人々がぞろぞろと建物から出てきていた。

 壁に灯された篝火に照らされ、市が開かれて、あっちこっちから香ばしい香りが漂って空腹を刺激する。

 宿の店主に教えられたテントに入り、サザノメたちは食事をした。

 食事は、ミルクと麦のパン生地を長く伸ばして、薄く焼いたものだ。その中に米と色鮮やかな野菜を焼いたものをのせ、包んで食べる。パンで包むものは、個人のこのみで好きにできるらしいが、米と野菜の組み合わせが一番ポピュラーな組み合わせだ。

 サザノメは一口食べると、頬を緩ませた。

「本当に美味しそうに食べるな」

「おいしいものはおいしく食べるものだろう?」

「お前は特においしそうだ」

 サザノメはきょとんとした顔でエレツを見つめて、口元を緩めた。エレツは同じものを食べているはずなのに表情が変わらない。

「例外もあるよなぁ、お前みたいなの。表情がまったくかわらない」

「まぁな」

 サザノメが笑うとエレツは苦笑いを零した。


 サザノメはエールに口つけた。濃い苦味が口いっぱいに広がると眉間に皺を寄せ、口元が綻ばせた。

 不意に外から騒がしい音がしたのにサザノメとエレツは反射的に音のした背後に視線を向けていた。大勢の人間が何か目的があるのか流れる川の魚のように一方にのみ歩いていく。

「サウラ様がおいでなすったようだな」

「誰だ、それ」

 店主の漏らした名前にサザノメが怪訝とした面持ちで尋ねた。

「この街にいる精霊の姫様さ」

「精霊の姫?」

「火の精霊長に身を捧げた巫女姫さまだよ」

 自慢するかのように誇らしく言う店主にサザノメは表情にこそ出さなかったが、不思議さを感じた。

 精霊で知るのはエレツのそばにいる更のことぐらいだ。それも言葉を交わしたのは二回ほどで、第一印象としては不思議な雰囲気を持った生き物という感想だけだ。

「まぁ一種の精霊さまだな。歌や踊りを捧げている。それで精霊さまの加護をいただくのさ」

「へぇ、それは」

「サウラ様は生まれたときから、巫女姫としてずっと精霊さまに尽くしていらっしゃる。あの方は千里眼をお持ちで、予言もなさるんだよ」

「それは、すごいな」

 サザノメは人当たりの良い笑みを浮かべて相槌を打った。

「じゃあ、その予言を聞きたくてみんな集まっているの?」

「ああ、そりゃあ、視てもらうためだろうよ。一般の奴でも、サウラ様は分け隔てなく見てくださって、そいつに必要な助言をしてくださるのさ」

「それって、よそ者の俺でもいけるかな」

「さぁな。サウラ様の予言を聞けるのは限られているらしいが……まぁお顔だけでも拝見できりゃあ、ご利益があるかもなぁ」

「土産話になる。ちょっと行ってみるか」

 サザノメは、エールを一気に飲み干したあと、ちらりと横にいるエレツに目を向けた。

「エレツは」

「ここで待っている」

「ありがとう。待ち切れなかったら宿に先に帰っていてもいいよ」

 サザノメはそれだけいうと人ごみの中を歩き出した。

 一体、どこからこれだけの人間が出てきたのかと疑問に思うほどに大勢の人間が街を闊歩している。

 昼間は、まるで死んだかのような静けさであったのに、夜になると明るい。ここに住む民にしてみればいまからが活動時間だが、なじみのないサザノメには困惑とするばかりだ。

 ようやく人々のいる中心まで来た。

 人を押しのけ、進むと中央には黒い即作のテントが置かれ、二人の屈強な男がテントの前で怪しい者がいないかと、見張っている。

 テントの中にはいる者は一人と決められているらしい。

 テントから出てくるのにはおおよそ五分ほど。テントから出る者の顔は、はっきりと安堵や落ち着きが伺える。まるで今まであった心配は、その五分の間にすべて解消されてしまったかのような面持ちだ。並んでいた者の最後が出ていったところで、サザノメはそしらぬふりをして見張りの男に近づいた。

「ここにサウラ様がいると聞いたけども」

 男が太い眉をぴくりと動かしてサザノメを視た。

「予言をくださるそうだけども」

「今宵は、既に終わった」

 きっぱりとした口調でいう男にサザノメは笑みを湛えた。

「じゃあ、明日もあるのかい? どうやったら、その予言をお聞かせ願えるのか俺は知らない」

「それは院に寄付を送った者の中から姫様のご判断で決められる」

「つまりは金ということか」

 サザノメが小馬鹿にしたように言うと見張りが顔を明らかに強張らせた。

 ここまで来てサザノメの中には焦りがあった。この胸の中にあるもやを吹き飛ばすのに、何か方法があるとすれば、なんだってするつもりだ。それほどに追い詰められていた。

 予言などばかばかしく、信じるには値しないものはない。ほとんどの場合が偽りであったりすることもあることをサザノメは良く知っていた。これもその類のものであったのかという落胆は隠せなかった。

 ただここで見張りの者とごたごたを起こすわけにもいかないので、さっさとこの場から離れようとサザノメは決めた。

「待たれよ」

 不意にテントから太い声がしてサザノメは視線を向けた。

 黒いテントに、黒い獣がいた。

 否、それは人であった。

 褐色の肌の男がサザノメに視線を向ける。よく鍛えられた肉体に、四角く厳つい顔。腰にたずさえた三日月型の剣。この男が動く姿には隙なく、よく鍛錬された戦士のそれ。

「姫が、汝に信託を下すという」

 その言葉にはサザノメも、そして見張りの者も驚いた。

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